第142話 皮肉の応酬
午後の校舎は、午前中以上の熱気とにぎわいに包まれていた。
最後のシフトの時間が近づく中、教室の扉が開いた。
「ただいまー!」
「もう……めっちゃ暑かったー……」
夏海と亜里沙が、汗を拭いながら戻ってきた。
二人は蓮や凛々華と入れ替わる形で、最後のシフトに入っているのだ。
「お疲れさん」
「お疲れー。黒鉄君たちは、このあとどこ行くの?」
「アイスの割引券もらってな。午前中、蒼空たちとダーツとかビリヤードのクラス行ったら、成績良かったみたいで」
そう言って、蓮はポケットからアイスのペア割引券を取り出してみせる。
夏海がポンっと手を叩いた。
「あっ、あの二つのクラスが連携してるところか」
「ホントになんでもできるねぇ」
どこか呆れたように笑う亜里沙に、蓮は肩をすくめてみせる。
「たまたまだよ。それ食べたあと、凛々華のお母さんと合流する予定」
「おっ、いいじゃん。でもあそこ、確か結構アイス少なくなってるみたいだよ? さっき前通ったけど、残りわずかって言ってた」
「マジか。急がないとな」
蓮が思わず時計に目をやる。そろそろ交代の時間だ。
「あれ、高城さんと橘さんは?」
亜里沙がキョロキョロと周囲を見回した。
「まだ戻ってきてないようね」
「えっ……」
凛々華の冷静な返答に、亜里沙の顔がひきつる。
それから少し経っても、亜美と莉央は戻ってこなかった。
「誰か、二人が戻るまで、代わりにシフト入ってもらえないかな?」
亜里沙が申し訳なさそうに周囲を見回した。
一瞬の沈黙のあと、ボソボソと声が上がる。
「でも、最後の時間だし……」
「ちょっと約束あって……」
誰も明確に拒否はしないが、はっきりと手を挙げる者もいない。
蓮は凛々華と目を合わせ、軽くうなずき合った。
「俺がやるよ」
「私も手伝うわ」
その言葉に、亜里沙が焦ったように首を振る。
「で、でも二人は予定あるんでしょ? いいの?」
「アイスくらい、いいって。十分遊んだし、シフトはシフトで楽しいからな」
蓮がそう言ったところで——。
「——いや、いいよ。二人は行ってきて」
はっきりとした声が、教室の空気を切り裂いた。
立ち上がったのは、結菜だった。
「藤崎……」
「私がやるよ。クラス会長なんだから、こういうときに動かないと意味ないでしょ」
凛とした声音に、教室が静まり返った。
「……あと一人か」
誰かのつぶやきに、結菜が周囲を見回した。
その視線が、ある一点で止まる。
「早川君。手伝いなさい」
「……えっ」
所在なさげにウロウロしていた英一が、あからさまに不満げな顔で振り返る。
「なんで僕が?」
「どうせ暇でしょ。会長命令だよ」
結菜が素っ気なく言うと、英一はやれやれと言わんばかりにため息を吐いた。
「まあ、行きたい場所がある人と、ない人がいるなら、後者がやるべきか……。いいよ、手伝う」
英一が渋々了承するのを見て、蓮は思わず頭を下げた。
「ありがとな、二人とも」
「本当に助かるわ」
凛々華も続いた。
結菜がふん、と顔を背ける。
「……別に、柊さんたちのためじゃないし」
「そもそも悪いのは、遅れてるあの二人だからね。感謝される筋合いはないな」
英一が皮肉げに口元を歪めた。
「……そうか」
蓮と凛々華は苦笑しつつ、教室を後にした。
並んで歩きながら、凛々華がちらりと蓮を見やる。
「蓮君の努力、無駄にならなくてよかったわね」
どこか茶化すような声音だった。
割引券のことを言っているのだと察した蓮は、口の端を上げて返した。
「別にアイスは食えなくてもいいけどさ……。こうやって、凛々華と一緒に過ごす時間が減らなくてよかったとは思ってるよ」
「っ……!」
凛々華の足取りが一瞬止まり、頬が見る間に赤く染まっていく。
視線を逸らしながら、小さくつぶやいた。
「……そういうこと、サラッと言わないでほしいわ……」
そのタイミングで、向かい側から男子生徒が勢いよく駆けてきた。
「っと——!」
「きゃっ……⁉︎」
蓮は咄嗟に凛々華の腕を引き、自分の胸元に抱き寄せる。彼女は小さく悲鳴をあげた。
男子生徒が通り過ぎたあと、蓮は凛々華の顔を覗き込んだ。
「大丈夫か?」
「え、えぇ……ありがとう……」
凛々華は驚いたように瞬きをしたあと、小さくうなずく。
蓮はホッと息をつくと、イタズラっぽく瞳を細めた。
「凛々華は悪くねえけど、ちゃんと周りは見ておいたほうがいいぞ」
「っ……誰のせいだと思ってるのよ」
——ぽすっ。
凛々華の手刀が、弱々しく蓮の脇腹に突き刺さった。
(……人前だから、加減してくれたのか)
蓮が愛おしそうに見つめると、凛々華の頬がじわじわと火照る。
彼女はパッと蓮から離れ、顔を隠すように足早に歩き出した。
「そ、そんなことより早く行きましょうっ。水嶋さんも残り少ないって言ってたし」
「そうだな」
本当に、わかりやすいな——。
蓮は含み笑いを漏らしつつ、ズンズンと進む凛々華のあとに続いた。
——その一方、教室に残った英一と結菜は、黙々と作業をしていた。
客足が途絶えると、英一が唐突に口を開く。
「……クラス会長だから、なんて言い訳せずに、素直に懺悔って言えばよかったんじゃないか?」
「うっさい。そっちは名乗り出る勇気すらなかったくせに」
「僕は君に言われたから、仕方なくだよ。本当はやりたくなかった」
「へぇ……」
結菜は挑発的な笑みを浮かべ、英一の顔を覗き込んだ。
「な、なんだい?」
「やりたくない人が、あんなにその辺ウロウロしてることあるんだ? まるで、誰かが自分に声かけてくれるのを待ってたみたいだったけどね。黒鉄君たちが名乗り出たとき、後悔するみたいに唇噛んでたし」
「っ……」
英一の顔がぴくりと引きつる。
視線を逸らしながら小さく吐き捨てた。
「も、盛るな。僕はそんなことはしてない」
「いや、してたよ。クラスを観察するのは、会長の仕事だから」
「そんなの——」
「ほら、手が止まってるよ?」
英一の抗議の言葉を、結菜が容赦なく切り捨てる。
「っ……君は本当にいい性格してるな……」
「お互い様でしょ」
肩を落とす英一に、結菜はニヤリと笑ってみせた。
「ごめんっ! 遅くなったー!」
「ほんと、ごめん」
教室の扉が勢いよく開き、亜美と莉央がバタバタと戻ってくる。
「ちょっと時間配分ミスってさ、マジでごめん!」
「本当に助かった。藤崎も早川も、ありがと」
二人は深々と頭を下げたあと、英一と結菜の前にチケットを差し出す。
「……なに?」
結菜が眉をひそめた。
「代わってもらってたお礼だよ」
「アイスのペア割引券」
「あぁ」
英一が納得したような声を出す。
「ダーツとかビリヤードで良いスコア出すともらえるってやつかい?」
「そう。これ取るために頑張ったんだけど、時間なくなっちゃったから。よかったら使って」
亜美と莉央は英一にチケットを押し付けると、そそくさと裏に引っ込んだ。
受付を二人と交代したあと、英一は結菜にチケットを差し出した。
「君が使えばいい。僕はいらないから」
「でも、一緒に行く人いないんだけど。玲奈と日菜子は部活の出し物だし、高城さんと橘さんはシフト入ってるから……あんたは?」
結菜の問いに、英一は肩をすくめた。
「僕に、一緒に回る人がいると思うかい?」
それを聞いて、結菜がイタズラっぽく笑う。
「じゃあ、一緒に行きましょう」
「えっ?」
英一が目を瞬かせると、結菜はやや早口で続けた。
「せっかく高城さんたちがくれたんだから、使ったほうがいいし。それにほら、黒鉄君たちもそこ行くって言ってたから、私たちが一緒に行ったら驚くでしょ。割引でアイス食べれて、あの二人の間抜けな顔が見られるなら、安いもんじゃない?」
英一はしばらく黙っていたが、やがて観念したようにため息をついた。
「……まあ、一石二鳥か」
「絶対言うと思った」
「うるさい」
再び舌戦を繰り広げながら、二人は教室を出た。
——しかし、彼らが望んだ展開にはならなかった。
蓮と凛々華は驚きはしたものの、軽く目を見開く程度だった。
亜美と莉央がすれ違ったときに、割引券を使えなかったとこぼしていたため、この展開は予想していた。
そもそも、英一と結菜の組み合わせは、意外なものではなかった。
「やっぱり来たな」
「そうね。あの二人、なかなかいいコンビだもの」
「あいつらの言い合い、聞き応えあるよな」
英一と結菜の皮肉の応酬は、密かに他のクラスメイトたちの娯楽になっていた。
お互いに教養があるため、なかなか面白いのだ。知らぬは本人たちばかりである。
「なんだかこちらを見て、拍子抜けしているようだけど」
「俺らがもっとびっくりすると思ってたんだろ。そういう口実じゃないと、あの二人が一緒に行動するとは思えないし」
「そうね。彼らは素直じゃないもの。類は友を呼ぶって、ああいうことかしら」
凛々華がわずかに頬を緩める。
(そういう凛々華は、ずいぶん素直になったよな)
蓮がそう口元をほころばせていると、
「凛々華、蓮君——」
凛々華の母親である、詩織が姿を見せた。
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