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第165話 文理選択の本決定と、一抹の寂しさ

 三学期が始まって数日が経過したその日は、どこか浮き足立った空気が教室を包んでいた。

 とうとう、文理選択が確定したからだ。


結菜(ゆいな)、やっぱり理系なんだね」


 声をかけたのは日菜子(ひなこ)だった。


「うん。まあ、得意科目で選んだだけ」


 その返答に、隣の玲奈(れいな)がふっと笑みを浮かべる。


「私たちは文系だけど、絶対遊びに行くからね」

「そうそう、結菜もこっちの教室来なよ!」


 日菜子の勢いに、結菜はわずかに視線を逸らしながら言葉を返す。


「子供じゃないんだから、大丈夫だよ。……別に、来てもいいけど」

「でも、いうて藤崎(ふじさき)は寂しくないでしょ? だって、こいつも理系だし」


 亜美(あみ)が指差したのは、すぐそばで黙ってプリントを折っていた英一(えいいち)だった。


「はっ? 別に関係ないし」


 結菜が語気を強めて睨むように言うと、英一も軽く鼻を慣らす。


「そもそもクラスが同じにならなきゃ、文理の違いなんてほとんどないと思うけどね」

「相変わらず素直じゃないねぇ、この二人は」


 亜美が呆れたように笑う。

 その隣で、莉央(りお)も肩をすくめた。


「付き合う前の黒鉄(くろがね)(ひいらぎ)より面倒くさいかも」


 ——そのつぶやきが耳に入り、(れん)は振り向いた。


「なんか言ったか?」


 声をかけると、すかさず亜美が手を振って返す。


「たった今、うちのクラスのツンデレポジは藤崎で決定したよ」

「はっ?」


 眉を吊り上げる結菜を無視して、莉央が凛々華の肩を叩く。

 

「柊、残念だったね」

「だから、私は狙ってないわよ」


 凛々華が苦笑いを浮かべた。

 亜美が瞳を細める。


「でも、柊はいいの? 藤崎と黒鉄が一緒のクラスになる可能性あるけど」

「また、間接キスするかもしれない」


 莉央も加勢した。

 その一言に、蓮は眉をひそめ、結菜も焦ったように声を上げようとするが——、


「蓮君なら大丈夫よ」


 凛々華は穏やかな口調で、しかし力強く断言した。

 亜美と莉央が目を見開き、思わずといったように微笑む。


「めっちゃ信頼してるじゃん」

「恋人を信じるのは、当たり前のことじゃないかしら。それに、藤崎さんだってもう、そんなことはできないでしょう?」

「っ……やっぱり、あんたとは合わないわ」


 結菜はわざとらしくため息を吐いた。


「というか、私より井上(いのうえ)さんに注意したほうがいいんじゃないの? あんたらのグループで理系、その二人だけでしょ?」

「友情崩壊させようとしない」


 亜里沙(ありさ)がジト目でツッコんだ。


「黒鉄君狙うくらいなら、まだ夏海(なつみ)のほうが可能性あるよ」

「それはそうだね〜」

「いや、ないからね⁉︎」


 心愛(ここあ)が乗っかると、夏海が慌てたように声を上げた。


水嶋(みずしま)、その焦り方は逆に怪しい」 

「あんたら、彼氏作んないと思ったら、そういうこと?」


 ニヤリと笑う莉央の横で、亜美がぽんっと手を叩いた。

 亜里沙がチラリと夏海を見て、静かにうなずく。


「実は、そうなんだ」

「ちょ、亜里沙⁉︎」

「もう隠せないよね〜」

「おい心愛ぁ!」


 亜美と莉央、心愛、亜里沙、夏海がわいわいと騒ぐ中、結菜が蓮と凛々華に視線を向ける。


「ま、あとちょっとだけだから、少しは見逃してあげる。せいぜいイチャイチャしなよ」


 そう言い捨てて、彼女はくるりと背を向けて去っていった。


「……確かに、あれはツンデレポジだな」

「えぇ。絵に描いたようだわ」


 蓮がぼそっとつぶやくと、隣の凛々華も同意するように微笑んだ。


「水嶋、井上。あの域に達せられるように頑張りなよ」

「うん、頑張る。ね?」

「ね? じゃない! キモいわ!」

 

 ——夏海はなおも、孤軍奮闘していた。




◇ ◇ ◇


 


 放課後、蓮は柊家を訪れていた。

 二人でベッドの端に腰掛ける。


「わかってたことだけど……やっぱり、ちょっと寂しいな」

「……そうね」


 握りしめられた凛々華の拳を、蓮はそっと手のひらで包み込んだ。


「二年生になったら、お互いに今より忙しくなるでしょうし……一緒にいられる時間も、徐々に減っていくわよね」

「それはな。でも、会長が許可してくれたんだし、とりあえずはこの二、三ヶ月を全力で楽しもうぜ」

「えぇ。けど、そもそもクラスじゃ、そういう触れ合いとかはしてないでしょ——んっ」


 言葉の途中で、蓮はふいに凛々華の唇を奪った。


「こういうの?」

「……ばか」


 凛々華が、真っ赤になった頬を隠すようにうつむく。

 

(かわいいな)

 

 蓮は覗き込むように顔を近づけた。

 キスを交わしながら、凛々華の背中を撫でる。


「……よく飽きないわね」

「スベスベだからな」

 

 服の中に手を滑り込ませると、肌の温もりと柔らかさがじんわりと伝わってくる。

 凛々華は抗議するでもなく、静かに身を委ねていた。


「だいぶ慣れてきたよな」

「これだけの頻度なら、いやでも慣れるわよ」

「いやなのか?」


 蓮が顔を上げると、凛々華がふいっと視線を逸らした。


「……わかっているでしょう?」

「まあな」


 蓮は笑いながら、ガラ空きの白い首筋へ唇を押し当てた。

 ほのかに甘い香りが、ふっと鼻先をかすめる。

 

 蓮はそのまま顔を下げ、鎖骨のあたりにもキスを落とした。

 もう少し降りていけば、もうそこは未知の領域だが——、


「っ……」


 蓮はふと、凛々華の体が強張っていることに気づいた。

 潮が引くように、熱が鎮まっていく。


(今は、ここまでかな)


 唇を離して上体を起こすと、彼女はそっと息をついた。

 やはり、緊張していたようだ。

 

「——凛々華」


 優しく名前を呼んで、腕の中に包み込むと、ぎゅっと抱きしめ返してきた。

 背中に回された腕には、いつもより少しだけ力がこもっている。


 もちろん愛おしくなるけど、先程までの(たかぶ)りとは少し違って。

 蓮はしばらくの間、子供をあやすように、彼女の背中をポンポンと撫でていた。

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