『瑞穂たま』と『ゾンビ』に関する取り留めのない思考
照り付ける日差しが全身を焦がす。
私の晒された黒髪を焼き、首筋を舐り、腕を刺し、足元を撫ぜる。
「……………………。」
「……………………。」
灼けつくような暑さだ。
遠くで、ジーワジーワと蝉が鳴いている。蝉の声が脳内で乱反射して、私は、自分で思っていたよりも、体力が限界に近いのだと気づく。
そしてそれは、隣にいるさきも同じらしい。
彼女も、運動部とはいえ、一日中歩き続ける、というのは、流石に応えるみたいだ。
そんな事を考えていた時に丁度、街路樹の並ぶ小綺麗な通りに差し掛かる。
まだまだ遠そうといえば遠そうだが、確実に都市には近づいているようだ。それだけが心の支えだった。
しかし同時に、ゾンビの数も、少しずつ増えてきた。
途中、喫茶店の裏口を通りかかった際にもう一本のデッキブラシを見つけてから、さきも時たま戦闘に加わっている。
私だけでは捌き切れない数になってきたという事だ。
それにしても、ゾンビウイルスは、何によって感染するのだろうか?
…そもそもウイルスなのか、という疑問は残るが、私には知りようのない事なので、一旦置いておこう。
私は、掴みかかってきたゾンビの手を叩き落としつつ考える。
空気感染。接触感染。血液感染。
私の場合は創傷感染だったが、本当は、もっと色々な感染経路があるのかも知れない。いや、あると考えるべきだろう。
そうでなければ、一瞬にして、あれ程爆発的にゾンビが増えた説明がつかない。
…もしかして、昨日のパンデミックが起こった時点で、既に多くの人間が感染させられていた?…いいや、突拍子もない思いつきだ。これ以上は止めておこう。
私は、一瞬怯んだゾンビの胴体に、すかさず横蹴りを入れる。靴底に、ぐちゃり、と柔らかい感触が伝わる。
きっと、この炎天下を彷徨っていた所為で、彼の身体は既に腐敗が進んでいるのだろう。
今は、それでも活動出来ている理由が分からないが、私も直に分かるようになる。ならば、気にしなくていい。
…ところで、さきは大丈夫だろうか。私は心配になる。
ゾンビウイルスが空気感染するものだった場合、心配したって私にはどうしようもないのだが、仮に接触や体液によって感染するものなのだとしたら…?
その場合、例え負傷しなくとも、戦っている内に、彼女はウイルスに感染してしまうかも知れない。
私はちらりとさきを見遣る。
私には創傷以外の感染経路は分からないが、ゾンビに噛まれたら、確実に感染するのだ。だからこそ、せめて彼女がゾンビに噛まれないように、気をつけておこう。
*
私は、たまの見様見真似で、慣れないデッキブラシを振り回す。
「はぁ、はぁ、はぁ」
恐い。恐い。恐い。
私は、途中で何度も目を瞑りそうになる。
でも駄目だ。目を瞑っちゃ駄目だ。目を瞑ったら死ぬんだ。
「…っこの!」
自分にそう言い聞かせながら、私は、丁度ラケットを振る時の要領で、一人の頭を殴りつける。
掠った程度か。まだまだ慣れない。きっと、暫くは慣れない。
「っ、さき!」
そうこうしている内に、先程殴ったゾンビが、私に肉薄する。
たまが此方に手を伸ばしている。
私は刹那呆然とし、そして…今度こそゾンビの頭を自らの手で叩き割った。
「あ……」
鈍くて、嫌な感触がした。
私の中に、ゾンビ、いや、その人の人生がフラッシュバックした気がする。
一瞬の後、たまの「こっち!」という声に急かされて、私はその場から逃げ出した。
「はぁっ、はぁっ」
「…さき、レジ袋はちゃんと持ってきた?」
たまは、呼吸を整えながら私に尋ねてくる。
「あ、あぁ。逃げる時、ちゃんと掴んで持ってきたぞ」
私はそう言って、乱雑に掴んできた食料入りのビニール袋を掲げる。
「そう…良かったぁ」
「ね、さき。この辺り、陰になってて丁度いいし、ちょっと休憩しない?」
たまの言葉に、辺りを見回す。
確かに此処は、両側を雑居ビルに挟まれて日陰になっているし、何よりゾンビも居ないようだ。
「うん、そうしようか」
私はその提案に頷くと、ビニール袋を地面に置き、止まった室外機の上に腰掛けた。
たまも、私に続いて、その隣の建物の室外機の上にちょこんと座る。
…不思議なものだな。
私は、隣に座るたまを横目で、しかし、まじまじと見つめる。
たまは、確実にゾンビウイルスに感染している筈だ。
私は、彼女の、血の滲むシャツを見遣る。
しかし、今のところ、彼女はどう考えても人間としか思えない。
それは、意思疎通が可能という意味でもそうだし、身体の状態そのものについてもそうだ。
都市へと近づくにつれ、段々と死臭が濃くなっていくのを感じる。
恐らく、この炎天下で、ゾンビ化した人々の肉体が腐っていっているのだろう。
である以上、たまがゾンビであるのならば、彼女からは腐臭がして然るべきなのだ。
だが、彼女からは、そのような悪臭の気配もない。
つまり、昨日今日の活動がありながら、全く肉体の腐敗が進んでいない、という事だ。
それに、今、私の横で平然とお茶を飲んでいる様子を見るに、見えない部分──臓器の損傷もないらしい。まあ、これはあくまで私の推測に過ぎないが。
という事は、ゾンビウイルスにも幾つかの種類があるのだろうか?
私は首を傾げつつ、ビニール袋から惣菜パンを取り出す。
そして、一口齧る。うん、腐ってはいないな。
ゾンビウイルスは、幾つかの種類に分けられる、か。
…そんな素振り、あっただろうか?
私達の高校は、私が知る限り壊滅していた。
ゾンビウイルスに感染しながら理性を保っている人間も、これまでたま以外には見ていない。
それに、たまを噛んだゾンビも、昨日今日で散々見かけたものと同じ類のようだ。
ゾンビウイルスに種類があるのなら、もう少したまのような人間がいてもいい筈じゃないか。
…きっと、たまがレアケースなのだろうな。
私はそう結論づけ、口の端に付いたケチャップを舌先で拭う。
何が彼女を「特別」に仕立て上げているのかは、現段階では分からない。
遺伝子なのか。噛まれた場所なのか。それとも、本当に特殊なウイルスだったのか。
更に言ってしまえば、彼女の何がそんなに「特別」なのかも分からない。
ウイルスに侵されるのが遅いのか。侵されているけれど、発症しないのか。何か他の要因があるのか。
そして、彼女の「特別」に期限はあるのか──つまり、彼女も何時かは、理性のないゾンビになってしまうのか。
これから天原港に向かう中で、それらの疑問全てに答えが出るとは思っていない。
しかし、何らかの手がかりくらいは見つかるといいと思っている。
だって、あまりにも理不尽じゃないか。
だから、手がかりを掴んで、私達でこのパンデミックに勝利してやりたいんだ。まあ、無理かも知れないけどさ。
汗が頬を伝った。
それにしても、茹だるような暑さだ。
私は、雑居ビルと電線の間から見える青空を睨み、温くなったペットボトルの蓋を開けた。
毎度毎度変なところで切れてしまう。




