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第34話 陽キャの幼馴染を家に招いた

「く、黒鉄(くろがね)君の家っ?」


 凛々華(りりか)が素っ頓狂な声を上げた。

 予想外の提案をされて動揺しているようだ。


 (れん)はあごを引いた。


「あぁ。夜風は冷たいし、女の子が夜に一人でいるのは危ないだろ」

「っ……門扉の内側にいるから大丈夫よ。第一、こんな時間にお邪魔したら迷惑でしょう」

「全然いいぞ。十時とか十一時くらいなら誰も寝てないし、置いていくほうが心配だ。それに、柊と話すのは楽しいからな」

「っ……!」


 蓮が軽い調子で言うと、凛々華はピタリと動きを止めた。

 目線を逸らしながら、小さな声で言った。


「……そう。なら、お言葉に甘えてお邪魔させてもらおうかしら」

「おう。それじゃ、行こうぜ」


 蓮の家までの短い道のり、凛々華は借りてきた猫のように落ち着かない様子で、彼の半歩後ろを歩いていた。

 いつもピンと張っている背筋は丸まり、視線もうつむきがちだった。


「もしかして、不安か?」

「えっ?」


 凛々華が驚いたように顔を上げた。

 蓮は安心させるように微笑みかけた。


「大丈夫だ。ウチも父さんはまだ帰ってきてねえけど妹はいるし、リビングで過ごしてもらうから」

「そこは心配していないわ」


 凛々華が肩をすくめた。

 相変わらず表情は固いように見えた。


「大丈夫か? まさか、大翔(ひろと)の取り巻きから何かされたりしてねえよな」

「えっ? えぇ。一切の接触もないわ」


 驚いたように瞳を見開くその様子は、演技には見えなかった。


「ならいいけど、鍵を忘れるとからしくねえし、ちょっと疲れてんじゃねえか? 色々あったし」

「……そうね。そうかもしれないわ」


 凛々華はまるで他人事のようにつぶやいた。

 何か、自分の異変に心当たりがあるような様子だった。


「ま、無理はすんなよ。朝だって、もし休むなら連絡くれればいいし」

「別に体調が悪いわけではないわ。それに、休んだらノートが取れないじゃない。あなたも初音(はつね)さんもだいたい寝ているのだから」

早川(はやかわ)は真面目だぞ」

「私が彼のことをどう思っているのかは知っているわよね?」


 蓮が軽い気持ちで英一(えいいち)の名前を出すと、凛々華の声のトーンが低くなった。

 思っている以上に、彼女の中では鬱憤(うっぷん)が溜まっているようだ。


「悪い。今後はあんまり名前は出さねえから」

「金輪際そうしてもらえると嬉しいわ」


 歯に衣着せぬ物言いに、蓮は苦笑いを浮かべた。


 程なくして黒鉄家に到着した。

 凛々華が息を呑む気配がした。頬も再び強張っているように見える。


「そんな緊張する必要はねえぞ。豪邸でもねえんだし」

「別に緊張なんてしてないわ」

「そうか」


 蓮は笑いをこらえながら、扉を開けた。

 パタパタと足音が聞こえた。妹の遥香(はるか)がひょこっと顔を出した。


「おかえり、兄貴。バイトお疲れ——って、えぇっ⁉︎」


 遥香は蓮の後ろに立つ凛々華を見て、驚いたように大声を出した。


「ちょ、まさか兄貴の彼女⁉︎」

「えっ?」

「違えよ」


 凛々華が間の抜けた声を漏らす中、蓮は淡々と否定した。

 眉を寄せて、妹に釘を刺しておく。


「遥香、初対面でいきなりそういうのは失礼だぞ。彼女はクラスメイトの柊凛々華さんだ。家の鍵を忘れたみたいで、親が帰ってくるまでウチにいてもらうだけだから」

「あっ、そういうことか」


 遥香が凛々華に視線を向け、居住まいを正して頭を下げた。


「ごめんなさい。あんまり綺麗な人だったので、つい勘繰っちゃいました」

「っ……別に、気にしていないわ」


 凛々華は小さく息を呑んだ後、視線を下にそらした。

 言葉とは裏腹に、耳元までほんのり赤色に染まっている。


(ここまでストレートに綺麗って言われれば、そりゃ照れるよな)


 蓮は微笑ましいものでも見るような目線を向けた。

 ——その瞬間、脇腹に鋭い痛みが走った。


「痛え⁉︎」


 凛々華が脇腹をつねってきたのだ。


「な、なんでだっ?」

「腹立たしい表情を浮かべていたからよ」

「おい、理不尽だろ」


 蓮が抗議の声を上げると、凛々華は腕を組んでそっぽを向いた。

 さらに追及しようとすると、クスクスと笑う声が聞こえた。遥香だった。


「兄貴と柊さんって、仲良いんですね」

「お前、たった今つねられた兄を見てそう思えるのか?」

「うん!」


 蓮がじっとりとした目線を向けると、遥香は満面の笑みでうなずいた。


「だって、女の子が男の子に手を出すのは親愛の証だもん。ね、柊さん?」

「そ、そうとは限らないと思うのだけれど」

「えー、そうですか?」


 遥香がニヤニヤと笑いながら、凛々華の顔を覗き込んだ。


「でも、変に戯れあったら勘違いされても面倒だから、ある程度好意のある男の人以外には触らないって、部活の先輩が言ってましたけど」

「っ……!」


 凛々華の頬がサッと朱色に染まった。

 何か言いたげに口をパクパクと開閉させたが、言葉は発せられなかった。


 遥香は「かわええのぅ」とでも言いたげな、実にいい笑顔を浮かべてうなずいている。

 誰が相手でもすぐに懐に飛び込める才能のある彼女にとって、ピュアな反応を見せる凛々華は格好の餌食なのだろう。


 蓮は助け舟を出すことにした。


「ま、そこらへんの感覚は人それぞれだろうし、遥香もあんまり柊を揶揄うなよ。ユニフォームになったときに脇腹に青あざあったら嫌だろ……イテテテテ!」


 蓮は再び凛々華に脇腹をつねられ、悲鳴を上げた。先程よりも容赦がなかった。

 うずくまった蓮を、遥香が呆れたように苦笑いを浮かべて見下ろした。


「本当、兄貴ってデリカシーないよねぇ。変なところで気遣いはできるのに。あっ、それとも意外とマゾだったり?」

「するか」


 被せるようにツッコみ、蓮は立ち上がった。


「それより遥香、夕飯は食べたか?」

「うんっ、ごちそうさまでした! めちゃくちゃおいしかったよ、鍋。まるまる三杯食べたもん」

「そりゃ良かった」

「兄貴もすぐ食べる?」

「おう」

「わかった! じゃあ準備しちゃうね——あっ」


 軽い足取りで台所に向かいかけ、遥香は振り向いた。


「柊さんも食べます?」

「私? 私は気にしてもらわなくていいわ。夕食はすでに済ませているもの」

「一口だけ食べません? 兄貴のご飯、めっちゃ美味しいんですよ!」


 遥香が拳を握って力説した。

 凛々華の眉がピクッと動いた。


「そ、そうなの? じゃあ……少しだけいただこうかしら」

「別にいいんだぞ、柊。いらないならいらないって言って。遥香もあんまり押し付けるなよ」

「いえ、せっかくなら少し興味もあるもの」


 凛々華の口調は淡々としていたが、どこか楽しみにしているようにも見えた。


「ならいいんだけど。じゃあ遥香、頼む」

「了解しましたー!」


 遥香はご機嫌な様子で、台所に姿を消した。


「悪いな。うるさかっただろ」

「構わないわ。可愛いじゃない」


 凛々華が台所に視線を向けたまま、頬を緩めた。

 蓮は思わず、穏やかな横顔をまじまじと見つめてしまった。


 視線に気づいたのか、凛々華はほんのりと眉を寄せて、横目で蓮を見た。


「……何かしら?」

「いや、柊はああいう積極的なタイプ苦手かと思ってたから、ちょっと意外で」

「そんなことはないわ。悪意がないのはわかるし」

「よかった。受け流してくれてたけど、内心イラついてんじゃねえかって心配してたんだ」

「確かに驚きはしたけれど、問題ないわ」

「なら安心だな」


 蓮は胸を撫で下ろした。

 洗面所やトイレの場所を教えた後、何気ない雑談を交わしていると、台所からどことなくいい匂いが漂ってきた。


「美味しそうな香りね」

「味の保証はできねえけどな」

「妹さんの反応を見る限りは大丈夫そうだけれど」

「あいつはなんでも美味しいって言ってくれるからな」


 蓮は苦笑した。

 凛々華がハッと目を見開いた。


「どうした?」

「いえ……なんでもないわ」


 凛々華が首を振ったそのとき、


「お待たせしましたー!」


 台所から、遥香の元気な声が届いた。


「サンキュー! じゃあ、食べるか」

「えぇ」


 凛々華がすくっと立ち上がった。

 スタスタと歩き出そうとして、足元に置いていた自身のバッグにつまずいた。


「わっ……!」


 咄嗟の声が漏れ、凛々華の体が前のめりに揺れる。

 その瞬間、すぐそばにいた蓮が素早く反応し、肩を掴んで支えた。


「っと」

「大丈夫か?」

「っ……え、えぇ、ごめんなさい」


 顔を伏せたままの凛々華の声はか細かった。

 じわじわと耳まで赤く染まり、気まずそうに唇を噛んだ。


「やっぱり今日、ちょっと変だぞ。休んでるか?」


 蓮は彼女の様子を探るように、顔を覗き込んだ。

 凛々華はその言葉に一瞬ピクッと肩を震わせたものの、すぐに首を横に振った。


「い、いえ、大丈夫よ!」


 それ以上話を続けられたくないのか、彼女は蓮と視線を合わせないまま、わずかに早足で台所のほうへ歩き出した。


「体調が悪いわけじゃなさそうだけど……やっぱり変だよな」


 蓮は首をかしげつつ、彼女の後を追った。

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