第50話 夏海の想い
「わぁ、すごい偶然だね!」
夏海は嬉しそうに笑って、小走りで近寄ってきた。
制服を着ており、肩からは部活用のエナメルバッグを提げている。
「だな。水嶋は部活帰りか?」
「うん! 今回のテストあんまり良くなったから、お母さんにもっと勉強頑張りなさいって言われちゃってさー。参考書でも買おうと思って立ち寄ったんだ。黒鉄君は小説を見てたの?」
夏海が蓮の手元を覗き込んでくる。
制汗剤の匂いが鼻先をくすぐった。
「あぁ。なんか面白いものでもないかと思ってな」
「そうなんだー。ビビッとくるもの、見つかった?」
「困ったことに何冊か見つかってな。ホイホイ買うわけにもいかないし、迷ってるところなんだ」
「そっか。じゃあ、今すぐ帰るわけじゃないんだね……」
「えっ?」
「あ、あのさっ!」
聞き取れなくて蓮が聞き返すと、夏海が思い切ったように切り出した。
「よかったらこの後、ちょっとお茶しない?」
「あぁ、いいぞ」
「えっ……ホントに⁉︎」
「なんでそんな驚いてるんだ?」
蓮が苦笑すると、元々赤らんでいた夏海の頬が真っ赤になる。
もじもじと両方の人差し指の先を合わせながら。
「い、いやっ、その……いきなりだったし、まさか承諾してくれると思わなくて」
「暇だったからな。それに、前はこっちの都合で断っちゃったし」
「えっ、覚えててくれたんだ?」
「当たり前だろ。つい最近のことだし」
蓮が何でもないようにうなずくと、夏海がパッと表情を輝かせた。
「そっかそっかー! じゃあ、この店を出たところで再集合でいい?」
「おう」
「わかった!」
夏海がイタズラっぽく敬礼をして、参考書コーナーに戻っていく。
同じ高校一年生でありながら、凛々華とは全く異なるキャラクターだ。
幼さの残る無邪気なリアクションは、少し遥香に似ているかもしれない。
さすがに中一と比べられたくはないだろうから、本人に言う気はないが。
蓮が支払いを済ませて五分ほどしてから、夏海が姿を見せた。
「お待たせー」
「おう。何の参考書を買ったんだ?」
「英語だよ。文法がよくわかんなくてさー」
「わかる。俺も苦手だ。特に助動詞がいつも迷うんだよな」
「あっ、一緒!」
などと話しながら、近くのカフェに入る。
注文する様子はすっかり様になっていた。凛々華には申し訳ないが、これが女子高生の普通なのだろう。
間もなくして、ケーキが運ばれてきた。
「わあ……!」
夏海が瞳を輝かせて写真を撮っている。
その様子を見てさすが女子と思っていた蓮だが、ふと凛々華がそういったことをしている記憶がないことに気づいた。
(やっぱり、柊もどこか世間一般とはズレてるんだろうな。でもまあ、そうでなきゃ俺と一緒にいようとはしないか)
「黒鉄君。どうしたの?」
「何がだ?」
「なんか笑ってたよ」
「えっ、マジか」
蓮は口元を抑えた。無自覚だった。
「悪い。気味悪かったな」
「ううん、そんなことないよ。ニヤニヤっていうよりは、なんだか穏やかな感じだったしね。もしかしてここ、前にも来たことあったりするの?」
「一回だけ来たことがあるな」
「あっ、そうなんだ……もしかして柊さんと?」
「いや、妹とだな」
「妹さんと? やっぱり仲良いんだね」
夏海が笑顔になる。どこか安堵しているように見えるのは気のせいだろうか。
「陸上の大会で負けて落ち込んでたから、ちょっと連れ出しただけだよ」
「だけ、じゃないよ。優しいんだね、黒鉄君は」
「兄なんだから当たり前じゃねえか?」
「それを当たり前だって思えるのが優しいと思うけど……でも、なんか黒鉄君っぽいかも!」
夏海が無邪気に白い歯を覗かせた。
真っ直ぐな賛辞に、蓮は少し照れくさくなった。
「サンキュー。でも、そうやって言ってくれる水嶋のほうが優しいんじゃないか?」
「そ、そんなことないよ! ほ、ほら、食べよう?」
慌てた様子でケーキを指差す夏海の顔は、その上に載ったイチゴのように赤くなっていた。
褒め上手な割には、自身が褒められることには慣れていないらしい。
「そうだな。食べるか」
「うん、いただきます!」
夏海は何かを誤魔化すように、勢いよくケーキを口に運んだ。
それから一、二時間ほど他愛のない話をしていると、陽が傾き始めた。
蓮は前回断っていた罪悪感もあり、まとめて払おうとしたが、自分から誘ったのに払わせるのは申し訳ないと夏海に遠慮され、会計は各自にした。
カフェを出ると、夏海はそれまでの楽しげな雰囲気とは打って変わり、どこか落ち着かない様子だった。
歩く速度も心なしか遅くなり、時折ちらちらと蓮を伺うような視線を送ってくる。
「ね、ねぇ、黒鉄君。まだ少し時間ある?」
ふいに口を開いた夏海の声は、普段の軽やかさを失い、どこか緊張をはらんでいた。
「ん? あぁ、大丈夫だ」
今日の夕食のメニューを考えれば、十八時までに家に帰れれば問題ない。
夏海はぎゅっと両手を握りしめ、小さく息を吸い込んだ。
「じゃあさ、ちょっとあそこの公園に寄っていっていい?」
「えっ? まあ、いいけど」
夏海の声は震えていた。
蓮は戸惑いつつ、了承した。
公園のベンチに並んで腰を下ろすと、夏海はしばらく膝の上で手をぎゅっと握りしめたまま、何かを言おうとしては飲み込んでいるようだった。
やがて、彼女は意を決したように顔を上げ、蓮に向き直った。
「あのね、黒鉄君。突然こんなことを言って困らせちゃうかもしれないけど……私、黒鉄君のことが好きなんだ」
「……えっ?」
蓮は何を言われたのか理解できず、夏海の顔をまじまじと凝視した。
夕陽に照らされたその顔は、夕陽が霞んでしまうほど真っ赤に染まっていた。
照れくさそうな表情で、それでも彼女は視線を逸らすことはしなかった。
小さく笑みを浮かべ、呆然としている蓮に言葉を続けた。
「数学のノートを運ぶのを手伝ってくれたとき、すごく嬉しかったんだ。みんなが見て見ぬふりをする中で、黒鉄君だけが手を貸してくれたよね」
彼女の声は震えていたが、真っ直ぐな想いが乗っていた。
「それから話すようになって、すごく楽しくて……。黒鉄君って背も高いし、勉強もできるし、か、顔も格好いいしっ……それに、妹さんを大事にしてるところとか、夕飯を作ったりしてるのも、すごいなって思って……」
言葉を重ねるごとに、彼女の頬はますます紅潮していく。
「いつの間にか、好きになってたんだ。だから黒鉄君……私と、付き合ってくれませんか?」
その言葉を聞いて、蓮の脳はようやくしっかりと現状を把握した。
(俺……告白されてるのか)
まず一番最初にやってきたのは、驚きだった。
最近よく話しかけてくるなとは思っていたが、まさか異性として好かれているとは考えてもいなかった。
次に、嬉しさがやってくる。
誰が相手であっても他人に好いてもらえるというのは嬉しいものだし、夏海のような明るくて元気な子と付き合ったら、きっと楽しいだろう。
——そう思うのに、どうしても蓮は彼女の想いを受け入れる気にはなれなかった。
「……ありがとう」
まずは感謝を伝えるべきだと、蓮は思った。
「でも、ごめん」
続けて申し訳なさそうに告げると、夏海は一瞬きょとんとした後、膝の上で拳を握りしめてうつむいた。
「そっか……そうだよね」
目を伏せたまま、夏海はポツリとつぶやいた。
その口元には、どこか自嘲気味の笑みが浮かんでいた。
「黒鉄君が金城君に理不尽な扱いを受けているとき、私は見て見ぬふりをしてた。そんな私が、黒鉄君に好かれるはずないもんね」
「っ……!」
蓮は言葉を詰まらせた。
「ごめんね。嫌な思いをさせちゃって」
「い、いや、別に嫌じゃねえけど……」
どう言葉を続ければいいのかわからないまま、蓮は歯切れの悪い返事をするしかなかった。
夏海はぐっと唇を噛み、誰がどう見ても無理をしているとわかる作り笑顔を浮かべた。その瞳には大粒の雫が浮かんでいた。
「今日は楽しかったよ。話を聞いてくれて、ありがとう!」
早口でそう言い残し、夏海は駆け出した。
「……はぁ」
蓮は浮かしかけた腰を下ろし、ため息を吐いた。
いつまでそうしていただろうか。
「……そろそろ帰んないとな」
沈みかけている夕陽を見ながら蓮が立ち上がったとき、背後から怪訝そうな声が聞こえた。
「——黒鉄君?」
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