表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
144/195

第144話 将来の話

 ——文化祭から一週間が経過した、土曜日の午後。

 (れん)凛々華(りりか)の部屋で、二週間後に迫った定期テストのための勉強をしていた。


「……ふふ」


 トイレから戻ってくると、凛々華が携帯を見て、笑みを漏らしている。


「何見てるんだ?」


 蓮が背後から覗き込むと、凛々華の膝の上で猫が甘えてる写真が表示されていた。


「文化祭の振替休日で行ったときのやつか。毎日見てるよな」

「わ、悪い?」

「いや、全然。けどその顔、クラスのやつらが見たら、一瞬誰かわからないんじゃねえか?」

「っ……」


 揶揄うように言うと、凛々華の頬がじんわりと火照る。

 彼女は耳に髪を掛け直しながら、そっと視線を逸らした。


「……こんな表情、蓮君以外に見せないわよ」

「っ……」


 予想外の反撃に、今度は蓮が息を詰めた。


(凛々華もけっこう慣れてきたよな……)


 照れくささを紛らわそうと、話題を変える。


「そういえば、先生が冬に文理選択があるって言ってたよな。ぼちぼち、将来のことも考え始めないといけない時期か」

「えぇ……蓮君は、写真家とかいいんじゃないかしら」

「えっ?」


 思わぬ提案に、蓮は目を丸くする。


「なんでだ?」

「だって、よく私のこと隠し撮りするじゃない。この前の猫カフェでも撮ってたの、気づいてるわよ」

「いや、あれはその……凛々華だから撮りたいだけで、写真を撮ること自体に思い入れはないっつーか」

「っ……」

 

 蓮が頬を掻きながら正直に告げると、凛々華はサッと顔を背けた。

 耳まで赤くなりながら、ため息混じりにつぶやく。


「……本当に、蓮君ってそういう人よね」

「今のは、そっちが言わせたようなもんだろ」


 蓮は苦笑いを浮かべた。


「そういう凛々華自身は、どうなんだ?」

「そうね……」


 凛々華が、考えをまとめるように机の縁をそっとなぞる。


「これと言ってやりたいことがあるわけではないけれど、安定した職に就いて、お母さんを安心させたいとは思ってるわ。大学にも行かせてくれるって言ってくれているし」

「さすがだな。でも、あんまり背負いすぎんなよ。何かあったら、すぐに話してくれていいから」

「っ……えぇ、ありがとう」


 凛々華は一瞬きょとんとしたあと、ゆっくりと笑みを浮かべた。

 そして、少し誤魔化すように尋ねてくる。


「その、蓮君は何かやりたいこととかあるの?」

「んー……まだぼんやりだけど、プログラミングとか、動画編集とか、最近ちょっとずつ触ってみてはいる」

「そうなの?」


 凛々華が少し驚いたように眉を上げた。


「何か作るのって楽しいしな。向いてるかどうかは別だけど、今はそっちの方面に進むのもアリかなって」

「いいじゃない。素敵だと思うわ」

「ありがとな。……ま、今はそれより、目の前のテストをクリアしねえとだけど」

「えぇ。ある程度の成績は残しておかないと、選択の自由もなくなるもの」

「そうだな……」


 そのとき、蓮はふと凛々華の顔を見つめた。


(……文系、なんだろうな。たぶん)


 けれど、蓮は何も言わなかった。

 もしかしたら、凛々華もまた、それに気づいていたかもしれない。




◇ ◇ ◇




 気がつくと、夕方になっていた。

 凛々華の部屋には柔らかな陽が差し込み、ほんのりと橙色に染まっている。


「ちょっと、洗濯物を取り込んでくるわね」


 凛々華が立ち上がりながら言うと、蓮は教科書から目を上げた。


「手伝おうか?」

「えっ、い、いいわよ。すぐ終わるし」


 少しだけ慌てたように手を振る凛々華に、蓮は首をかしげる。


「でも、二人のほうが早いだろ?」

「そ、そうだけど、その……あんまり、見られたくないから」


 凛々華はもじもじと頬を染めた。


「あっ……悪い」


 ようやく意味を察した蓮は、気まずさを覚えつつ、頭を下げた。


「い、いえ、気持ちは嬉しかったわ。ありがとう」

「おう」


 凛々華が足早に一階へと降りていくと、蓮は自分の頬をパチンと叩いた。


(余計なこと考えるな……落ち着け……)


 そして、無理やり頭を切り替えようと、教科書を手に取りながら英単語を声に出して読む。

 しかし、その声を打ち消すように、階下から掃除機の音が響いてきた。


(……取り込みだけじゃなくて、掃除も?)


 なかなか戻ってこないことに、蓮は少しだけ寂しさを覚えた。

 しかし、凛々華がこのタイミングで掃除をする理由にも、おおよその見当はつく。


(ちょっと気まずいんだろうな……)


 原因は、おそらく先程のやり取りだ。

 だとすれば、このまま待っているのが賢明だろう。


 やがて掃除機の音が止み、足音が階段を上がってくる。

 

「お待たせ」


 凛々華がふたたび部屋へ現れたとき、手には湯気の立ったお茶と、小皿に並べたクッキーの乗ったお盆を持っていた。


「おっ、いつもありがとな」


 手作りのお菓子を振る舞ってもらうのは、何度目だろうか——。

 そんなことをぼんやり思いながら、早速一つ手に取る。


「……マジで、どんどん上手くなってるな」


 蓮はクッキーを味わいながら、しみじみとつぶやいた。


「まったく……調子がいいんだから」


 凛々華は少し照れたように目を伏せ、ぽつりとこぼした。

 けれど、その声色はどこか嬉しそうだ。


 その細い指がクッキーに伸ばされる。

 一口かじると、小さく「うん」とうなずいた。自分でも満足のいく味だったらしい。


 蓮はお茶を飲み、ふっとひと息つく。


「にしても、すげえよな、凛々華って」

「な、なによ急に」


 凛々華がびっくりしたように目を瞬かせる。


「いや、洗濯も掃除もして、お菓子も作って……すげえなって思ってさ」


 凛々華は少し目を見開き、それから視線を逸らしながら、どこか照れくさそうに言った。


「別に、これくらいしかやってないし……家事は嫌いじゃないもの」

「そうなのか。じゃあ、将来は専業主婦とかも——あっ」


 口に出してしまってから、失言だと気づいた。


「い、今のはただ言ってみただけで、深い意味はねえからな」

「わ、わかってるわよ」


 蓮の釈明に、凛々華は唇を尖らせてそっぽを向いた。

 気まずい沈黙が落ちる中、凛々華が空気を変えるように「でも」と声を出す。


「それを言うなら、蓮君のほうが主婦じゃないかしら。家族の分の朝食やお弁当、夕食まで作っているのだから」

「ま、俺は遥香(はるか)との分業制だからな。それに、掃除苦手だし」

「確かに、蓮君に任せていたら散らかり放題になってしまうわ」

「それは言いすぎじゃね?」


 思わずツッコむと、凛々華がほんのり目元を緩めた。

 

「まあ……あれ以降は、ちゃんとやってくれているけど」

「自分のものを片付けるのは基本だからな」


 蓮はそう得意げに胸を張るが、


「いい心がけね。けど、自室はどうなの?」

「っ……」


 鋭い問いに、つい視線を外してしまった。

 凛々華がわざとらしく口元に手を当てる。


「今度、遥香ちゃんに頼んで抜き打ちでチェックしてみようかしら」

「ま、待てっ。それはマジでやめてくれ!」


 蓮は反射的に立ち上がっていた。


「あら、ずいぶんな慌てようね? 何か——見られてはいけないものでもあるの?」


 凛々華がイタズラっぽく瞳を細めた。


「そ、そんなもんはねえけど! ほら、たまたま散らかってたりするタイミングってあるだろ?」

「……ふふ」


 蓮が必死に言葉を重ねると、凛々華が吹き出した。


「そんなに焦らなくても、さすがに無断で部屋に入ったりはしないわよ……。それより、勉強に戻りましょう? 明日も一日バイトなのだから、おしゃべりしている時間はないわ」

「そっちが始めたんだろ……」


 蓮が苦笑混じりにこぼすと、凛々華はくすくすと楽しげに笑った。

 釣られるように、蓮も自然と口元を緩めてしまう。


(この笑顔に勝てる日は、一生来ないんだろうな)


 少しだけ悔しくはあるけど——

 それもまた、幸せというものなのだろう。

「面白い!」「続きが気になる!」と思った方は、ブックマークの登録や広告の下にある星【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしてくださると嬉しいです!

皆様からの反響がとても励みになるので、是非是非よろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ