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第141話 お姉ちゃん特権と、初の顔合わせ

 文化祭二日目。

 今日は一般公開日とあって、校内は昨日以上に人でにぎわっていた。


「いらっしゃいませー!」


 夏海(なつみ)の張りのある呼び声が、縁日ブースの周囲に響く。

 屋台風に仕立てられた教室では、彼女と亜里沙(ありさ)が呼び込みをしていた。


 (れん)凛々華(りりか)や他のクラスメイトとともに、ゲームの管理を担当している。

 (いつき)心愛(ここあ)はシフトが入っていないため、今頃は二人で回っているだろう。


「おーい、兄貴〜!」


 元気な声が聞こえて、蓮が視線を向けると、妹の遥香(はるか)が教室に入ってくるところだった。


「お、来たな」


 蓮が軽く手を上げると、遥香は「やっほー」と笑顔で手を振りながら近づいてきた。


「なになに? 誰か来た?」

黒鉄(くろがね)君の妹さん?」


 夏海と亜里沙が興味津々で様子を見に来る。


「おう、妹の遥香だ」

「こんにちはっ。黒鉄遥香です! 兄貴がいつもお世話になってます!」


 遥香が元気よく頭を下げると、二人は顔を見合わせ、にっこりと笑った。


「かわいい〜!」

「礼儀正しいなぁ。ほんとに黒鉄君の妹?」

「おい、どういう意味だ」


 蓮はツッコミを入れるが、聞き流された。


「よし、来たからには全力で楽しむぞー!」


 遥香は意気込みながら、凛々華が担当している射的コーナーの列に向かう。


「ちょっと高めにいくことが多いから、気をつけてね」

「うんっ!」


 凛々華のアドバイスを受け、遥香はコルク銃を構えた。

 一発、二発と撃っていく——が、的にはかすりもしない。


「くぅ……あと一発!」


 最後の一発はぬいぐるみに当たったが、体に当たったため、わずかにぐらついただけだった。

 頭に当たっていたら、取れていたかもしれない。


「あーっ、全部外れた……悔しい……!」


 肩を落とす遥香に、凛々華がふっと優しく微笑み、そっと頭を撫でる。


「惜しかったわね」

「当たりはしたんだけどね〜」


 遥香がえへへ、と舌を出した。

 その様子を見ていた亜里沙が、にやりと口元を緩める。


「ねえねえ、なんか二人って姉妹っぽくない?」

「ね、私も思った!」


 夏海が勢いよく同意すると、凛々華は少し頬を染め、「姉妹って……」と戸惑ったように視線を逸らす。

 そんな彼女の様子に、亜里沙がすかさず言葉を添えた。


「ねぇ、遥香ちゃん。今日だけお姉ちゃんって呼んであげたら?」

「えっ、け、結構よ、そんなの。呼ばなくていいわよ、遥香ちゃん」


 凛々華が慌てて手を振るが、遥香はにやりと口角を上げる。


「わかった——お姉ちゃん!」

「っ……!」


 凛々華の顔が一気に赤く染まった。

 彼女は噛みしめるように瞳を閉じたあと、コルクをそっと手に取り、遥香に差し出す。


「……順番待ちもいないし、特別に一発だけサービスしてあげるわ」

「えっ、いいの?」

「えぇ——お姉ちゃん特権よ」


 凛々華が照れくさそうに笑う。


「ホントに!? ありがとう、お姉ちゃん!」


 笑顔でコルクを受け取り、銃を構え直す遥香を見て、凛々華はだらしなく頬を緩めている。

 どうやら、一人っ子の彼女にとって、お姉ちゃん呼びの破壊力は凄まじかったらしい。


(こんな表情、猫カフェ以来だな……)


 蓮はその横顔を盗み見て笑みを浮かべていたが、ふと思いついたことを口にする。


「でも、それなら最初から、俺が兄貴特権ってことでサービスしても良かったんじゃねえの?」

「っ……!」


 凛々華の耳元がじわじわと熱を持つ。

 遥香が「まったく、デリカシーがないんだから……」と呆れたようにため息を吐き、銃口を蓮に向けた。


「じゃあこの一発で、兄貴やっちゃう?」

「お、やれやれ〜!」

「今しかないよ!」


 夏海と亜里沙が煽るようにはやしたてると——


「蓮君の制裁は、あとで私がやっておくから。遥香ちゃんは続きをどうぞ」


 凛々華が冷静に微笑みながら遥香を射的に促した。


「はーいっ!」


 遥香が嬉しそうに再び台に向かっていくのを見送った蓮は、ぽつりとつぶやく。


「マジで姉妹に見えるな……」




 遥香はその後も、蓮と凛々華のシフトが終わるまで、一通り楽しんでいた。

 昼食を一緒に摂る予定だからだ。


「遥香、父さんは?」

「うん、そろそろ到着するって言ってたけど——」


 遥香がそう言いかけた瞬間、スーツ姿の男性——直人(なおと)が姿を見せた。


「蓮、遥香」

「あっ、お父さん!」


 遥香がパタパタと駆けていく。

 蓮の隣で、凛々華がギシッという音が聞こえてきそうなほどわかりやすく固まった。

 

「父さん。おつかれ。彼女が凛々華だよ」


 蓮は軽く手を挙げると、そのまま凛々華を示した。

 直人が一礼をする。


「初めまして。黒鉄直人です。柊凛々華さんで、よかったかな?」

「は、はい。柊凛々華と申します! お、お初にお目にかかりますっ」


 凛々華はまるで面接を受けるかのように背筋をピンと伸ばし、声を裏返らせた。

 

「い、いや、そんな堅くならなくても……」


 直人は驚いたように笑い、蓮も思わず苦笑いを浮かべて凛々華の肩を叩く。


「凛々華、ちょっと落ち着け」

「で、でも、初めてだし……っ」


 凛々華のテンパる様子を見て、遥香が助け舟を出す。


「お父さん、この人が兄貴の彼女だよー!」

「余計に緊張させるような言い方すんな」


 蓮は遥香の頭を小突いた。

 

「いたっ」

「はは、いや……でも、こうして会えてよかった」


 直人は遥香の頭を撫でたあと、優しい目で凛々華に向き直る。


「蓮が、すごく大事にしているって話は聞いてたよ。いつも、息子が本当にお世話になっています」

「い、いえっ……! こ、こちらこそ、蓮君にはいつも助けられていて……!」


 たどたどしくも、必死に言葉を伝えようとする凛々華に、直人は「そうか」と、優しく笑った。


 それから四人は、近くの休憩スペースで昼食を取ることにした。

 蓮が買ってきた焼きそばや唐揚げを紙皿に分け、箸を渡していく。


「いただきまーす!」


 遥香が満面の笑みで手を合わせたあと、さっそく唐揚げを頬張る。


「ん〜! うまっ!」

「それは良かった」


 直人が微笑んで箸を取る。

 その横で、遥香がふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、お姉ちゃん!」

「っ……!」


 その言葉に、凛々華がぴたりと動きを止める。

 同時に、直人が不思議そうに眉をひそめた。


「……お姉ちゃん?」

「あっ、いえ、これは、その……っ」


 あたふたする凛々華に目を細めながら、蓮はフォローを入れた。


「まあ、さっきちょっと、そういうノリになってさ。友達に二人ほど、お調子者がいるから」

「なるほど、そういうことか」


 直人は納得したように頬を緩めた。

 凛々華がホッと肩の力を抜く中、遥香は何も気にしていない様子で、楽しげに続けた。


「でもさ、こないだのチーズ・イン・ハンバーグも、凛々華ちゃんと兄貴が一緒に作ったじゃん? 本当にお姉ちゃんみたいだよね!」

「「なっ……!」」


 蓮と凛々華の箸が同時に止まり、顔がみるみる赤く染まっていく。


「……お前、もう免罪符はないからな」


 蓮がじっとりと遥香を睨むと、凛々華も口の端を吊り上げて続ける。


「確か、脇の下よりも脇腹のほうが弱いんだったわよね?」

「ちょ、ちょっと待って! 私、何も悪いこと言ってなくない⁉︎」


 遥香が慌てふためくと、直人が笑い声を漏らした。


「はは。三人は仲がいいんだね」


 その言葉に、凛々華は少し気恥ずかしそうに瞳を伏せた。

 直人はふと、静かに口を開く。


「……家を空けがちだから、蓮や遥香のことは気になっててね。こんなふうに仲良くしてくれて、ありがとう」

「い、いえ。私も……一人でいることが多いので、蓮君や遥香ちゃんには、元気をもらってます」


 凛々華の声は少しだけ小さかったが、まっすぐな気持ちがこもっていた。

 直人はゆっくりとうなずき、やわらかく目を細める。


「それは、何よりだよ」

「……はい」

 

 凛々華がほんのりと笑みを浮かべ、少しだけしんみりとした沈黙が落ちる。

 嫌ではなかったけど、むず痒いので、蓮は空気を変えるように咳払いをした。


「さ、冷える前に食べようぜ」

「はーい! あっ、りり……お姉ちゃん。それちょうだい!」

「わざわざ言い直さなくていいと思うけれど、いいわよ」


 遥香の無邪気なお願いに、凛々華が先程までよりも柔らかい声で答え、再び空気が軽くなる。

 それから食べ終わるまで、その場は温かい空気に包まれていた。

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