第137話 初デート
「桐ヶ谷君。このへん、お店いっぱいあるんだね〜」
心愛がのほほんとした口調で、周囲を見回す。
「そ、そうだね……っ」
樹はやや緊張した面持ちでうなずいた。
二人はショッピングデートをしていた。
色々な店を見ていれば話題には困らないだろう、という蓮のアドバイスを受けて、樹が提案した。
「あ、あの通りの奥に、ちょっと服屋さんがあるみたいだけど……行ってみる?」
「うん、行こ〜!」
心愛は楽しげにうなずいた。
樹はそっと安堵の息を吐いた。
店に入ると、目に飛び込んでくるカラフルな洋服の数々。
心愛はキョロキョロと視線を動かしながら、ふと何かを思いついたように振り返る。
「ねえ、私に似合いそうなの、選んでみて?」
「えっ!? ぼ、僕が……?」
「うん。やってみよ〜。桐ヶ谷君のセンス、見てみたいな〜」
軽い冗談のように言う心愛だったが、その瞳はどこか期待に輝いていた。
樹はぐるりと店内を見渡し、真剣に、必死に考える。
(初音さんが似合いそうな服、初音さんに着てほしい服——)
そのとき、淡いラベンダー色のワンピースが目に留まった。
ふんわりとした裾と、繊細なレースが特徴的な一着だった。
「こ、これ……どうかな?」
「わぁ。かわいいね〜。ちょっと大人っぽくて、新しい感じかも!」
心愛は嬉しそうにワンピースを受け取り、店員に声をかけると、試着室へと向かった。
数分後——。
「……どう、かな?」
カーテンをそっと開けて現れた心愛は、ラベンダーのワンピースに身を包み、少し恥ずかしそうに袖を握っていた。
「っ……あっ、えっと……その、すごく、似合ってるよ」
樹は思わず言葉を飲み込みそうになりながらも、正直な気持ちを口にした。
「良かった〜。もしかして、こういう感じが好き?」
「えっ、あっ、い、いやっ、そのっ……!」
「ふふ。桐ヶ谷君の好み、ちょっとわかっちゃったかも〜」
にやにやと微笑む心愛に、樹はもう言葉も出ない。
顔を隠すように目線を逸らすしかなかった。
「じゃあ、ちょっと着替えてくるね〜」
心愛はそう言って、再び試着室のカーテンを閉じた。
数分後、元の服に戻った彼女が出てくる。
「——えへへ。これ、買っちゃおっかな」
心愛はワンピースを胸に抱え、ほわっと笑った。
頬はほんのりと桜色に染まり、視線を伏せながらも、どこか嬉しそうに指先で生地を撫でている。
「えっ? も、もう決めちゃうの?」
「うん。だって、桐ヶ谷君が選んでくれたんだもん。……似合うって、言ってくれたし」
その声は、どこかくすぐったそうで、でも嬉しさが隠しきれていなかった。
「っ……」
今度は樹が顔を真っ赤にしてうつむいた。
「じゃあ、今度は私の番ね〜」
空気を変えるように明るく言いながら、心愛はラベンダーのワンピースを大事そうに抱えて、くるりと振り返った。
「えっ? え、なにが?」
「お返しに、私が桐ヶ谷君の服を選んであげる!」
「ええっ⁉︎ ぼ、僕は別にいいよっ!」
「ダメ、おあいこだよ?」
心愛はぴょこんと指を立ててにっこり笑った。
樹は観念してうなずく。
「……わかったよ」
「よろしい! 桐ヶ谷君には、こういうのが似合うと思うな〜」
そう言って彼女が選んだのは、柔らかなベージュのシャツに、爽やかなミントグリーンのカーディガン。
シンプルながら、柔らかな雰囲気を引き出してくれそうな一着だった。
「ほら、桐ヶ谷君」
「えっ……あ、うん……行ってくる……」
照れながらも試着室に入った樹が、数分後に姿を現す。
「……ど、どうかな?」
「わぁ。やっぱり、似合ってる〜!」
心愛は目を輝かせたまま拍手するように手を叩いた。
「ちょっと大人っぽくなった感じ。その……格好いい、よ?」
「か、かっこいいなんて……そ、それは言い過ぎだよ。ただの陰キャだし——」
頬を赤らめながら身を縮める樹に、心愛は頬を膨らませて、ツンと指でその頬を突いた。
「わっ、な、なに?」
樹が目を白黒させると、心愛はむすっとした表情のまま、腕を組んだ。
「言い過ぎじゃないもん。前に言ったでしょ? ウジウジしてると、ビシッといっちゃうって」
「うっ……ごめん」
樹が思わず視線を下げると、心愛が覗き込み、ジト目で見上げる。
「桐ヶ谷君、ごめんじゃなくて?」
「……ありがとう」
「よくできました〜」
笑いながら、心愛は軽く腕を叩いてくる。
どこか誇らしげに微笑む彼女に、樹も思わず笑みをこぼした。
◇ ◇ ◇
「ねぇ、ちょっと休憩しない? あそこのカフェ、かわいいよ〜」
ショッピングを終えた後、心愛が道沿いの小さなカフェを指差した。
確かに、雰囲気の良さそうなカフェだった。しかし——
(たまには、僕がリードしたい)
そんな思いが、樹の中には芽生えていた。
心愛も楽しんでくれているようだし、今ならできる気がした。
「うん、そこもいいけど……実は、近くに調べておいたお店があるんだ。そっち、行ってみない?」
「わっ、ホント? じゃあそっち行こ〜!」
心愛が嬉しそうに笑うのを見て、樹は少しだけ成長できた気がした。
駅から少し離れた裏通りの小さなカフェ。落ち着いた雰囲気で、二人でゆっくり話せる場所だと思っていた。
しかし——。
「すみません。現在、満席でして……」
「……っ」
店先でそう告げられ、樹はガックリと肩を落とした。
(やっぱり僕は……全部、空回りだ)
ここまでも、心愛にリードしてもらってばかりで、自分で連れてきたカフェすら入れなかった。
「ご、ごめん。せっかく来たのに……」
自分を責めるように、樹がそうつぶやいた、そのとき。
「——桐ヶ谷君」
心愛が、樹の手の甲に、そっと自分の手のひらを添えた。
「っ……!」
樹の心臓が跳ねた。
視線を泳がせる彼をまっすぐ見つめ、心愛が穏やかな口調で続ける。
「プレゼントってさ。相手が真剣に考えて買ってくれたものなら、なんでも嬉しいと思わない?」
「えっ……う、うん」
樹は戸惑いつつ、あごを引いた。
心愛が満足そうにうなずく。
「そうでしょ? デートも、同じじゃないかな〜。桐ヶ谷君が私のために一生懸命頑張ってくれてるなら、それだけで、嬉しいよ?」
「でも……初音さんの提案を押し切ってまで連れてきたのに、満席なんて……」
「最初からうまくできる人なんて、いないよ〜。私だって、最初は何着ればいいか悩んだし、何話そうかも迷ったもん」
心愛はふんわりと笑う。その笑顔は、柔らかく、そして温かかった。
「今日は、すっごく楽しいよ。ありがと、桐ヶ谷君」
「……っ」
樹は唇を噛み、少しだけ目を伏せた。
そして、そっと、彼女の手を握り返した。
「……こっちこそ、ありがとう。初音さん」
その一言に、心愛の笑顔がさらに柔らかくなった。
「じゃあ、次は一緒に、カフェ探そっか?」
「そうだね。今度は……ふたりで、見つけよう」
「うん!」
樹は心愛の笑顔を見ながら、歩き出す足に力を込めた。
結局、近くの全国チェーンのカフェが空いていたので、そこに寄った。
カフェを出ても、まだ日は高く、帰るには少し早い時間だ。
「桐ヶ谷君。今日はココア、頼まなかったんだね?」
「べ、別に毎回飲んでるわけじゃないし……」
樹は照れくさくなってそっぽを向いた。心愛がくすくす笑う。
おもちゃにされていると気もするけど、楽しんでくれているのならいいか、と思ってしまった。
駅までの道を歩いていると、心愛がふと立ち止まり、横にある建物を指さした。
「ねぇねぇ、ちょっと寄ってこ〜?」
指差された先には、小さなゲームセンターがあった。
ショッピングモールに併設されたような一角で、外からでも明るいネオンやクレーンゲームの景品が見える。
「あっ……うん」
樹は少し戸惑いながらも頷いた。
ゲーセンにふたりで入るなんて、なんだか青春っぽくて、ドギマギしてしまう。
店内には、子供連れの家族やカップルがちらほらといた。
心愛は、店の奥のクレーンゲームに目を留めると、小さく歓声を上げて駆け寄っていった。
「このぬいぐるみ、かわいい〜」
ピンクのうさぎのぬいぐるみが、アームの中でちょこんと座っている。
心愛が両手を合わせて見つめる様子に、樹は一歩後ろでそっと微笑んだ。
「……初音さん。ちょっと、トイレ行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい〜」
樹はトイレに向かうふりをして、心愛がその場から離れたのを見て、急いで戻った。
(……取れたら、渡したいな)
ゲームは得意ではないが、昔からクレーンゲームだけはちょっと自信がある。
景品の位置を見極め、呼吸を整えて、ゆっくりとアームを動かす。
「……!」
一回目は惜しくも滑り落ちたが、二度目のチャレンジで——。
カコン、と小さな音と共に、ぬいぐるみが景品口に落ちた。
(よかった……!)
樹は慌ててぬいぐるみをリュックに隠すと、何食わぬ顔で心愛の元へ戻った。
「ごめん、お待たせ」
「ううん、全然〜」
その後はぐるりと見て回ったあと、少しだけメダルゲームをやってから、店を出た。
駅へ向かって並んで歩く帰り道。
ふたりきりの時間がもうすぐ終わることに、ほんの少しだけ名残惜しさを感じながら、樹はリュックをがさごそと探った。
「……あのさ、初音さん」
「ん?」
「これ……よかったら」
樹がぬいぐるみを差し出すと、心愛が目を見張った。
「えっ、これ……もしかしてさっきの……⁉︎」
「う、うん。かわいいって言ってたから、その、嫌じゃなかったら——」
「嫌じゃないよ、ありがと〜!」
心愛は目を輝かせながら受け取った。
そして、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。
「まさか、こっそり取ってくれてたなんて……。トイレって言ってたとき?」
「うん、まあ……」
樹は頬を掻き、視線を逸らした。
「全然気づかなかったよ〜。すっごく嬉しい……っ」
心愛が頬を染め、ぬいぐるみにそっと顔を埋める。
(それ、反則……!)
樹も真っ赤になりながら、ふっと口元を緩めた。
「僕でも、ちょっとは頑張れた……かな」
「うん。今日の桐ヶ谷君、すっごく格好よかったよ」
お世辞じゃない——。
樹でもそうわかるくらい、心愛の表情は柔らかかった。
彼女に認めてもらえたことが、何よりも嬉しかった。
しばらく並んで歩いた後、樹はそっと手を差し出した。
「……あの、手……つないでも、いい?」
心愛は目を丸くしてから、ぱぁっと笑顔の花を咲かせた。
「もちろん、いいよ〜!」
彼女はすぐに、優しく指を絡めてきた。
夕暮れが差し込む駅前の街並みの中、ふたりの影が重なった。
(この手を、ずっと離したくない——)
そう思いながら、樹はそっと指先に力を込めた。




