第185話 凛々華の反撃と、かすかな異変
ホワイトデーの翌朝。
蓮がいつものように柊家のインターホンを押すと、すぐに扉が開いた——が。
「お、おはよう……」
凛々華の挨拶はどこかぎこちなく、その表情も微妙に硬い。
(……なんか、変だな)
違和感を覚えた瞬間、ふと視線がある一点で止まる。
「っ……!」
サラサラと揺れる紫髪の奥——そこに、昨日プレゼントしたイヤーカフが、朝の光を受けてさりげなく輝いていた。
「あ、それ……」
蓮が声を漏らすと、凛々華は一瞬、肩をビクッとさせる。
視線を逸らしつつ、髪を耳にかけ直しながら、
「せ、せっかくだから……つけなければ、もったいないでしょう?」
「そうだな」
蓮は笑いながら、イヤーカフを撫でるように、彼女の頬に手を添えた。
「ちょ、ちょっと……っ」
凛々華は途端にオロオロと目を泳がせ、周囲に視線を走らせた。
(ん?)
その動揺に、蓮は一瞬キョトンとし——すぐに、ふっと口元を緩める。
「大丈夫。さすがにキスはしねえよ」
「っ……!」
凛々華はみるみる赤くなり、唇をそっぽを向いて尖らせた。
「……蓮君なら、やりかねないもの」
「信頼ねえな」
蓮は思わず苦笑すると、凛々華が流し目を向けてくる。
「実績があるでしょう?」
「それは認める」
「なにサラッとしてるのよ」
軽快な応酬に、二人の間に自然と笑みがこぼれた。
「ぼちぼち行くか」
「えぇ」
そうして、いつものように手を繋ぎながら、ゆっくりと歩き出した。
当然、凛々華のイヤーカフは注目の的になった。
夏海は部活の朝練でいなかったが、亜里沙と心愛はすでに登校していて、早速目をつけた。
凛々華はこれまで、イジられたときは照れながらも微笑むか、脇腹チョップを繰り出すかの二択だったが——この日は違った。
「柊さんが学校にこういうの付けてくるの、珍しいね」
亜里沙の揶揄うような声に、彼女は小さく息を呑んだが——
すぐに視線を戻し、ニヤリと口の端を持ち上げた。
「井上さんこそ、そのブレスレット、とても似合ってるわよ」
「っ……!」
亜里沙がハッと手首を背後に隠した。
その指先は小刻みに震え、耳の先まで赤くなっている。
「ホワイトデーのお返し? 彼氏さんもやるね〜」
「ま、まぁ……」
心愛がくすっと笑いながら声をかけると、亜里沙は消え入りそうな声でつぶやいた。
恥ずかしそうに目を伏せるその姿に、いつもの余裕は見られない。
「……こんな井上さん、初めて見た」
ぽつりと漏らす樹に、亜里沙がジト目を向ける。
「そ、そういう桐ヶ谷君は何あげたのよ?」
「え?」
思わぬ反撃に目を丸くした樹の代わりに、心愛が口を開く。
「バウムクーヘンだよ〜」
「えっ、私もなんだけど!」
亜里沙が驚いたように、目を丸くした。
心愛がそっと樹を見やって、頬を染めながら、
「この幸せが長く続きますように、って意味なんだって〜」
「「っ……!」」
樹と亜里沙が同時に真っ赤になり、うつむいた。
「……どうして、初音さんが主導権を握っているのかしら」
「経験の差だな」
蓮と凛々華は顔を見合わせ、苦笑を漏らした。
「亜里沙が照れてるの、見たかったー!」
事の顛末を聞き、教室の中心でそう叫んだ夏海は——無事に亜里沙のくすぐりを喰らって悶絶していた。
◇ ◇ ◇
——昼休み。
春の陽気が差し込む中、蓮と凛々華は、いつもの中庭のベンチで昼食を広げていた。
凛々華の横顔に目を向けると、耳元で銀の輪がかすかに光っている。
蓮はつい指先を伸ばし、その輪郭をなぞるように触れた。
「どうしたのよ?」
「いや……やっぱり似合うなって思って」
「も、もう……何回目よ……っ」
凛々華は唇を噛み、そっとうつむいた。
蓮もなんとなく気恥ずかしくなって、視線を下ろすと——
(……ん?)
凛々華の弁当に、ふと違和感を覚えた。
ハンバーグ、唐揚げ、ベーコン巻き。どれも彩り豊かに詰められているが、普段よりも明らかにボリュームがある。
「……なんか今日の弁当、男っぽくね?」
「べ、別に普通よ?」
いつもより少し慌てたような言い方に、蓮は首をかしげた。
だが、その次の言葉で、少し考えが吹き飛んだ。
「……気になるなら、食べてもいいけれど」
「えっ、マジ?」
驚きつつも、蓮は弁当のほうへ身を乗り出す。
「食べさせてはあげないわよ」
「さすがに学校では恥ずいって……でも、本当にいいのか?」
「えぇ。でも、一個ずつよ」
「わかってるよ——じゃあ、遠慮なく」
一口サイズのハンバーグに箸を伸ばす。
噛んだ瞬間、口いっぱいにじゅわっと肉汁が広がった。
「うまっ! これ、手作りだよな?」
「えぇ……私としては、もう少しソースが濃くても良かったと思うのだけれど」
凛々華はほんのり口元を緩ませつつも、少し眉を寄せた。
「そうかもな。でも、凛々華と詩織さんなら、これくらいがちょうどいいんじゃねえか?」
「……そうね」
凛々華は、どこか考え込むようにうなずいた。
——その日以降。
なぜか、凛々華の弁当には肉料理が増えていった。
唐揚げ、生姜焼き、ミートボール……まるで、成長期の男子のバイキングだ。
(……生理で、食欲増してるとか?)
そんな仮説も頭をよぎったが、凛々華の機嫌はいつも以上に穏やかで、どこか楽しんでいるようにすら見えた。
そもそも、周期もまだのはずだ。
試しに理由を聞いてみると、「最近、いいお肉が多かったから」と、少し苦し紛れな言い訳が返ってきた。
……それにしたって、毎日これだけバリエーション豊富なのは、さすがにやりすぎだろう。
(いや、これ……)
ふと、蓮は思い出す。
以前、「彼女の手料理は男の夢」と言ったとき、凛々華は呆れながらも照れくさそうに笑っていた。
(もしかしたら、凛々華なりのやり方で、気持ちを伝えようとしてくれてるのかもな……)
そう思うと、胸の奥がポッとあたたかくなった。
——その考えがあながち的外れではなかったと、蓮は遠くない未来で知ることになる。
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