第47話 勝負の行方
金曜日の三限は数学の授業だ。
これで、すべてのテストが返却されることになる。
教室はどことなく浮ついた空気に包まれていた。
これでやっと、テストという呪縛から完全に解放されるのだから無理もない。
しかし、蓮と凛々華の間には違った意味での緊張感が漂っていた。
罰ゲームをかけた勝負をしていたからだ。
「十点差か……ちょっと厳しいな」
「一教科にしては大きい差だけれど、数学はあなたが一番得意であり、私の最も苦手な教科だから、まだ油断はできないわね」
「二人ともまるで戦地に向かう兵士みたいな表情になってるね〜」
背後から、心愛の教室に差し込んでいる春の陽光のように朗らかな声が聞こえた。
「そう言う初音は、なんかいつも通りって感じだな」
「ん〜? まあ、二人には負けちゃったしね〜」
心愛と英一を交えた四人での総合点を競う勝負は、現時点で凛々華、蓮、英一、心愛の順だ。
しかし、二位の蓮と三位の英一の点差は約三十点ほど開いているため、英一と心愛が凛々華と蓮を抜かすのはほぼ不可能だった。
しかし、三位争いは首位争い以上に白熱していた。現時点で英一が勝っているとはいえ、その差はたったの四点。
数学は男子のほうが得意な傾向にあるとはいえ、十分に射程圏内といえた。
現に英一の頬は緊張で引きつっていた。
プライドの高い彼にとって、四人の中で最下位になるのは避けたいのだろう。
一方の心愛は、緊張感のかけらもない緩んだ表情を浮かべている。
英一との勝敗は、彼女にとってはさほど重要なものではないようだ。
(なんというか、初音らしいな)
蓮がそう苦笑していると、数学の教師がクラスに入ってきた。
じわじわと緊張感が支配する中、出席番号順にテスト用紙が返却されていく。
「黒鉄君——」
「はい」
受け取った答案用紙の点数を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
九十二点だった。
(……やべぇ)
決して悪い点数ではない。むしろ普通に高得点だ。
だが、一緒に勉強していた感じ、凛々華が八十二点未満を取るとは到底思えなかった。
点数は授業後の休み時間に見せ合う約束だが、それぞれの反応で大体はわかる。
心愛は驚いたように目を見張っており、英一は眉を寄せていた。前者は思ったよりも点数がよく、後者はその逆なのだろう。
凛々華は、テスト用紙を受け取っても眉ひとつ動かさず、淡々とした表情を崩さなかった。
授業が終わると、四人は心愛の「せーの」という掛け声に合わせて、答案を見せ合った。
「……っ」
凛々華のテスト用紙の上に八十五という数字を見つけた瞬間、蓮はガックリとうなだれた。
一方、蓮の答案を見た凛々華は、意外そうに目を瞬かせる。
「あら、思ったより低かったのね」
「おい、傷をえぐるな」
「それは申し訳なかったけど……」
凛々華はニヤリと笑い、ゆっくりと宣言する。
「私の勝ち、ね」
「やっぱりすげえな、柊は」
蓮は悔しさを覚えつつも、素直に負けを認めた。
「安定してるし、一番苦手な教科で八十五はすげえよ」
「あなたに教えてもらったおかげだけれどね。わざわざ私に合わせた解き方も教えてくれたし、意外と教師の才能あるんじゃないかしら?」
「それは大袈裟だろ」
「いや、大袈裟じゃないと思うよ〜」
そう口をはさむ心愛のテスト用紙には、赤い文字で九十七と書かれていた。
「私、数学でこんな点数とったの、中学の初めのテスト以来だもん。いくら入学して第一回のテストは簡単とはいえ、黒鉄君に教えてもらってなかったらここまでは取れなかったよ。ありがとね〜」
「いや、九十七に関しては実力がないと取れないだろ」
「すごいわね……最後の問題以外、全部正解じゃない」
心愛の答案を覗き込み、凛々華が感嘆の声を漏らした。
「えへへ〜、黒鉄君に教えてもらったおかげで、なんかコツみたいなの掴んだんだよね〜。だから、私も黒鉄君は教師の才能あると思うな!」
「そんなのなくていいから、あと四点欲しかったな」
「あはは、黒鉄君も結構負けず嫌いなんだね〜」
心愛が楽しげに肩を揺らした。
蓮は肩をすくめてみせながら、凛々華にチラッと視線を向けて、
「柊ほどじゃないけどな」
「ちょっと、どうしてそこで私に振るのよ」
「うんうん、相変わらず仲良しだね〜」
「どこがだ」
「どこがよ」
「「——あっ」」
またもや、蓮と凛々華はツッコミのみならず、声が重なったことに対するリアクションまで被ってしまい、赤面した。
「そういうところだよ〜」
「「っ……!」」
心愛にクスクスと笑われ、彼らはさらに頬を染めた。
「くそ、計算ミスがなければあと十点は取れたのにっ……」
英一のその悔しそうなつぶやきには、誰も反応しなかった。
彼の答案用紙には八十三の文字が並んでいた。
心愛に抜かれて最下位に転落したわけだが、誰もそのことには触れなかった。
凛々華が蓮の答案用紙に手を伸ばす。
視線を落とした瞬間、彼女は眉をひそめた。
「なんで大問一の計算で二問も落としているのよ。これがなければあなた、私に勝ってたじゃない」
「本当だ〜。黒鉄君、もったいないことしたね〜」
そう。蓮は落とした八点のうち、実に半分の四点が、最初の計算問題での初歩的な計算ミスによるものなのだ。
「……というか、残りの四点も計算ミスじゃない。思った以上に点数が低いからおかしいと思ったけど、凡ミスがなければ百点取れてたわよ」
「凡ミスはみんなあるし、最終的な結果がすべてだろ。そもそもミスも実力のうちだしな」
蓮が肩をすくめてみせると、凛々華は少し目を見開いた後、ふっと微笑んだ。
「あなたらしいわね。そういう潔いところは嫌いじゃないわ」
「うんうん、言い訳をしないで負けを認めるって格好いいと思うよ〜」
「……まあ、褒め言葉として受け取っておくよ」
「ねぇ、結果はどうだったの?」
苦笑いをしている蓮の背後から、夏海が尋ねてきた。
振り返った蓮が過程を含めて結果を伝えると、夏海とその後ろの席の亜里沙が「「ワオ」」と声を重ねた。
「一位、二位争いと三位、四位が最後までもつれこむとか、めっちゃいい勝負じゃん」
「柊さんはさすがだけど、黒鉄君もヤバいね。あなたも十分人外じゃない」
亜里沙が呆れたように言った。
以前、蓮が凛々華のことを人外と評したからだろう。
「っていうか、初音さんもすごいじゃん。ごめん、いつも遅刻寸前だから、勝手にあんまり勉強は得意じゃないと思ってたよ」
「えへへ、すごいでしょ〜」
心愛がニコニコ笑ってピースをした。
嫌味のないその態度に、和やかな空気が流れる。
「というか、四人ともレベル高すぎでしょ。早川君も惜しかったね」
「まぁね」
亜里沙が慰めるように英一に声をかけると、彼は肩をすくめた。
「部活が休みになってからの一週間は僕なりに頑張ったんだけど、ちょっと詰めが甘かったよ」
「まあ、それはあるかもね〜。三人は部活はしてないんだっけ?」
亜里沙の問いに、蓮と凛々華と心愛は揃ってうなずいた。
「あれ、でも黒鉄君ってバイトしてなかったっけ? 確か、平日は週四日で四時間前後、土日はどっちかで八時間くらいって」
夏海が尋ねてくる。
彼女とは最近、一日数通ずつではあるが、メッセージのやり取りをしている。そのときにバイトの話をした記憶がある。
「そうだな」
「えっ、それ普通に、部活やってるより時間なくない?」
「さ、さすがにテスト期間中は休ませてもらってたんだろう?」
驚く亜里沙に重ねるように、英一が頬を引きつらせて尋ねてくる。語尾が震えていた。
蓮は首を横に振った。
「いや、普通にいつも通りシフト入ってたぞ」
「なっ……⁉︎」
「「「えっ……?」」」
英一が顔色を青ざめさせながら息を呑み、心愛と夏海と亜里沙は呆然とした表情で目を瞬かせた。
三者三様ならぬ四者四様の驚きを見せる中で、唯一凛々華だけが、呆れたように半眼になりながらため息を吐いた。
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