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第154話 凛々華の誕生日③ —サプライズ—

 キャンドルの灯がゆらめく、少し落ち着いた雰囲気のレストラン。

 席に案内された二人は、窓際のテーブルに向かい合って座っていた。


「こういうところ、初めてだわ」


 凛々華(りりか)がぽつりとつぶやき、控えめに周囲を見回した。


「俺もだな」


 (れん)は笑いながら答えた。

 コース料理が進むにつれて、二人はだんだんといつもの空気感を取り戻し、穏やかに会話を弾ませた。


 デザートを終え、温かいお茶が運ばれてきたタイミングで、蓮は椅子から少し腰を浮かせるようにして、足元に置いていた紙袋を取り出した。

 深いネイビーに控えめなロゴが入った、少しおしゃれな紙袋だった。


「凛々華。改めて、誕生日おめでとう」


 そう言って袋を差し出すと、凛々華の表情がほころんだ。


「ありがとう……って、二つも?」

「開けてみてくれ」


 凛々華が一つ目の包みを開けると、中から現れたのは装丁の美しい本——西野(にしの)圭司(けいし)の最新作、特装版だった。

 アメジストの瞳が見開かれる。


「これ……二人とも、高くて諦めようって言ってたものじゃない」

「誕プレにしては、安いほうだからな」


 蓮が気恥ずかしそうに笑いながら言うと、凛々華はそっと本の表紙を撫でるようにしてから、静かに顔を上げた。


「……ありがとう。大切にするわ」


 そのまま、もう一つの包みに手を伸ばし、丁寧にリボンを解く。


「ハンドクリーム、かしら?」

「本だけだと、ちょっと誕生日感が足りないかと思ってさ」

「そんなことないわ。……十分すぎるわよ」


 凛々華は優しく首を振り、小さく笑った。


「ありがとう。本当に……嬉しいわ」


 その声は、心からのもので——蓮も自然と笑みを返した。



 

 店を出たあとは、数駅電車を乗り継ぎ、夜の街を歩きながら帰路につく。


「こうして、一日かけて祝ってもらえたの……初めてだったかもしれないわ」


 その言葉に、蓮は歩みを止めることなく、横顔を見ながら尋ねた。


「楽しかったか?」


 凛々華は少しうつむいてから、そっと蓮を見上げ、柔らかく微笑む。


「……とても」


 その笑顔に、蓮の胸がじんわりと温かくなる。

 立ち止まり、静かに腕を伸ばして凛々華を軽く抱きしめた。


「よかった」


 囁くようにそう言ってから、すぐに体を離し、凛々華の顔を覗き込む。


「なあ、ちょっと見せたいものがあってさ。もう少しだけ、付き合ってくれないか?」


 彼女は一瞬目を瞬かせたが、すぐに微笑みを浮かべてうなずいた。


「えぇ。もちろん」

「ありがとな」


 一週間以上かけて作り上げた、サプライズ。

 お金のかかったものではないし、最後を飾るには少しインパクトが弱いのではないか、という不安もあった。


(でも、凛々華ならきっと喜んでくれる)


 今の笑顔を見たら、そんな確信が持てた。


 早く、見せてあげたい——。

 そんな思いを胸に、蓮は自然と早足になっていた。




 黒鉄(くろがね)家に到着すると、玄関で待っていたかのように遥香(はるか)が顔を覗かせた。


「凛々華ちゃん、誕生日おめでとー!」


 そう言って手渡されたのは、リボンで可愛くラッピングされた小さな紙袋だった。

 中には、手作り風のクッキーと、ちょっとしたメッセージカードが添えられている。


「ありがとう、遥香ちゃん。嬉しいわ」


 凛々華が目を細めると、遥香は照れたように笑いながら「でしょ」と胸を張った。


「じゃ、甘々な空気を楽しんでー。私はリビングにいるから!」


 そう言い残し、キッチンへと向かう。飲み物でも取りに行ったのだろう。

 その背中を見送り、蓮は凛々華を自室に案内した。


「凛々華は、そこに座ってくれ」


 部屋に入ると、蓮は壁にクッションを立てかけて背もたれ代わりにして、凛々華をベッドに座らせた。

 机の上に置いてあったノートパソコンを手に取り、自分のその横に座る。


「……見せたいものっていうのは、これなんだ」


 膝の上に置いたパソコンを開いて、映像ファイルをクリックする。

 スクリーンが明るくなり、静かなピアノの音楽とともに、ゆっくりとムービーが始まった。


「……動画?」


 凛々華が不思議そうにつぶやく。

 だが次の瞬間、先程も一緒に見ていた、水族館に隣接する公園で撮った昔のツーショットが映し出された。

 それがフェードアウトすると、今度は球技大会で「アベックだ!」と無理やり撮られたツーショットが現れる。


「これって……もしかして、私たちの写真を動画にしてくれたの?」

「おう。前に、動画編集にちょっと興味あるって話しただろ? これがきっかけなんだ」


 蓮は照れくさそうに頭を掻いた。

 映像は、ぎこちなく並んで写るショッピングモールでのツーショットへと切り替わる。付き合ってから初めてのデートだ。


「このときの俺ら、マジでぎこちないよな」

「蓮君、頬が引きつっているわ」

「凛々華だって、目線逸らしてるだろ」

「そ、それは……ちょっと恥ずかしかっただけよ」


 画面を指差して笑い合う二人をよそに、映像はプールで撮った写真へと切り替わる。

 そのあとには、六人で撮った楽しげな集合写真。


「この日も、楽しかったわね」

「ああ。ちょっとしたハプニングはあったけど」


 凛々華と心愛(ここあ)が、いかにもという大学生にナンパされていた。


「でも、あのおかげで初音(はつね)さんと桐ヶ谷(きりがや)君が付き合うことになったのだから、結果オーライよ。それに……蓮君が、助けてくれたから」

「ま、そうだな」


 はにかむように笑う凛々華に、蓮もふっと目元を和らげた。

 そして次に現れたのは——猫カフェで、猫に囲まれて笑顔を浮かべる凛々華の写真。

 他にも、猫が膝の上に乗ってきて驚いている表情や、撫でているときの幸せそうな表情が、次々と映し出される。


「こ、こんなに撮ってたの?」

「隙だらけだったぞ」


 蓮がニヤリと笑うと、凛々華が唇を尖らせる。

 

「……なんで、蓮君だけの写真がないのよ。あなただって、とろけそうな表情してたのに」

「そりゃ、凛々華の誕生日だからな」


 ピアノが少しだけアップテンポなものになり、映像は文化祭の様子へ。

 凛々華が真剣な表情で飾り付けをしているのを、蓮が愛おしそうに眺めている。


「これ、誰が撮ったの?」

井上(いのうえ)がくれた。まあ、こういう写真も必要かなって」

「……なんて表情してるのよ」

「い、いいだろ別に」

 

 蓮がそっぽを向くと、凛々華がくすっと笑みを漏らした。

 続いて、文化祭本番。凛々華がかき氷で顔をしかめたり、たこ焼きを頬張って熱そうにしている。


「な、なんでこんなとこ撮るのかしら……」

「意外とおっちょこちょいだもんな」

「うるさいわね。ちょっと舌が敏感なのよ」


 恥ずかしそうにしながらも、凛々華の口元は嬉しそうに緩んでいる。

 

 さらに、体育祭で撮ったツーショットや、リレーを走る躍動感ある姿が流れると、音楽がしっとりとしたものに切り替わった。

 夜に星空を見上げているシルエット写真、家で身を寄せ合っているツーショットなどの、何気ない日常が映し出される。


「意外と、普段から写真撮ってるよな」

「本当ね……」


 凛々華の声は、どこかしんみりとしていた。

 ——そして、ふたりで並んで手を繋いでいる背中越しの写真がフェードアウトすると、画面が暗くなり、白い文字が浮かび上がった。


『これからも、たくさんの時間を、一緒に積み重ねていけますように。凛々華、誕生日おめでとう。大好きだよ』


「っ……」


 音もなく流れたその言葉に、凛々華は息を呑み、手を口元にあてた。


「……本当に、もう……っ」


 蓮は咄嗟に、「泣いてるのか?」と口にしかけて——やめた。

 代わりに、無言でティッシュを差し出す。


「泣いてないわよっ……」


 凛々華がかすれた声を出し、ティッシュで目元を押さえた。

 

「そうか」


 蓮は笑いながら、包み込むように抱きしめた。

 凛々華の体が震え、明確な嗚咽が漏れ始める。


「……ありがとう、蓮君……っ」


 彼女はそう囁くと、ぎゅっと蓮のシャツを握りしめた。

 蓮はその頬に手を添え、微笑みかけた。


「俺のほうこそ、こんなに喜んでくれて、ありがとな」


 そして、指先でそっと彼女の目元を拭い——、

 自然な流れで、唇を重ねた。


「ん……」

 

 長くも、深くもない。

 それでいて、確かに想いのこもったキスだった。


「改めて、誕生日おめでとう。それと……これからも、よろしくな」

「えぇ……こちらこそ」


 お互いの温もりがあれば、それで十分だった。

 蓮は、鼻をすする凛々華を抱きしめ、いつまでもその頭を撫でていた。

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