第79話 自己満足なんだよ
「ひ、柊?」
蓮は突然のことに動揺した。
しかし、自身の胸元にしがみついて、体を震わせてしゃくり上げる女の子を突き放すわけにはいかない。
(よほど怖かったんだな……)
心臓の鼓動が早くなるのを感じつつ、遥香にするように凛々華の頭を撫でる。
しかし、いつまでもそうしているわけにはいかなかった。
「ゲホッ、こ、これみよがしにイチャイチャしやがって……! 柊さんを離せ! 彼女は僕のモノだ!」
「……はっ?」
蓮は英一を睨みつけた。英一がひゅっと喉を鳴らした。
「——凛々華ちゃん! 黒鉄君!」
「ちょうどよかった。初音、柊を頼む」
遅れてやってきた心愛に凛々華を預け、蓮は立ち上がり、顔色を青くする英一を見下ろした。
「な、なんだよ⁉︎」
「お前は勘違いしてる。柊はお前のものでもなければ、俺のものでもない。柊は柊のものだ。あいつが何をするかは、全てあいつに決定権がある。それを他人が強制することなんてできねえよ」
「っ……ちょ、ちょっと仲良くしてもらってるからって調子に乗りやがって! 僕を見下ろすな!」
英一が殴りかかってくるが、特段運動神経がいいわけでもない素人の攻撃など、蓮に通用するはずもなかった。
「僕が一番柊さんのことを愛してるんだ! 彼女は僕のモノになって当然なんだ!」
「柊は誰のものでもねえって言っただろ。誰と仲良くしようが、それはあいつの自由だ。お前がどんなに好きでも、あいつが応える義理はねえ。つーかお前——」
蓮は英一の拳を受け止め、正面からその顔を見据えた。
「本当は柊のこと、好きじゃねえだろ」
「なっ……⁉︎ ゆ、揺さぶりをかけようって言うのか⁉︎」
英一の声は震え、瞳は左右に揺れていた。
「単なる事実だ。だってお前、柊のことを外面的な要素でしか判断してねえだろ。もし柊が今ほど可愛くなかったら? 頭が良くなかったら? 運動ができなかったら? それでもお前はあいつのことを好きになるのか?」
「っ……う、うるさい! 君だって凛々華ちゃんの見た目が好みだから一緒にいるだけだろ! 誠実なふりをしてワンチャン狙ってるだけじゃないか! 今だって、あえて焦らして柊さんからアプローチしてくるのを待ってるんだろ⁉︎」
「違えよ」
蓮は間髪入れずに否定した。
「俺は柊がどんな見た目だったとしても、仲良くしたいと思ってるよ。可愛いから一緒にいるわけじゃないし、もちろんワンチャンを狙ってるわけでもない。不器用だけど優しいところ、正義感が強くて一本筋が通っているところ、手厳しいときもあるけど真っ直ぐで誠実なところ。そういうところが好ましいから一緒にいるんだ。お前は柊のどこに惹かれたんだ? 柊がどういう子なのか、ちゃんと見てたのか?」
「そ、それはっ……」
英一は言葉を詰まらせた。
それこそが答えだったが、彼の心はまだ折れていなかった。
「で、でもっ、僕が一番努力をしたことに変わりはないんだ! 好みだってちゃんとリサーチしたし、誰よりもアピールした! だから、柊さんは僕のモノになるべきなんだよ!」
「一定期間努力したところで、報われないことなんていくらでもある。それを誰かのせいにして暴走していい理由にはならねえよ」
蓮は英一に一歩近づいた。
「っ……」
息を呑んで後ずさる彼に、憐れむような視線を向けた。
「お前はハイスペックな彼女が欲しかっただけだ。柊の気持ちも考えずに自分本意にアタックしたところで、振り向いてもらえるはずねえだろうが。お前は確かに努力はしたのかもしれねえけど、方向が間違ってた。所詮は自己満なんだよ」
「——黒鉄君」
心愛が袖を引っ張った。
言い過ぎだよ——。目がそう伝えてきていた。
「……ふぅ」
蓮は息を吐いた。熱くなってしまっていることも、言葉がすぎていることも自覚していた。
それでも、心愛に制されるまでは言葉を止められなかった。
「——君たち!」
先生が駆けてくる。蓮は心愛に視線を向けた。
彼女は携帯を掲げてウインクをした。直接か間接かはわからないが、状況を把握した時点で先生を呼んでいたらしい。
(さすがの判断だな)
蓮は感心すると同時に、自分の視野が狭くなっていたことを反省した。
◇ ◇ ◇
その後、蓮と心愛が付き添う形で、凛々華が事情を説明した。
蓮の言葉を受けて呆然としていた英一は、別の部屋で事情聴取を受けているようだ。
一通りの説明が終わった後、先生が親に迎えに来てもらうよう凛々華に勧めた。蓮も心愛も賛同したが、凛々華は仕事中だし迷惑をかけたくないと首を横に振った。
父子家庭の蓮としては、一人手で育ててくれている母親を気遣う凛々華の気持ちも理解できた。
最終的に、蓮が送っていくことになった。
凛々華が納得していたため、先生もそれ以上は介入しなかった。
「最近、改めて西野圭司の初期のほうの小説を読み返してるんだけどさ——」
帰り道、蓮は普段よりも積極的に話を振った。
凛々華も乗ってくれていたが、やはりその表情はどこか無理をしているように感じられた。
柊家に到着する直前に、凛々華が足を止めた。
直前までそのことを考えていたからだろうか。蓮の口からするりと言葉がこぼれ落ちた。
「なぁ、今日は元々カフェ行く予定だったし、もう少し話さねえか?」
「っ……」
凛々華の肩が震えた。
揺れる紫の瞳には、迷いの色が感じ取れた。
「迷惑だったらいいんだけどさ。最近、球技大会とかもあってなかなかゆっくりできる時間もなかったし、読書談義でもどうだ?」
「……えぇ」
蓮が続けると、凛々華は小さくうなずいた。
凛々華の家に上がるのは二度目だ。
リビングのソファーに並んで腰掛け、凛々華が入れてくれたお茶を飲みながら、他愛もない雑談をする。
「黒鉄君——」
ふと会話が途切れたとき、凛々華がそれまでとは違う固い声を出した。
「その……ありがとう。助けに来てくれて」
「感謝なら初音にしてくれ。あいつが早川と担当を代わった子の話を聞いて、俺に知らせてくれたんだから」
「そうね。初音さんにも改めてお礼をするわ。でも、あなたが早川君を止めてくれなければ、私はどうなっていたかわからないから……っ」
凛々華がぶるっと体を震わせた。
あの時の英一はヤケになっていた。狂気に染まった彼に迫られるのは、相当な恐怖だっただろう。
「柊、大丈夫か?」
「っ……」
凛々華は小さく震える指先をぎゅっと握りしめた。逡巡するように視線を彷徨わせたあと、意を決したように蓮との距離を縮めた。
肩が触れ合うほどの距離感は、いつもの彼女からすればありえないほど近かった。
「ひ、柊?」
「……少しの間だけ、こうさせて」
消え入りそうな声とともに、凛々華は蓮の胸元に額を寄せ、華奢な体をそっと預けてきた。
「っ……」
蓮は思わず喉を鳴らした。
柔らかな体温と、ほんのり香るシトラスの匂いが、普段のクールな彼女とのギャップを際立たせる。
(怖くて甘えたくなってるのか……)
そう考えて、納得しようとした。
だが、それでも気分は落ち着かない。
柊が安心できるなら、それでいいか——。
そう何度も自分に言い聞かせ、蓮はそっと彼女の背中に手を回した。
しばらくそうしていると、不意に凛々華が腕の中で含み笑いを漏らした。
「黒鉄君。心臓の鼓動が早いように感じられるのだけれど?」
「そ、そりゃそうだろ。遥香以外の女の子とこうするのなんか初めてなんだから」
蓮はわずかに声を上ずらせた。
凛々華がおかしそうにクスクス笑う。
「あら、遥香ちゃんのときもこんなになっているの?」
「なるわけねえだろ。妹だぞ」
「ふふっ、そうね」
凛々華の声は、どこか満足げだった。
そうして、ようやく蓮の腕の中から離れ、顔を上げたその瞬間——、
「っ……!」
今になって、自分が何をしていたのかを理解したのだろう。
その顔が、一瞬で真っ赤に染まった。
「そのっ、ご、ごめんなさいっ……!」
慌てたように言いながら、目を伏せる。
「いや……柊が少しでも安心できるなら、別に構わねえよ」
蓮は鼻を掻きながら、けれど優しく微笑んだ。
凛々華の瞳が大きく見開かれた。
「……本当に、あなたってそういう人よね」
彼女はため息まじりにそうつぶやくと、そそくさとリビングを出ていった。
「どういう意味だよ……」
一人残された蓮はソファーの背もたれに身を沈め、ゆっくりと息を吐き出した。
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