第183話 懺悔と誓い
「水嶋、初音、井上。ありがとな」
蓮は教室に入ると、夏海、心愛、亜里沙の三人にお返しを渡した。
「おぉ、ありがと!」
「やっぱり黒鉄君、ちゃんとしてるね〜」
夏海が無邪気に、心愛が感心したように笑う中、亜里沙はなぜか腕を組み、重々しくうなずいた。
「うむ、合格だ」
「なんでちょっと偉そうなんだよ」
「なんとなくだよ」
亜里沙はちろっと舌を出して、ご機嫌な様子だ。
放課後に、デートの予定が入っているのだろう。
ほどなくして、樹も教室に戻ってきた。
そこで、心愛が彼のことを「いっくん」と呼び、他の四人でいつの間に呼び方を変えたのか、と問い詰める一幕が発生した後。
「えっと、柊さん、水嶋さん、井上さん。お返しで、これ……大したものじゃないけど」
樹は頬に赤みを残したまま、手にしていた紙袋から、小さな包みを三つ取り出した。
色や柄がそれぞれ異なっており、彼なりに気持ちを込めたことが伝わってくる。
「ありがとう、桐ヶ谷君」
「ラッピング、かわいいじゃん!」
「ねー、いいセンスしてる。けど、心愛ちゃ——こっちゃんには渡さないの?」
「っ……!」
亜里沙がニヤリと笑うと、樹は真っ赤になって固まった。
その横で、心愛がにこにこと微笑む。
「放課後、もらう予定なんだ〜。ね?」
「あっ、う、うん……っ」
視線を向けられた樹は、ぎこちなくうなずいて、うつむいてしまう。
「えっ、ちょ、やっぱりなんかあったでしょ⁉︎ あだ名になってるし!」
夏海が勢い込んで身を乗り出す。
「ふふ、どうだろうね〜?」
心愛は微笑んだまま、意味深に目を細めた。
「な、なにその手強さ……!」
夏海が地団駄を踏み、悔しそうに天を仰ぐ。
「柊さんなら、もっとわかりやすいのに——あっ」
亜里沙がしまった、というように凛々華を見て、脇腹を防御した。
だが、チョップは飛んでこなかった。
「……えっ、なにかしら?」
考え込むように下を向いていた凛々華は、視線に気づいたのか、ふと顔を上げた。
「いや、なんでもないよ」
亜里沙がサラッと首を振る。
そんな彼女を指差し、夏海がニヤリと笑った。
「とりあえず、亜里沙にチョップしてあげてー」
「な、夏海⁉︎ 違うよ、柊さんっ! 夏海が、柊さんはすぐ顔に出るからわかりやすいって——」
「ちょ、それ亜里沙が言ったんでしょ!」
わちゃわちゃとやり取りが続く中、凛々華がすっと立ち上がりながらつぶやいた。
「とりあえず、二人にやればいいのかしら?」
「「それは違う!」」
夏海と亜里沙が声をそろえ、その場に笑いが広がる。
——そこへ、見慣れない男子生徒が教室にやってきた。
「水嶋。バレンタイン、ありがとな」
夏海に差し出されたのは、丁寧にラッピングされたチョコレート。
一目見て、安物ではないとわかる。
「先輩。わざわざすみません。ありがとうございます!」
夏海が笑顔で受け取り、男子は軽くうなずいて去っていった。
「夏海ちゃん、今の人は?」
心愛が興味津々といった様子で、瞳を輝かせる。
「陸上部の二年の先輩だよ」
「バレンタイン、渡してたんだ?」
「お世話になったから、一応ね」
「ふーん?」
亜里沙が、ニヤニヤと意地悪そうに笑う。
「別に、何もないよ」
夏海がそう肩をすくめたところで、蒼空が登校してきた。
「おっ、蒼空。今日は珍しく早えじゃん」
「うるせーよ」
蓮の揶揄いに笑みを浮かべながら、近寄ってくる。
そして、夏海が持っていたチョコに目を向けた。
「ん、水嶋のそれ……けっこういいやつじゃね? 蓮の?」
「いや、部活の先輩。お世話になったんだってさ」
蓮がそう説明すると、蒼空は一瞬だけ動きを止めた。
「……そっか」
その反応に、蓮はかすかな違和感を覚える。
——ほんのわずか、沈んだような気配があった。
「悪いな。俺のは、大したもんじゃなくて」
蒼空がそう言いながら、お返しの定番とされている市販のチョコを差し出すと、夏海は明るく笑って応えた。
「ううん。こういうのって、気持ちが一番だよ。ありがと、青柳君!」
その言葉に、蒼空はわずかに目を細めた。
——やはり、彼らしくない仕草だった。
しかし、放課後を迎えるころには、蒼空はいつも通りの快活さを取り戻しているように見えた。
「じゃーな、蓮。決めろよ!」
「そっちも、部活頑張れよ」
蒼空を見送ってから、視線を横に戻すと、凛々華が隣に並んでいた。
「——行くか」
「えぇ」
校門を出ると、どちらからともなく、指先を絡めた。
向かった先は、人通りの少ない自然公園。
木々の葉が静かに揺れ、時折吹く風が頬をくすぐる。
「……こうやって過ごすの、久々だな」
「そうね……」
言葉は少ない。けれど、その沈黙が心地よかった。
ベンチに腰掛け、しばらく空を仰いでいた蓮は、鞄から紙袋を取り出す。
「あのさ、凛々華——これ」
「え?」
中を覗いた凛々華が、目を丸くする。
「イヤーカフかしら? 綺麗……」
「よかったら、つけてみてくれ」
その一言に、凛々華はほんのり頬を赤らめた。
黙ってうなずいて、そっと耳元に装着する。
「ど、どうかしら?」
髪の毛をかきあげる彼女の声は、わずかに上ずっていた。
「めっちゃ似合ってるよ……かわいい」
蓮がまっすぐ褒めると、凛々華は思わず嬉しそうに笑った。
手鏡で確かめながら、少し澄ましたような口調で言う。
「こういうの、初めてだけれど……悪くないわね」
「ピアスだと、ちょっと派手かなって思ってさ」
「ふふ、そうね。ありがとう。……でも、私はケーキを作っただけなのに」
凛々華が申し訳なさそうに視線を下げる。
「いや、めっちゃ嬉しかったし、ちゃんと手間のかかることだろ。それにこれは、ホワイトデーのお返しっていうより、懺悔と誓いだから」
「えっ……?」
凛々華がパチパチと瞬きをする。
蓮は正面から向き直り、頭を下げた。
「凛々華との約束、ないがしろにして、ごめん。あのときのこと、本当に後悔してるし……これからは、何よりも凛々華を優先するって決めたから。これは、その証だ」
蓮がそっとイヤーカフに触れると、凛々華が瞳を泳がせた。
赤らんだ目元で、見上げてくる。
「……無理は、しなくていいのよ?」
「無理じゃない。俺が、そうしたいだけ。凛々華が、一番大切だから」
その言葉に、凛々華の頬がさらに色づいた。
そして、小さく、でもしっかりとつぶやく。
「私も……蓮君が、最優先だから」
「……えっ?」
蓮が驚いてまじまじと見つめると、彼女は目を逸らしながら続けた。
「最近、私……甘えすぎていたと思うの。あのときも、蓮君なら全部察してくれるって思い込んでて……でも、そんなわけないわよね。私だって、蓮君の考えを全部わかるわけではないのだから」
「……まあ、それはそうだな」
「だから、私からもちゃんと言わなくちゃって思って。それに——」
凛々華が一度言葉を切り、イタズラっぽく見上げてくる。
「スキンシップの多さに騙されて、あなたが鈍感なのを忘れていたわ」
「おい」
蓮が思わずツッコミを入れると、彼女はくすりと笑った。
その笑顔を見て、蓮も自然と口元が緩む。
「というか、最初にスキンシップしてきたのは凛々華だろ。もたれかかってきたり」
「うっ……でも、そこまでされても好意に気づかなかった鈍感男もいたわよ」
「参りました」
「ふふ、意外にあっさり降参するじゃない」
凛々華が楽しげに肩を揺らす。
蓮は後頭部に手をやり、肩をすくめた。
「男が尻に敷かれるのは、古今東西、変わらないからな」
「だからよく、私を膝の上に乗せたがるのね」
「違えって。……単純に、くっつけるからだよ」
「っ……じゃあ、今は不満かしら?」
凛々華が、繋いだ手にぎゅっと力を込めた。
「いや、全然。明日からまた、いくらでもくっつけるんだからな」
「っ……調子乗ったら一ヶ月禁止なの、忘れてないでしょうね?」
「もちろん。あっ、でも——」
蓮は少しだけ身体を傾け、彼女を軽く抱きしめた。
「これくらいは、外でもいいだろ?」
「っ……」
凛々華の肩がびくりと震えた。
少し呆れたようなため息を吐き、静かに蓮の胸に顔を埋めてくる。
「やる前に聞きなさいよ……いいけれど」
そのくぐもった小さな囁きが、胸にやさしく染み込んでいく。
しばしの沈黙の後——蓮は、ふと思いついたように口を開いた。
「なぁ……凛々華」
「なに?」
「キス……しちゃ、ダメか?」
「だ、ダメに決まってるでしょう! こんなところで……っ」
「そっか……」
蓮が思わず落胆の声を漏らすと、凛々華は視線をさまよわせ、少しだけ唇を噛んだ。
「その……他の人たちもしているところとか……家の前なら、いいから」
「っ……!」
蓮は思わず息を呑み——凛々華に腕を伸ばした。
「ちょ、ちょっと……⁉︎」
「悪い。しばらくこうさせててくれ」
蓮は早口でそう言って、彼女を腕の中に閉じ込めた。
今、顔を見てしまったら、耐えられる気がしない。一ヶ月のスキンシップ禁止処分を喰らってしまうだろう。
(一ヶ月おあずけとか……マジで発狂するな)
蓮は凛々華の頭を撫でながら、ひとり苦笑をこぼした。
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