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第149話 体育祭と、上書き

 空は澄みわたるような青さで、まさに体育祭日和だった。

 校長の恒例の「晴天に恵まれ〜」というスピーチから始まった一大イベントは、文化祭とはまた違った盛り上がりを見せながら、順調に進行していた。


(れん)君は、午前中はもう終わり?」


 応援席で、隣に座る(いつき)が声をかけてくる。


「おう。あとは午後のリレーだけだな。樹は?」

「僕は、まだ借り人競争が残ってるんだ」


 樹がそう答えたとき、


心愛(ここあ)ちゃん、いけーっ!」


 夏海(なつみ)の元気な声が、グラウンドに響き渡った。

 今は、女子の騎馬戦の真っ最中だ。小柄な心愛が上に乗り、夏海、亜里沙(ありさ)凛々華(りりか)が下で騎馬を組んでいる。


 夏海が「突っ込めー!」と勢いよく叫ぶたびに、凛々華が「落ち着きなさい」と冷静に指示を出して軌道修正。亜里沙は「はいはい」と言いながらも、しっかりとバランスを取っている。

 心愛はというと、赤色の鉢巻をつけて楽しそうに笑いながらも、的確な判断と素早い動きで次々と相手の鉢巻きを狙っていった。


 結果、彼女たちは最後まで生き残り、赤組が勝利した。

 戻ってきた心愛に、樹が声をかける。


初音(はつね)さん、すごかったよ」

「軍師が優秀だったからね〜」


 心愛がにこにこしながら凛々華に目を向ける。

 夏海も勢いよくうなずいた。


「うんうん、(ひいらぎ)さんの指示が完璧すぎたよねー!」

「夏海が先導してたら、開始十秒でやられてたね」

「なっ、そんなことないしっ!」


 亜里沙のからかいに、夏海が頬をふくらませる。いつものやり取りだ。

 蓮は自然と微笑みながら、凛々華に声をかけた。


「お疲れ。大活躍だったな」

「別に、大したことはしてないわよ」


 そう言いつつも、彼女はどこか得意げな表情だった。


 やがて借り人競争が始まり、樹の番になる。

 彼はお題の書かれた紙を開いた瞬間、ピタリと動きを止めた。


 数秒の硬直のあと、意を決したように心愛のほうを振り向き、


「は、初音さん!」


 緊張で声を震わせながらも、しっかりと名前を呼んだ。


「——うん!」

 

 心愛は瞳を輝かせ、パッと駆け出した。


「おお、桐ヶ谷(きりがや)君が心愛ちゃんを借りた!」

「まさか、好きな人、とかじゃないよね⁉︎」


 夏海と亜里沙が盛り上がる中、駆け寄った心愛が嬉しそうに樹の手をぎゅっと握る。

 樹も顔を真っ赤にしながらも握り返し、二人は手を繋いだままゴールした。

 見事一位を獲得し、スタッフの生徒がマイクを持つ。


「お題は——可愛い人、でした!」


 観客席がどっと沸く中、心愛は照れくさそうに頬を染めながら「えへへ……」とはにかんだ。


「桐ヶ谷君、やるじゃん!」

「心愛ちゃんも、嬉しいだろうねー。ほら、顔赤くなってる!」


 夏海がはしゃぐように手を叩き、ニヤケ顔のまま凛々華と蓮のほうを振り向いた。


「二人だったらさ、ああいうお題でお互い選ぶ?」

「そ、そりゃそうだろ」

「そうでなければ、付き合ったりしないわ」


 蓮がチラリと凛々華を見ると、彼女もまたこちらを見ていた。

 照れくさくなり、揃って視線を逸らす。


「うんうん、そうだよね〜!」

「ごちそうさまです!」


 夏海と亜里沙がイエーイ、とハイタッチをした。


(……テンション上がってるな、こいつら)


 そんなことを思いながらも、蓮は頬を緩めた。

 隣を見ると、凛々華も小さく笑っていた。困ったような、それでいて楽しそうな笑みだった。




 借り人競争が終わり、昼休みの時間がやってきた。


「どこで食べる?」

「日陰がいいな〜。あっ、あそこの木の下とか?」

「いいね、風もあるし」


 六人でしゃべりながら、それぞれ弁当箱を持って移動していると、亜美(あみ)莉央(りお)に遭遇した。

 二人はそれぞれ、色違いのタピオカドリンクを手にしていた。


「えっ、なにそれ、美味しそう!」


 夏海の目が輝く。


「買ってきたの?」

「そそ。誰かさんと違って、借りられる心配もなかったしね」


 亜美が心愛に向かってウインクした。莉央もニヤニヤしている。

 どうやら、樹が心愛を借りたところは見ていたようだ。


「やめてよ〜」


 そう言いながらも、心愛は口元をほころばせた。

 二人と別れたあと、夏海が「私も久しぶりにタピオカ飲みたくなった!」と言い出し、買い出しジャンケンをすることになった。


「じゃあ、負けた二人が買ってくるってことでいい?」


 亜里沙がイタズラっぽく笑いながら提案し、六人は自然と輪になってじゃんけんを始めた。


「最初はグー、じゃんけん——」

「「「ぽんっ!」」」


 そして——。


「……えっ、私だけ?」


 凛々華が固まる。

 彼女一人がパーで、他の者たちは全員チョキだった。


「いつもチョップしてるから、手がもうその形に——ぐふっ」


 夏海が件のチョップをもらって崩れ落ちながら、「それだよ、それ……」と弱々しく凛々華の手を指差した。


「じゃあ、もう一人決める? ——黒鉄(くろがね)君」


 亜里沙が意味ありげな視線を送ってくる。

 自他共に認める鈍感な蓮も、何を言われているのかはわかった。


「わかった。俺が行くよ」

「「「さすが〜!」」」


 女子三人の声がハモった。

 蓮はなんだかむず痒い気持ちになりながら、凛々華と共に歩き出す。


「場所はわかる?」

「ああ、たぶん……」


 蓮は言いよどんだ。

 その店は、かつて文化祭の買い出しで結菜(ゆいな)と立ち寄り、彼女が間接キスを仕掛けてきたところだったからだ。


「……もしかして、藤崎(ふじさき)さんと行ったところなの?」

「っ……よく覚えてたな」


 凛々華は無言で瞳を伏せた。

 蓮は気まずく思い、


「えっと、別の店にするか?」

「いえ、遠くまで行きたくないし、そこでいいわよ」


 凛々華は淡々と答えた。

 だが、その横顔はどこか意志の強さを滲ませていた。


 無事に注文を終え、並んで帰っていると、


「……ちょっと、喉乾いたわ」


 凛々華が自分の分を取り出し、ストローをさして口をつける。


「飲むの、早くねえか?」


 蓮が少し意外に思って言うと、凛々華は視線を外したまま返す。


「蓮君も飲んだら? 水分補給は、喉が渇いたと感じてからでは遅いのよ」

「お、おう……」


 妙に理屈っぽい言い方に、蓮は首を傾げながらも袋を漁った。

 一口飲んで、甘みと冷たさが喉を潤すのを感じたその瞬間——


「……借りるわ」


 凛々華が手を伸ばし、サッと蓮のドリンクを取って、自分の口元へ持っていく。


「お、おい……!」


 驚く蓮の目の前で、凛々華は平然とストローに口をつけ——


「これも、美味しいわね」


 と、ひとこと。

 だが、その顔は耳の先まで赤く染まっていた。


(……そういうことか)


 蓮はようやく理解した。

 凛々華は、結菜との間接キスを、自分との新しい記憶で上書きしたかったのだろう。


 愛おしさが胸に込み上げてきて、蓮は彼女のカップに手を伸ばした。


「じゃあ、俺も飲ませてもらうぞ」

「えっ、ちょっ……!」


 慌てる凛々華の声を聞きながら、蓮は迷いなくストローを咥えた。


「……甘いな」

「と、当然でしょ。黒糖なのだから」


 凛々華が素早く、蓮の手からカップを取り返す。

 しかし、口をつけようとして、じわじわと頬を火照らせる。


「凛々華、顔赤いぞ」

「あ、あなたもでしょ」

「そりゃあな」


 蓮は笑いながら肩をすくめ、自分のストローに口をつける。

 先程よりも甘く感じられるのは、きっと気のせいだろう。

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