第174話 正論と慢心
翌日の土曜日は、少し久々に、蓮と凛々華のバイトのシフトが被っていた。
帰り道、蓮は改めて謝罪の言葉を口にした。
「凛々華。マジでごめんな。電話もすっぽかして、今日も……」
「別にいいわよ。お出かけをやめたのは私のほうだし」
凛々華が肩をすくめる。
確かに、言い出したのは彼女だが、蓮を気遣ったゆえの判断であることは言うまでもない。
ほんの少しだけ残念そうな横顔を見ながら、蓮はおずおずと切り出した。
「それでさ、せめてもの償いってことで……このあと、ちょっと家寄っていいか?」
「え?」
凛々華が立ち止まり、振り向いた。
しかし、何かを振り払うように前に向き直り、彼女は続けた。
「……だめよ。ちゃんと休みなさい」
「えっ?」
今度は蓮のほうが驚く番だった。
「で、でも——」
「でもじゃないわ。欠伸しながら話を聞かれても困るし、無理して体調崩されたら、いろんな人に迷惑がかかるでしょう」
蓮は言葉を詰まらせた。正論だった。
それでも、何か代案はないかと考えていると、凛々華がぽつりと言った。
「……わがまま」
「えっ?」
「テストの報酬よ。まだ一つ、残ってたでしょう?」
「……あぁ」
第四回のテストで勝利した蓮は、三つわがままを言ってもらうというミッションを凛々華に課した。
彼女が要求する前に、蓮が我慢できなくてキスしてしまったため、一つは未使用のままだった。
「三つ目は、今日は休むこと——異論はないわね?」
「……わかった」
蓮はしぶしぶ、引き下がった。無理をして体調を崩したら、凛々華の負担にもなってしまう。
理屈ではわかっていた。しかし、罪悪感は募る一方だった。
柊家に到着すると、蓮はそっと凛々華の手を取った。
「……ごめんな。このあとも全然遊べないのに」
そう漏らすと、凛々華は視線を逸らしながら、蓮の胸元に手を添えた。
そのまま、つま先立ちになり——そっと唇を重ねてきた。
「……へっ?」
蓮が間抜けな声を漏らすころには、彼女は飛び退くように離れていた。
「い、今は、これで許してあげるわよ」
顔を真っ赤にしながらそう言い残すと、素早くドアを開け、逃げるように玄関の中へと消えていった。
残された蓮は、呆然とその背を見送り、数秒遅れてようやく小さくつぶやいた。
「……まいったな」
ホワイトデーは、三倍返しどころでは足りなさそうだ。
◇ ◇ ◇
次の日、蓮が練習に行くと、俊之たちから顔色が良くなったと言われた。
「彼女に活力もらったか?」
「はい。実は、気を遣ってデートを延期してくれて」
「マジかよ。理解あるな」
「本当に、そう思います」
心の底から、蓮はそう言った。
「でも、あんまりほったらかしにはするなよ。意外と寂しがり屋なんだろ?」
「はい。でも、納得はしてくれていると思うので」
デートを延期してくれたこと。おうちデートよりも、蓮の休息を優先してくれたこと。
そして、「今はこれで許してあげる」と、キスをしてくれたこと。
それらはすべて、「大会が終わるまでは仕方ない」と凛々華が受け入れてくれている証拠だと、蓮は思っていた。
(大会が終わったら、埋め合わせればいいよな)
——その考えが、いかに傲慢で甘いものであったのかを、蓮はすぐに知ることになる。
「蓮、このあとみんなで焼肉行くから、お前も来いよ」
二日後の練習終わり、夜ご飯に誘われた。
「……はい、行きます」
蓮は少し迷ってから、うなずいた。
ただでさえ後輩の立場で、高校最後の思い出作りに参加させてくれているのだから、断るわけにはいかないだろう。
(凛々華と電話する予定だったけど……仕方ねえな)
「すみません。ちょっと電話しますね」
ワンコールで、すぐにつながった。
『もしもし、蓮君?』
電話口から聞こえてくる声は、心なしか弾んでいる。
蓮は、胸がぎゅっと締め付けられる感覚を覚えた。
「悪い。今夜の電話なんだけどさ。ちょっと先輩たちからご飯に誘われちゃって……遅くなると思うから、明日にしてもらっていいか?」
『っ……えぇ、大丈夫よ』
一拍置いて返ってきた声は、先ほどよりも明らかに沈んでいた。
「マジでごめん。絶対埋め合わせるから」
『先輩に誘われたら、断りづらいでしょう。気にせず楽しんできて。……電話なんて、いつでもできるのだから』
「おう……ありがとな」
『また、貸し一つよ』
「わかってる」
蓮はふっと口元を緩めた。
しかし、自分に言い聞かせるような凛々華の口調が、妙に気にかかっていた。
◇ ◇ ◇
「懐かしいな、焼肉の王様」
「ですね」
食べ盛りの高校生にとっては、焼肉の食べ放題ほど有難いものはないと言っていい。
最初は練習後の熱そのままに、バスケ談義をしていたが、自然と恋バナに移っていく。
「えっ、純一、別れたの?」
「けっこう仲良くなかった?」
「そうなんだよ。でも、いきなり別れようとか言い出してさ……」
純一が、がっしりした肩をしょんぼりと落とす。
「二年くらい付き合ってたよな。原因は?」
「ちりつもっていうか……たしかに全部俺が悪かったんだけど、だったらそのときに言ってくれよ、って感じのが多くてさ……」
「あー、あるあるだよな。会えなくて寂しかったなら、そう感じた時点で言えよ、みたいな」
「そう、マジでそう」
「でも実際、察してほしい子が多いもんな」
俊之がそう言うと、純一は「まあなー……」とため息を吐いた。
「相当堪えてんなぁ」
「そりゃ、そうだろ……しばらく女はいいわ」
「はは、やっぱり男といるほうが楽だよな。半年とか会ってなくても、全然問題ないし」
「それな」
その会話を聞いて、蓮の胸の奥がざわつき始めた。
(最近、ほとんど二人きりになれてねえけど……大丈夫だよな?)
純一が何かを察したように、意味ありげな視線を向けてくる。
「蓮も気をつけろよ。お前、そういうところ鈍感そうだし」
「なんでわかるんですか」
「「「わかるだろ」」」
一斉にそう言われ、蓮は苦笑を浮かべるしかなかった。
そのとき、スマホが電話の着信を告げる。
「……初音?」
心愛からの電話は、おそらく初めてだ。
——嫌な予感がした。
「どうした? 彼女か?」
「いえ、友達からです。……ちょっと出てきます」
小走りで外に出るや、スマホを耳に当てる。
「もしもし。どうし——」
『黒鉄君。今なにしてる?』
蓮を遮った心愛の声は、いつになく険しかった。
「えっ……ストバスの先輩たちと、飯食ってるけど」
『今すぐ切り上げて、凛々華ちゃんのところへ行って。——じゃないと、一生後悔することになるよ』
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