第76話 進展
並んで歩く蓮と凛々華の間には、沈黙が落ちていた。
校門をくぐったところで、蓮は口を開いた。
「なんか、悪いな」
「別に、あなたが悪いわけじゃないわ」
凛々華の口調は静かだったが、バッグの紐を掴む手には、わずかに力が込められていた。
「ただ……あなたのすごさがわかった途端に、見て見ぬふりをしていた過去なんてなかったかのようにああやってすり寄ってくるのが、ちょっと不愉快だっただけよ。水嶋さんや井上さんのように謝ることだってできるのに……それに」
凛々華の紫陽花のような紫色の瞳が、真っ直ぐ蓮を捉える。
「あなたも少し、不快に感じていたでしょう?」
「っ……よくわかったな」
蓮は目を見開いた。
「相変わらずわかりやすいんだもの」
凛々華がふっと頬を緩めた。そして、少し意味ありげな目を向けてきた。
「溜め込むのはあまりよくないと思うけれど。本人たちには言わなくても、愚痴くらいなら聞いてあげるわ」
「心配してくれてありがとな。でも、大丈夫だ」
蓮が軽い調子でそう言うと、凛々華がじっとりとした目線を向けてきた。どうやら信用されていないらしい。
無言の圧を感じて、蓮は苦笑しつつ続けた。
「……確かに早川を馬鹿にしながら褒められるのとかはちょっと嫌だったけど、本当に溜め込んでるわけじゃねえよ。愚痴とかは言う必要がないから言ってないだけ」
「どういうこと?」
わずかに眉を寄せる凛々華に、蓮は苦笑しながら応えた。
「柊が怒ってくれるからだよ」
「っ……!」
凛々華が目を瞬かせ、思わずといった様子で息をのんだ。
蓮は言葉を選ぶように一度視線を逸らし、頬を掻きながら続けた。
「腹立つことがあっても、近くに自分の代わりに怒ってくれる人がいると、なんか別にどうでもよくなってくるんだよ。俺が何も気にしないでいられるのは、柊のおかげなんだ。だから、その……ありがとな」
「っ……!」
凛々華は言葉を詰まらせた後、落ち着かないように視線を彷徨わせた。
そう、と小さくつぶやいた後、慌てたように付け加える。
「い、以前も言ったように、私は別に自分が不愉快だと思うから怒っているだけなのだけれど……まあ、それであなたの気が少しでも楽になっているのなら、一石二鳥かしら?」
凛々華は含み笑いをして、一瞬だけ蓮に視線を向けた。
蓮は苦笑しつつ、首を縦に振った。
「そうだな」
うまく話がまとまってよかった——。
蓮はほっと一息ついたが、凛々華にはまだ言いたいことがあるようだ。
「ところで——」
それまでよりはいくぶん柔らかく、それでもやや不満そうに切り出した。
「昼食のことだけれど、どうして自分だけ別で食べようとしたの?」
「えっ? いや、男一人はちょっと居心地悪いし、柊もたまには女子同士で食べるのも悪くねえかなって思ってさ」
「つまり、自分のためでもあり、私のためでもあったと?」
「まあ、そんなところだ」
蓮がうなずくと、凛々華は考え込むように黙り込んだ。
やがて、言葉を選ぶように、ゆっくりと口を開く。
「もしもあなたが彼女たちと一緒に食べたくないというのなら、それを止める権利は私にはないわ。ただ……私のためにというのなら、それは勘違いよ」
「えっ?」
蓮は思わず凛々華を見た。
彼女は一度視線を逸らした後、意を決したように蓮を見据えた。
「前にも言わなかったかしら? あなたよりも一緒に過ごしてもいいと思える相手はいないって。それは……今も変わっていないわ」
「っ——」
今度は蓮が息を呑む番だった。凛々華の真っ直ぐな瞳に気圧されたのだ。
ただ、それ以上に、どこかホッとしている自分がいた。
「……わかった。今後は気をつけるよ」
「えぇ、そうして。それにそもそも、私はあの二人が好きじゃないもの」
凛々華が唇を尖らせる。
あの二人とは、まず間違いなく亜美と莉央のことだろう。
「黒鉄君のすごさがわかってから、露骨に距離を詰めようとしているのが気に入らないわ。表面上のスペックだけで判断しているのが丸わかりじゃない——」
凛々華が一瞬、はっとした表情を浮かべ、誤魔化すように咳払いをした。
「……ごめんなさい。少し熱くなったわ」
「いや、それはいいんだけど……柊って、意外と俺のこと認めてくれてるんだな」
「っ……」
凛々華が、不意にぴたりと足を止めた。
しかし、すぐに少し早足で歩みを再開する。腕を組みながら、澄ました口調で、
「別に、客観的事実に基づいて判断しているだけよ。テスト期間中もバイトをしながら学年三位で、部活に入ってもいないのに球技大会で活躍しているなんて、普通のことじゃないわ。歓声もすごかったし」
「それ、だいたい柊にも当てはまるけどな。バイトはしてなかった代わりに学年一位だし」
「っ……」
凛々華がわずかに口を開いたが、言葉は続かなかった。
「ぷっ——ぐほっ!」
笑いを堪えきれなかった蓮は、見事に脇腹チョップの制裁を受け、その場にうずくまった。
「ドッジボールの豪速球の秘訣はこれか……」
「もう一発欲しいのかしら? やっぱりマゾなのね」
「だからそれやめろ⁉︎」
蓮が慌てて距離を取ると、凛々華はクスッと笑みをこぼした。
ふと、自分が笑っていることに気づいたのか、サッと口元に手を当てた。その頬は薄っすらと朱色に染まっていた。
しかし、これまでのように咳払いで誤魔化したりすることはなかった。
小さく息を吸い、進行方向に体を向ける。顔だけを蓮に向けて、
「往来ではしゃいでいたら目立ってしまうわ。さ、行きましょう」
「お、おう」
蓮は普段とは少し雰囲気の異なる凛々華に戸惑いつつ、その横に並んだ。
◇ ◇ ◇
球技大会における蓮の活躍は、あちこちで話題になっていた。
特に、バスケ部は彼の話題で持ちきりと言ってもよかった。
練習中はともかく、片付けの最中は選手もマネージャーも、蓮のプレーや彼を勧誘できないかという話で盛り上がっていた。
しかし、その話題に一切加わらない者もいた。英一である。
一人モップをかける彼の瞳は、どこか虚ろだった。
(今回のバスケ、僕が一番点を取ったのに、柊さんは全然僕のことを見てくれなかった……認めるよ、黒鉄君。僕は初動を間違えたけど、君は間違えなかった。その差が今、こうして響いてるんだよね)
そのことは、英一も前から薄々自覚していた。
だから、途中からは凛々華に直接アタックすることはやめて、さりげなくアピールするようにしていた。
(……でも、やっぱりそれじゃダメなんだ。彼女は少々思い込みが激しいみたいだしね)
球技大会を通して、英一は凛々華からの評価という観点において、自分と蓮の間には大きな差が生じていることを自覚した。
しかし、それはあくまで初動を誤ったからだと考えていた。
それ以上に、これまでの些細な言動や行動の数々が、凛々華に距離を置かれる原因となっていることに、彼は気づくことができなかった。
強引にでも凛々華に自分のことを知ってもらえば、まだ挽回のチャンスは大いにある——。
彼はそう信じていた。
「もう、手段を選んでいられる状況じゃないのかもしれないね……」
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