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第55話 陽キャの幼馴染に気味悪がられた

「トリックの肝心な部分を何もわからない子供にやらせるっていうのが、賢いよな。犯人は実際にやってないから証拠なんて出てこないし、子供は自分のした行為の意味をわからないから、疑われるような行動を取らないし」

「そうね。でも、やっぱりいくら酷い経験をしたからって、復讐に子供を巻き込むのは許せないわ。将来、自分が殺人に加担していたことを知ってしまったら、一生消えない傷を背負うことになるんだもの」


 そう言って、凛々華(りりか)はほんのりと眉をひそめた。


(正義感の強い柊らしい意見だな)


 (れん)が感心していると、心愛(ここあ)が「あっ」と小さな声を上げた。


「どうした?」

「シャーペン、教室に忘れちゃったみたい……。えへへ〜、またやっちゃった」

「仕方ないわね」


 凛々華は筆箱からシャーペンを取り出し、心愛に差し出した。


「これ、使って」

「ありがと〜、凛々華ちゃん! やっぱり頼りになるなぁ」

「別に、大したことじゃないわ」


 そう言いながら、凛々華はわずかに視線を逸らし、耳元が薄っすらと赤く染まっていた。


(相変わらずこういうのに弱いよな)


 蓮は凛々華に気づかれないよう、ひっそりと笑みを漏らした。


 今は理科の実験の最中だ。

 二つの班の合同実験で、蓮、凛々華、英一(えいいち)、心愛の班と、(いつき)結菜(ゆいな)蒼空(そら)、そして蒼空の隣の席の佐々岡(ささおか)那月(なつき)の班が合体した八人で行なっている。


 凛々華と結菜が中心となって、実験は滞りなく進んでいた。

 蓮と凛々華も小説に関して意見を交わしつつも、しっかり手は動かしていた。


 しかし、開始から二十分ほど経ったころ、事件は起きた。


「よっしゃあ、これを——あっ、やべ!」


 ——バシャッ!

 蒼空の焦った声に蓮が振り向いたときには、ビーカーは倒れ、中に入っていた水が、近くにあった凛々華のプリントや文房具類に思い切りかかっていた。


「ミスった……マジで悪い!」


 蒼空が顔を青くして、叫ぶように謝罪した。


「ごめん! 本当にごめん、(ひいらぎ)!」

「……やってしまったものは仕方ないわ。気にしないで」


 凛々華は動じることなく、冷静に言った。

 しかし、文房具類はともかく、プリントは見るも無惨に濡れており、文字が滲んで読めなくなっていた。


 運の悪いことに、凛々華が自分なりにメモ書きをしていただけではなく、実験の結果は彼女がまとめていた。

 効率を考えて、一人が結果をまとめておき、実験が終わってから他の者にも共有する方針を取っていたのだが、それが仇となった形だ。


「柊、服とかにはかかってねえか?」

「えぇ。大丈夫よ」

「とりあえず、乾かさないとね。雑巾持ってくるよ〜」

「ありがとう、初音(はつね)さん」


 心愛が席を離れた。

 蓮と凛々華はその間に、それ以上は被害が広がらないようにティッシュで机に広がった水分を吸い取りつつ、文房具などを避難させた。


「筆箱、中は濡れてないっぽいぞ」

「そう。よかったわ」


 間もなくして、心愛が戻ってくる。


「雑巾持ってきたよ〜」

「助かるわ」


 凛々華は二枚の雑巾で、プリントを挟んだ。

 文房具類も、広げた雑巾の上に並べていき、最後にくるんだ。


(これで、できることはないか)


 蓮は一度周囲を見回し、ノートを開いた。

 それまで手持ち無沙汰な様子だった英一が、「蒼空」と苛立ったような声を出した。


「ふざけて柊さんに迷惑をかけるのは良くないよ。彼女は君と違って、しっかりとメモも取ってるんだ。君の軽率な行動が、彼女のこれまでの努力を台無しにしたんだよ」

「うっ……」


 英一の理屈としては正しい、しかし容赦のない口撃に、蒼空はますます身を縮こまらせた。


早川(はやかわ)君。ちょっと落ち着いて」


 結菜が困ったように笑いながら、穏やかに口を挟んだ。

 英一はメガネをクイっと持ち上げ、鼻を鳴らした。


「僕は落ち着いているよ。ただ、責任の所在とその原因を明らかにしているだけだ」

「言いたいことはわかるんだけど、青柳(あおやぎ)君もわざとじゃないと思うから、そのくらいにしてあげてくれない? ね?」

「……ふん、そうやってみんなが悪者を庇うから、いつまでも同じ過ちを繰り返す人がいるんだろうね。それに、実験結果はどうするんだい? あれじゃあ、乾いたとしても文字が滲んで読み取れないと思うけどね」

「みんな、マジでごめん……」


 蒼空は普段の陽気さが消え、しょんぼりと謝った。


藤崎(ふじさき)さんの言うように、青柳君もわざとじゃないだろうから、そこまで落ち込まなくていいと思うよ」


 樹が励ますように言った。

 他の者の顔を、困り顔で見回す。


「でも、どうしよっか。やり直すか、他の班に聞くか——」

「いや、大丈夫だ」


 樹の言葉をさえぎり、蓮は周囲に直前まで書き込んでいたノートを見せた。


「記録は多分、これで間違いないと思う」

「えっ?」

「あなたまさか、記憶していたっていうの? 十回以上の実験結果を、小数点まで全部?」

「まぁ、一応な」


 呆れたように問いかけてくる凛々華に、蓮は控えめにうなずいた。


「この、ちょくちょく書かれてるメモは?」

「あぁ。さっき柊のノートを見せてもらってたから、覚えてる限り再現したんだ」

「えー、すごいね!」


 素直に感心する心愛の横で、凛々華は頬を引きつらせながらため息を吐き、じっとりとした目線を蓮に向けた。


「確かにすごいけれど、一周回って気持ち悪いわね」

「おい」

「でも、ありがとう。助かったわ」

「っ……おう」


 素直に感謝を告げられ、蓮は言葉に詰まった。


「さすが黒鉄(くろがね)君だね! それじゃあ、気を取り直して——」

「待って」


 場を仕切り直そうとした結菜の言葉を、英一がさえぎる。


「三回目の記録が違うんじゃないかい? 僕の記憶だと、五十四ではなく四十五だった気がするんだけど」

「えっ、そうだっけ? 私は五十四な気がするけど……」

「えぇ、五十四で間違いないわ」


 自信なさげな心愛に対して、凛々華は断言した。

 英一はたじろいだ。


「ど、どうしてだい?」

「だって、そうじゃないと規則性から外れるもの。でも、ここまでの実験はうまくいっていたし、もしもこんな外れ値があったならみんな覚えているはずよ。それに、黒鉄君の記憶が間違っているとも思えないわ」

「っ……!」


 英一が愕然(がくぜん)とした表情を浮かべた。

 凛々華の言葉は、彼女が英一よりも蓮を信頼していることを暗に、しかし明確に告げていた。


「柊さんは黒鉄君を信頼してるんだね!」

「っ……客観的事実に基づいた判断よ。彼の記憶力が怪物級なのは明らかだもの」


 結菜の言葉に、凛々華は小さく息を呑んだ後、そっけない口調で答えた。

 少し微妙な空気が漂う中、蒼空が凛々華に近づき、改めて謝罪をした。


「マジでごめんな、柊」

「データも無事だったのだし、そんなに気にすることはないわ」


 凛々華は苦笑して、肩をすくめた。


「意外と繊細なんだな、蒼空って」


 蓮が冗談っぽく言うと、蒼空はため息をついた。


「そうなんだよ……俺、バスケでもミスすると結構引きずっちゃってさ……」

「僕はすぐに切り替えられるけどね。くよくよ悩んでも仕方ないってわかってるから」


 蒼空と同じバスケ部の英一が得意げに言い、チラッと凛々華に視線を送る。

 しかし、彼女はそれに反応せず、代わりに一歩蒼空に近づいた。


「それなら、ちょっと視点を変えてみてはどうかしら?」

「視点?」


 蒼空がパチパチと目を瞬かせた。


「えぇ。今回、あなたはどうしてミスをしたの?」

「えっ? そ、それは……」


 蒼空は戸惑いつつも、考え込んだ。


「えっと、ふざけてて、ちゃんと手元を見てなかったから……」

「じゃあ、ミスをしないためにはどうしていれば良かったと思う?」

「……もっと慎重にやるべきだった」

「今後、同じ失敗をしないために気をつけることは?」

「うーん……周りをもっと見て、一つ一つの行動にちゃんと意識を向けて、軽率な行動を取らないこと、かな」

「そうね。それでいいと思うわ」


 凛々華は満足げにうなずいた後、わずかに表情を緩めて続けた。


「どう? 少しは気が楽になったかしら?」

「っ……!」


 蒼空が驚いたように目を見張った。ニカっと無邪気に、しかし少しだけ照れくさそうに笑い、


「あぁ! なんかモヤモヤが晴れたぞ、サンキュー!」

「それならよかったわ」


 すっかり表情も明るくなった蒼空に、凛々華も穏やかな笑みを浮かべた。


「すげえな、柊」

「彼はたんじゅ——素直だもの」

「今、単純って言いかけたろ」


 蓮がツッコむと、凛々華は思わずといった様子で、小さく笑った。

 すぐに咳払いをして澄ました表情に戻るが、その口元には笑みの余韻が残っている。


(柊は素直じゃねえな)


 蓮は思わず笑いそうになった。


「……何かしら? その視線は」

「いや、なんでもねえよ」

「……」


 凛々華が不満そうに眉を寄せたところで、結菜がパンパンと手を叩いた。


「じゃあ、そろそろ実験再開しよっか! 柊さんも黒鉄君も大丈夫?」

「あぁ」


 蓮は軽くうなずき、凛々華は無言で実験道具に手を伸ばした。


 こうして、彼らの実験は紆余曲折ありつつも、無事に終了した。

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