第48話 陽キャの幼馴染は不満そうです
「ちょ、ちょっと待って。っていうことは、テスト真っ最中の土日も、どっちかは八時間バイトしてたってこと?」
亜里沙が焦ったように、蓮に問いかけた。
「土曜日にな。あっ、でも、昼休憩中に単語は見てたぞ」
「いやいや、そんなの普通は焼け石に水だよ」
亜里沙は手をひらひらさせ、苦笑した。
「頭いいのはわかってたけど、黒鉄君って本当にすごいんだね!」
夏海が感心したように目を丸くし、はにかむように笑った。
「そうか?」
蓮は首をかしげた。
自分でも勉強時間が少ないのは自覚しているが、それは中学から変わっていない。単に時間を割く対象がバイトに変わっただけだ。
長時間継続して集中力を発揮できる凛々華などとは根本から方向性が違うため、自分が特別などとは考えていなかった。
しかし、夏海は勢いよく首を縦に振った。
「そうだよ! だって、休日をほぼ一日つぶしてる上に、平日も三、四時間バイトしてるってことは、一週間のうちの五日間はまともに勉強の時間取れないわけでしょ?」
「まぁな。けど、テスト前一週間は部活がなくなった妹が夕食を作ってくれたから、その分勉強はできたぞ」
だからそんなに大したことじゃない、と蓮は暗に主張しようとしたのだが、
「……それって、逆に言えば、それまではずっと黒鉄君が夕食を作ってたってこと?」
夏海が戸惑ったように眉をひそめ、遠慮がちに尋ねる。
「あぁ。ウチは父子家庭だし、バイト前に時間があるときだけだけどな」
「……柊さんのこと言えないんじゃない?」
亜里沙が頬杖をつき、やれやれと言わんばかりにため息を吐いた。
「本当にその通りよ」
凛々華が小さくうなずきながら、スッと身を乗り出す。
まるで「ようやく味方が現れた」と言わんばかりの表情だった。
「そんな生活をしつつ三点差に迫っておきながら人外なんて呼ばれても、皮肉にしか聞こえないわ」
「いや、柊さんも十分人外だと思うけどね。合計で私たちと百点近い差をつけてるわけだし」
「……っ」
思わぬ反撃をくらい、凛々華は言葉を詰まらせた。
それだけの点差をつけている分、謙遜すれば遠回しに亜里沙たちを侮辱することになりかねない。
「まさしく神々の戦いだね」
夏海が苦笑しながら、感心したような、それでいて呆れたような声を漏らす。
「それは大袈裟だって。それにそんなことを言うなら、初音も外部でなんかやってたんじゃなかったっけ?」
蓮は気恥ずかしくなり、話題の矛先を心愛に向けた。
「うん。バレエのレッスンやってるよ〜」
「っ……」
心愛がのんびりとした口調で肯定すると、英一がビクッと肩を揺らした。
「初音さんもそっち側だったとは……ちなみにどれくらいの頻度で?」
亜里沙が苦笑いを浮かべながら尋ねた。
「普段は週三回で一時間半だけど、テスト期間中は週二回だから、そんなに影響はないよ〜」
「いや、あるでしょ。だって自主練習とかもしなきゃいけないんじゃないの?」
「まぁね〜。けど、バイトと違って自分で終わりを決められるから」
「そりゃ、そうだけど」
ニコニコと親指を立ててみせる心愛に、亜里沙が本日何度目になるかわからないため息を吐いて、肩をすくめた。
「それでいうと、黒鉄君はテスト期間だけ休ませてもらえないの?」
「休んでいいとは言われたけど、俺が休むと他の人に迷惑がかかっちゃうからな。ウチもともとそんなに人多くないし」
「自分も勉強で忙しいのに、他の人のこと考えられるなんてすごいね!」
「そんな大層なものじゃねえって」
夏海の真っ直ぐな賛辞に、蓮は苦笑してみせた。
「結論、黒鉄君は部活やってるよりも忙しいってわけね。改めて、そんな生活でその成績はやばすぎでしょ。勉強のコツとかあるの?」
「あっ、私も聞きたいっ!」
亜里沙が興味深げに尋ねると、夏海も瞳を輝かせて身を乗り出した。
「うーん、そんなにコツみたいなものはねえけど、俺は元々短期集中型だし、時間がないからこそ集中できるってのはあると思う」
「あー、確かにそれはわかるかも。夏休みの最終日とかね」
「そういうの、なんて言うんだっけ? おやすみ効果?」
「締切効果よ。夏休みに釣られないで」
心愛の言い間違いを、凛々華が苦笑しながら訂正した。
「あっ、それだそれだ。えへへ」
「あと、テスト二週間前から家では妹と携帯交換して、決まった時間だけお互いに使えるようにしてるから、そのおかげで勉強に集中できてるっていうのもあるな」
「へぇー」
亜里沙が驚いたように目を見開く。
「めっちゃいいルールだけど、妹さんが携帯預けてくれるんだ。何年生?」
「春から中一だな」
「中一で? それはすごいね。私もお兄ちゃんいるけど、中学になってから携帯預けるとか考えられないよ」
「そうなのか? ま、ウチの妹はちょっと子供っぽいとこあるしな。そのせいだろ」
昨夜もくすぐりを仕掛けてきた遥香のことを思い出し、蓮は頬を緩めた。
「それもあるかもだけど、それ以上に黒鉄君がちゃんとお兄ちゃんしてるからじゃない?」
夏海が瞳を細めて、くすぐったそうな、それでいて穏やかな笑みを浮かべた。
蓮は肩をすくめた。
「できてるといいけどな」
「ここでその答えが出てくる時点で、できてると思うよ〜」
心愛の緩い口調ながらも鋭い指摘に、蓮はうっと言葉を詰まらせた。
恥ずかしくなって視線を逸らすと、凛々華と英一がそれぞれ悔しそうな表情を浮かべていた。
(早川はわかるけど、柊はなんでだ?)
「柊、どうした?」
「っ……別に、なんでもないわ」
凛々華はわずかに息を呑んだ。すぐに視線を逸らした。
「そうか? ならいいんだけど」
蓮は素直に引き下がったが、凛々華の表情には明らかに影が落ちていた。
先程まで機嫌が良さそうだったのを考えると、少し心配だった。
昼休みになっても、凛々華の様子はどこかおかしいままだった。
不機嫌というよりは、どこか不満そうだ。
(……もしかして)
蓮は一つの可能性にたどり着いた。
「なぁ、柊」
「何かしら?」
澄ましてはみせているものの、やはりどこか険しい表情の彼女を真っ直ぐ見据えて、蓮はキッパリと言い切った。
「俺は、バイトのせいで柊に負けたとは思ってないからな」
「……えっ?」
凛々華はパチパチと目を瞬かせた。
「負けたのは悔しいけど、バイトをしていなければ、なんてことは思ってないから。俺はそもそも時間があったとしても、柊みたいに計画的に勉強できないタイプだからな。今回の勝ちはあくまで柊がちゃんと努力をした結果だから、堂々と誇っていいと思うぞ。時間が増えたからといって、俺の成績が上がるなんて保証もないわけだしな」
「……ぷっ」
蓮の言葉が終わると、どこかキョトンとした表情を浮かべていた凛々華が、一拍置いて吹き出した。
予想外の反応に、蓮は戸惑った。
「な、なんだよ?」
「いえっ……なんでもないわ。もしかして、励ましてくれたのかしら?」
凛々華が口元に笑みを残して尋ねてくる。
蓮は頬を掻きながら、気まずそうにうなずいた。
「まあ、なんとなく元気がないみたいだったからな」
「大丈夫よ。自分よりもあなたが褒められていたからといって拗ねるほど、子供じゃないわ」
そう肩をすくめてみせる凛々華の表情は、呆れているようだったが、同時に穏やかなものだった。少なくとも嘘を吐いているようには見えない。
だとするとなぜ不満そうだったのか、という疑問が残るが……、
(まあ、いいか)
陽の光に照らされている凛々華の淡々とした、しかしどこか柔らかい横顔を見れば、事情を尋ねる気にはならなかった。
心配事が消えたからだろうか。食べかけの卵焼きは、先程までよりも美味しく感じられた。
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