第88話 発覚と決意
放課後の廊下を亜里沙と並んで歩きながら、夏海はふとつぶやいた。
「なんかさ……最近、心愛ちゃんとあんまり話せてないよね」
「……うん」
夏海の呟きに、亜里沙もゆっくりとうなずく。
「私は部活があるから、前から放課後はあんまり一緒にいれなかったけど、亜里沙は球技大会が終わってからは、途中まで一緒に帰ったりしてたんでしょ?」
「うん。そのころは普通に話してたし、そこまで違和感もなかったんだけど……」
以前なら、帰り際に軽く立ち話をすることもあったが、今はそれさえもなくなっていた。
——特に、心愛が蓮目当てで夏海や亜里沙、そして凛々華に近づいたという噂が流れ始めてからは。
「「はぁ……」」
二人は揃ってため息をつき、そのまま昇降口へ向かった。
だが、途中で夏海がハッと顔を上げる。
「あっ、ごめん、忘れ物した!」
「え? 何忘れたの?」
「スマホ……たぶん、教室の机の中かも。ちょっと取ってくる!」
「私も行くよ」
亜里沙も一緒に踵を返し、二人は急ぎ足で教室へ戻った。
誰もいなくなった教室は、どこかひっそりとしている。
夏海は自分の机に向かう途中、ふと心愛の机が目に入り、足を止めた。
「あれ?」
「どうしたの?」
「これ……」
夏海が指さしたのは、心愛の机からわずかにはみ出しているノートだった。
そっと手に取ると、見覚えのある表紙が目に飛び込んできた。
「……数学のノート?」
亜里沙も顔を寄せ、目を見開いた。
「これ、失くしたって言ってたやつじゃ……」
「そうだよね? 心愛ちゃん、机の中も探してたのに……」
二人は顔を見合わせ、うなずき合った。
「……ちょっと見てみよう」
夏海がゆっくりとノートを開く。
途中までは、普通だった。
しかし、最後のページ。そこには授業の板書や問題の解答とは明らかに異なる、不自然な文字が並んでいた。
黒々としたインクで荒々しく書きなぐられた、それらは——、
『嘘つき』
『ぶりっ子』
『媚びてる』
目を疑うような言葉の数々だった。
「「っ……!」」
亜里沙の表情が強張る。夏海も、思わず唇を噛んだ。
「……やっぱり」
「誰かが、意図的にやってるんだっ……心愛ちゃんのものを盗んだり、あの噂もきっと……!」
心愛の様子が変わった時期、亜美と莉央の態度、そしてこの悪口——。
今までの違和感が、一本の線で繋がった気がした。
ノートをそっと閉じた亜里沙が、ゆっくりと息を吐いた。
「……これ、黒鉄君たちに伝えたほうがいいよね」
そう呟きながら、夏海のほうを見やる。
しかし、夏海は少し迷ったような顔をしながら、ぎゅっと拳を握った。
「……ううん。私たちだけでなんとかしよう」
亜里沙の眉がかすかに寄る。
「でも……」
「黒鉄君や柊さんに言ったら、心愛ちゃんが望まない形になっちゃうかもしれない。桐ヶ谷君なら落ち着いて聞いてくれるかもしれないけど……」
夏海の言葉に、亜里沙は黙り込んだ。
蓮と凛々華は、普段は冷静に見えるが、いざとなれば躊躇なく動くタイプだ。
凛々華は冷ややかな印象を持たれがちだが、決して他人に無関心なわけではなく、むしろ正義感が強い。そして蓮も、大翔にいじめられていた樹を庇った過去があるように、いざとなれば大胆な行動をとる。
英一の停学に関しても、二人がその処分にどの程度関わっていたのかはわからない。
——実際には完全に英一の自業自得なのだが、事情を知らない夏海と亜里沙が「蓮と凛々華は加害者に容赦しないタイプなのかもしれない」と危惧してしまうのは仕方のないことだろう。
「それに、誰かしらは何も知らずにいてくれたほうが、心愛ちゃんも気が楽なんじゃないかな?」
「確かに……。黒鉄君たちに相談したら、いじめを止めるためにはって感じで、冷静に動いてくれるかもしれないけど……」
「心愛ちゃんが、そういうのを望むかどうかは、また別の話だよね」
心愛は、優しすぎるくらい優しい子だ。
自分が傷つけられても、仕返しをすることを望まない。
もっとも、蓮や凛々華とて、心愛の気持ちに寄り添いながら動くことは可能だろう。
夏海が自分たちだけで解決するべきだと思った本当の理由は、別のところにあった。
「それに……黒鉄君と柊さんは、早川君の件でいろいろあったんだよね。だからさ、またこんなことに巻き込んじゃったら、二人とも精神的に辛いんじゃないかって思うの」
蓮と凛々華が被害者側であることだけは間違いない。
二人は平然としていたが、もしかしたら深く傷ついていて、まだ癒えていない可能性もある。
「それに……黒鉄君も桐ヶ谷君も、金城君にいじめられてたんだよね。そんな三人を、またこんな問題に関わらせていいのかな……?」
蓮も、凛々華も、樹も強い。
だけど、それが彼らにとって何も感じないというわけではない。
特に蓮は、父子家庭の長男という家庭環境も相まってか、全て溜め込んで自分だけで処理しようとする傾向が強いように感じられる。
大翔にいじめられていたときも、平気そうな様子だったが、それはあくまで表面上の話だ。
もし、過去の嫌な記憶を呼び起こしてしまうことになったら——。
そう考えると、これ以上彼らを深く関わらせたくはなかった。
「……確かに」
亜里沙は小さく息を吐いた。
「それなら、私たちだけでやるしかないね」
そう言って、真剣な目で夏海を見た。
「うん。それに、犯人に悟られないためにも、動くなら最小人数がいいと思うんだ」
「黒鉄君、結構高城さんと橘さんに絡まれてるもんね」
球技大会が終わって少し落ち着いたが、それでも亜美と莉央の蓮へのアピールは完全に途絶えたわけではなかった。
「うん。もし黒鉄君が全部知っちゃったら、さすがにあの二人に今まで通り接するのは無理だと思うし」
蓮が厳しい態度を取れば、亜美と莉央は警戒するはずだ。
そうなったら、証拠を掴むどころではなくなってしまう。
「だから、私たちだけで動いて、ちゃんと証拠を集めよう。そうすれば、心愛ちゃんも……」
「うん。そうだね」
亜里沙は静かにうなずいた。
かつて、蓮と樹が大翔にいじめられていたとき、夏海と亜里沙は何もできなかった。
けれど、今度は違う。
『もし今度、いじめに遭ってるやつがいたら、自分のできる範囲で気にかけてあげてほしい』
蓮や樹と交わした約束。
あのとき、夏海と亜里沙は彼らの信頼に応えると誓った。
「……私たち二人で、心愛ちゃんを助けよう」
「うん。もう見て見ぬふりなんてしない」
二人は、固く決意した表情でうなずき合った。
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