第78話 英一の説得
「初音。柊が危ないって、どういうことだ?」
「さっき、他のクラスの女の子が話しているのを聞いたんだ。『今日の美化委員の仕事、早川君に代わってもらえてラッキー』って」
「まさかっ、あいつが柊に何かをするっていうのか……⁉︎」
蓮は思わず心愛を見つめた。
その横顔は険しい。
「あくまで推測だよ。でも、昨日はあれだけしつこかったのに、今日は一回も凛々華ちゃんに話しかけてない中で、突然凛々華ちゃんとかぶるように担当を変わるって、何か嫌な予感がするんだ」
「……初音、悪いけど先に行くぞ」
心愛の推測を聞いて胸騒ぎがした蓮は、スピードを上げた。
——結果として、その判断がその後の運命を変えた。
◇ ◇ ◇
「柊さん——」
「……えっ?」
ほうきを手に掃除をしていた凛々華は、近づいてきた英一の姿を認めて、眉をひそめた。
「……あなたは今日の担当ではなかったはずだけれど?」
「あぁ。なんか急用ができたらしくて、代わりを頼まれちゃってさ」
「……そう」
凛々華は早々に会話を切り上げ、掃除を再開した。
それは「雑談をするつもりはない」という明確な意思表示だったが、英一はお構いなしに話しかけてきた。
「ねぇ、柊さん」
凛々華はため息を堪えてから、黙って視線のみを向けた。
「一応確認しておきたいんだけど、柊さんって黒鉄君と付き合ってないんでしょ?」
「……それが何?」
「黒鉄君からのアプローチもないってことだよね? それって普通に考えたら、黒鉄君は柊さんに興味がない証拠ってじゃない?」
「っ……」
凛々華が唇を噛み、英一を睨みつけた。
しかし、彼は余裕の表情で続けた。
「黒鉄君は最近、初音さんや井上さん、水嶋さんとも仲良くしてるし、高城さんと橘さんからも狙われてるみたいじゃん。もしも彼が柊さんに少しでも気があるなら、ハーレムを築くような真似はしないんじゃないかな。勘違いされたくないって思うのが普通だからね」
「……さっきから、何が言いたいのかしら?」
凛々華の鋭い問いかけに、英一は頬を吊り上げた。
「簡単だよ。黒鉄君のことは諦めたほうがいい。もう君はただの友達枠に入っていて、恋愛対象にはならないよ。それに、彼は来る者拒まずだから、きっと心労も多いしね。もっと一途な男と付き合ったほうが幸せになれるよ。たとえば、僕みたいなね」
「……はっ?」
凛々華は訳がわからないとでも言うように、眉をひそめた。
英一は胸を張り、得意げに続ける。
「柊さんだって薄々は気づいてたでしょ? 僕は柊さんのことが好きなんだ。黒鉄君みたいに曖昧な態度は取らないし、他の女子とも仲良くはしない。柊さんだけを見てるって約束する。だから、僕の彼女になりなよ」
それは、上から目線であることを除けば、概ね告白の内容としては悪いものではなかっただろう。誰であれ、大なり小なり自分だけを見てほしいという願望はあるはずだ。
しかし、凛々華は間髪入れずに答えた。
「悪いけど、お断りするわ」
「なっ……⁉︎」
英一は目を見開き、凛々華に詰め寄った。
「い、言っただろう⁉︎ 黒鉄君は脈なしだ! 潔く諦めたほうが——」
「そんなの、関係ないわ」
「……えっ? ど、どういうことだい?」
動揺する英一に、凛々華はいっそ憐れむような視線を向けた。
「黒鉄君が私のことをどう思ってるとか、そんなのは関係ないと言ったのよ。私にはただ、あなたとお付き合いするつもりがないだけだもの」
「……はっ? なっ、何でだよ! 今のままじゃ黒鉄君とはずっと友達止まりで、あいつが隣にいるせいで彼氏もできないんだぞ⁉︎」
「別に構わないわ。好きでもない恋人を作るより、彼と過ごしていたほうが楽しいもの」
「っ……あんな陰キャのどこがいいんだよ!」
英一は耐えかねたように叫んだ。
「友達も少なくて優柔不断で明るくもない、ただの根暗じゃないか! ちょっと才能があるだけの何も頑張っていないスカしてるやつの何がいいんだ⁉︎」
「彼が頑張っていない? それ、本気で言っているの?」
「っ……」
凛々華の瞳がスッと細められた。
その鋭い目つきに込められた明確な怒りに、英一は思わず頬を引きつらせた。
「あなたも知っているはずよ。彼が部活を諦めてバイトしつつ、残った時間で勉強もしていることを。それでも頑張ってないと言える? 彼がどれだけのものを犠牲にしているのか、少しは考えたことがあるの?」
「そ、そんなの、あいつが自分で決めた道じゃないか!」
英一が腕を振り回して叫んだ。
「そうよ。父子家庭の経済を助けるためにね」
「っ……」
英一は言葉を詰まらせた。
凛々華は畳みかけるように問いかけた。
「あなた、親からお小遣いはもらっている?」
「そ、それが何だって言うんだ! 高校生なら当たり前だろ!」
「そうね。でも、彼はもらっていないそうよ。趣味や遊びに使うお金は全部、バイト代でまかなっていると言っていたわ」
「っ……!」
驚きに目を見張る英一に、凛々華は冷ややかな目線を向けて続けた。
「彼に勉強や運動の才能があったから、一緒にいるわけじゃないわ。家のために自分の時間を犠牲にしてまで働く優しさや誠実さ、少ない時間の中で学業もおろそかにしていない努力家なところを好ましく思っているからこそ、他の人よりも彼といることを選んだのよ。趣味も合うしね」
「っ……そ、そんなの環境ゲーじゃないか!」
「そうかもしれないわね。でも、そんなことを言い出したらキリがないわ。それに、そもそもあなたと彼ではそういう能力以前に、もっと根本的な差があるわ」
「な、何だよ? 背の高さとか言うつもりかい?」
「本気でそう思っているのなら、驚きね」
凛々華は皮肉げに口元を歪めた後、鋭い眼差しで英一を見据えた。
「でも、そんなくだらないことじゃないわ。彼は桐ヶ谷君をいじめから助け、あなたは桐ヶ谷君や黒鉄君へのいじめを見てみぬフリをした。それがあなたたちの決定的な違いよ。その事実がある限り、私が彼よりもあなたを優先することはないわ」
「なっ……! で、でも、そんなのは元々友達もいない陰キャだからできたことじゃないか! それに、火のないところに煙は立たない! いじめられる奴にはそれなりの原因があるんだ! それなのに第三者がリスクを冒さなきゃいけないなんておかしいだろ!」
英一は喚き散らした。
凛々華は呆れたようにため息を吐いた。
「あなたは話の本質がわかっていないわね」
「はっ? な、何だと?」
「私は別に、議論がしたいわけじゃない。私にとっては黒鉄君の取った行動のほうが好ましいから一緒にいる。それだけの話よ。どちらが正しいとか、そんなことは関係ない。私の好みの問題だもの」
「そ、そんなのおかしい! ただの運じゃないか! 僕のほうが柊さんのために努力してきたのに、僕よりもあいつが選ばれるなんて不公平だろ!」
「運ではないわ。あくまで選択の結果よ。でも、そうね。あなたの土俵に立ってあげるなら、こう言えば諦めてくれるかしら」
凛々華は冷笑を浮かべて続けた。
「少なくとも彼は、今のあなたのように憶測で相手のことを悪く言わない。それだけでも、私はあなたよりも彼を選ぶわ」
「っ……! ふ、ふざけるな! 僕のほうが……! 僕のほうが柊さんのために努力してきたのに!」
声を震わせながら、英一は両手を握り締める。
彼の顔は赤く染まり、こめかみに青筋を浮かべるほどに怒りがにじんでいた。
「君はずっと黒鉄君ばっかり見て、僕のことなんて全然考えてもくれなかった……! 僕のほうが、柊さんに相応しいのに!」
「私に相応しいかどうかを決めるのは、あなたではなく私よ」
「——黙れっ!」
英一が叫び、バッと手を伸ばして、凛々華の腕を拘束した。
「な、何⁉︎ 離して!」
「うるさい! 君は黙って僕のモノになってればいいんだ!」
「っ……!」
英一の瞳が狂気に染まり、凛々華はただ息を呑んだ。
血走ったその瞳を前に、全身が凍りついたように動かなくなってしまった。
「やめ……っ! 近寄らないで……!」
声を震わせる凛々華を、英一がグイッと引き寄せようとしたその瞬間——、
「——そこまでだ」
「あがっ⁉︎」
鋭く低い声、続けて英一の悲鳴が聞こえ、凛々華を拘束する力が緩んだ。
「……えっ?」
凛々華は震えるまつげをわずかに動かし、おそるおそる目を開いた。
その視界に映ったのは、息を切らしながらも英一の腕を掴んでいる蓮の姿だった。
「くろ……がね、くん……?」
「遅れて悪かった。怪我はないか?」
蓮は英一を睨みつけていた鋭い目を和らげ、凛々華を優しく見つめた。
その瞬間、凛々華のまぶたの裏に熱いものが込み上げた。視界がにじみ、蓮の顔がぼやけた。
「おい、柊。大丈夫か?」
「っ……!」
蓮に気遣うような言葉をかけられ、凛々華は唇を噛みしめた。
気づけば、震える手が蓮の服を掴んでいた。そのまま、力の抜けた体を預けるように、彼の胸に飛び込んだ。
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