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第193話 蓮の誕生日④ —プレゼントと、凛々華の伝えたいこと—

 ダイニングテーブルの上は、二人分とは思えないほどのお皿で埋め尽くされていた。

 ハンバーグ、唐揚げ、ミートボールにポテトサラダ……男子高校生ならバイキングで必ず選ぶであろうおかずが少しずつ並び、食欲をそそる匂いが部屋に満ちている。


「結構時間かかったな」

「誰のせいよ」


 凛々華(りりか)がじっとりした眼差しを向けてくる。

 (れん)は誤魔化すようにそっぽを向き、口笛を吹いた。


「息しか出てないじゃない……ほら、座って。冷めてしまうわよ」

「それはそうだな」


 向かい合わせに座り、両手を合わせると——蓮は早速ハンバーグに箸を伸ばした。


「ん、うまっ……! うん、これもうめえ……! マジで全部美味いぞ」

「ふふ、良かったわ」

「でもさ。俺には全部ドンピシャだけど、凛々華はちょっと濃いんじゃね?」

「構わないわ。ソースは少なめにしているし、これは全部……蓮君のためのもの、なんだから」


 その瞬間、蓮は箸を置いて立ち上がっていた。


「れ、蓮君っ?」

「——ありがとな」


 戸惑う彼女の横に回り込んで、そっとキスを落とす。


「ん……しょ、食事中に立ち上がるのは、行儀悪いわよ……っ」

「はは、ごめん。でも、ちょっと我慢できなかった」

「もう……相変わらず、防御力が低いわね」


(いや、何気なく笑った顔ですら、火力が高すぎるんだよ……)


 それに今は、手料理という最強の武器を装備している、鬼に金棒状態だ。

 ——手料理ゆえに、食事に意識を戻すこともできたわけだが。


 そんなふうに食べ進めていると、自然と言葉が漏れた。


「幸せだな……」

「きゅ、急にどうしたのよ?」

「いや……誕生日に彼女の手料理が食えるって、最高だなって思って」

「っ……まあ、そうね。おしゃれなレストランもいいけど……こういう静かな時間も好きだわ」

「ああ。俺も」


 照れくさそうに笑い合った、ちょうどそのとき。

 凛々華のスマホが、バイブ音を鳴らした。


詩織(しおり)さんからか?」

「えぇ……帰るの、十時は過ぎるみたい」

「そっか……」


 蓮は咄嗟に、腕時計に目を落とした。

 顔を上げると、視線が再び交差するが——今度は同時に逸らしてしまう。


 決して居心地は悪くないけれど、少しだけ気まずい沈黙が、その場を包み込んだ。


(まいったな……)


 蓮は思わず、首の後ろに手をやった。

 ——()()()()を意識するなというほうが、無理な話だった。




◇ ◇ ◇




「ごめんなさい。片付けまで手伝ってもらって」

「いいよ。二人でやったほうが早いし——凛々華とだったら、なんでも楽しいからさ」

「ま、またすぐにそういうことを言って……っ」


 凛々華はサッとうつむいたが、すぐに顔を上げて、どこかイタズラっぽく微笑む。


「でも——早く終わらせれば、その分二人の時間が取れるものね?」

「え……」


 蓮は思わず息を呑んだ。

 視線を逸らせないでいると、凛々華の頬がじわじわと熱を帯びていく。


「そ、それじゃあっ、ちょっと待ってて!」


 彼女は耐えられないとばかりに叫ぶと、足元をもたつかせながら、リビングを出ていった。

 蓮はソファーに体を沈めた。


「……勘弁してくれ……」


 計算ではないとわかるだけに、余計タチが悪い。すでに色々とギリギリの状態だ。


(いや……落ち着け、俺)


 蓮が深呼吸を繰り返して自分を落ち着かせていると、凛々華はほどなくして戻ってきた。小さなラッピングの箱を抱えている。


「えっと、気に入らなければ、無理に使う必要はないのだけれど……誕生日おめでとう、蓮君」


 その中身は、深いブラウンのブックカバーだった。


「これ……ブックカバーだよな? しかも、革じゃん。すげえ……っ」


 蓮は息を呑み、おそるおそる手に取った。革特有の匂いとぬくもりが伝わってくる。

 角のステッチも丁寧で、見ただけで上質なものだとわかった。


「せっかくだから、長く使えるものじゃないともったいないでしょう? いえ、違うわね……」


 凛々華はすぐに、自分の言葉を打ち消した。

 ほんのりと頬を染めて、そっと蓮を見上げる。


「本当は、蓮君にずっと使ってほしくて、選んだの」

「そっか……マジで嬉しいよ。ありがとう」


 凛々華は安堵するように表情を和らげ、もうひとつ、小さな冊子を差し出してくる。


「それと、これはおまけみたいなものだけれど」

「これ……アルバムか?」

「えぇ。写真、整理してみたの。蓮君みたいに動画にはできなかったけれど……こういうのも、悪くないかなと思って」

「めっちゃいいよ。なんか、紙だと味があるっていうか……よりエモいな」


 蓮がスッと表紙をなぞると、凛々華が瞳を細めて、


「本も紙派だものね」

「おう。だから、ブックカバーはマジでありがたいよ。……なんか、凛々華のセンスの良さを見せつけられた気がする」

「あんまり期待値は上げないでよ。来年以降、困ってしまうから」

「うん……正直、俺も色々詰め込みすぎた気はしてて、次からどうしようって悩んでた」


 蓮は苦笑いを浮かべた。


「ふふ、蓮君がたくさん頑張ってくれたから、ちょっと大変だったのよ? もちろん、すごく嬉しかったし、その……準備するのも、楽しかったけれど」

「だな。お互い、ほどほどに頑張ろうぜ。——これから、何回もあるんだから」

「えぇ……そうね」


 凛々華が照れくさそうに微笑む。


(誤魔化さないで、しっかり受け止めてくれるんだな……)


 自分から未来の話をしておいて、急に気恥ずかしくなった蓮は、過去への逃避を試みた。


「じゃ、じゃあ、せっかくだし見せてもらうよ」


 フォトアルバムを開くと、水族館に併設している公園で、夕焼けをバックに照れくさそうにする蓮の姿が飛び込んできた。

 下には手書きで、「私が最初に撮った写真」と添えられている。


「そっか。じゃあ、このとき以降ってことか」

「えぇ。だから、ちょっと物足りないかもしれないけれど」

「いや、だいぶ量あるぞ」

「そ、それはそれで、恥ずかしいのだけれど……」


 瞳を伏せる凛々華の頭を撫でながら、蓮はフォトアルバムに視線を戻した。


「……隠し撮り、多くね?」

「だって、隙だらけなんだもの」


 凛々華の指先が、膝に乗せた猫を見つめる蓮の写真を指差す。


「これとか、無防備すぎるわよね。人のこと言えないくらい夢中じゃない」

「変なとこ撮るなって……あーもう、この顔もやべえな」

「ふふ、かわいいわよ?」

「うるせえ」


 思わずそっぽを向くと、凛々華がくすくす笑った。


『寝落ちしている。あどけない寝顔』

『デザートを食べている。幸せそう』


 写真のすべてに、短いけれど気持ちのこもったコメントが添えられていて、なんだかむず痒い。


「全部に何か書くの、大変だっただろ」

「いえ、その……一言にまとめるほうが、大変で……」

「……そっか」


 自然と凛々華の肩を抱いていた。

 彼女も素直に体重を預け、肩先に頭を乗っけてくる。


「はは、今日はいつもより甘えん坊だな」

「わ、悪い?」

「いや——嬉しいよ」


 蓮は膝元にフォトアルバムを乗せて、静かにページをめくった。

 笑い合ったり、揶揄われたりしているうちに、いつの間にか最後のページにたどり着いていた。


 そこには、身を寄せ合って微笑む二人の姿。

 そして——凛々華の嘘偽りのない想いが添えられていた。




 ——最初は、芯が通っているけどひねくれている男の子、という印象でした。

 けれど、一緒に過ごしていくうちに、不器用だけれど優しい人なんだって知って、気づいたときには惹かれていて……


 デートに誘っても、全然好意に気づいてくれなかったときはヤキモキしたけれど、告白してくれたときは、本当に嬉しかったわ。

 すれ違ってしまうこともあったけれど、今ではそれすらもかけがえのない思い出で……いつしか、蓮君の隣が一番安心できる場所になっていたわ。


 素直になれなくて、困らせてしまったことも多かったと思います。

 それでも、こんな可愛げのない私を受け入れてくれて、甘えさせてくれて、本当にありがとう。

 私が今、幸せな時間を過ごせているのは、紛れもなく蓮君のおかげです。


 改めて、誕生日おめでとう。

 でも、それよりも伝えたいことがあります——。




 そこで、文章は終わっていた。


「凛々華、これ、最後……」

「えぇ……」


 凛々華の瞳は、まっすぐ蓮を見つめていた。


「——愛しているわ、蓮君」


 その言葉は、じんわりと蓮の胸に染み渡った。

 気づけば、凛々華を抱き寄せ、優しく唇を重ねていた。


 もう、言葉はいらなかった。

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