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第126話 最後まで

 ——時は少し遡り、(れん)凛々華(りりか)が退店した直後。


「もう一回だけ聞くけど、あいつらに何かされてたわけじゃねーんだよな?」


 勇人(はやと)は隣を見て、静かに問いかけた。


「うん……違う。本当に全部、私のせいだから」


 ミラはわずかに首を振り、膝の上で指先をぎゅっと握りしめる。


「……そうか」


 勇人は言葉を飲み込むように押し黙った。

 ややあって、彼はぽつりとつぶやいた。


「無理に、話す必要はねーからな」


 優しい声だった。本当にミラのことを気遣っているのが伝わってきた。


 ——そんな彼だからこそ、ミラは話さなければならないと思った。

 これ以上、逃げたくなかった。


「……私、中二のときに日本に来たの。ハーフってだけで浮いて、毎日がすごく怖かった」


 ぽつぽつと、語り出す。

 陰口、容姿いじり、無視。そういったことが日常だったこと。

 それでも、蓮はそんな自分を庇ってくれたこと。ハブられながらも一緒にいてくれたこと。


「付き合ってるときも、ずっと優しかったの。私なんかに……本当に、もったいないくらい」


 しかし、ミラは蓮に対して、恩を仇で返すような仕打ちをした。

 嘘告白だったと告げたときの彼の悲しそうな表情は、今でも鮮明に脳裏に焼きついて離れない。


「そのせいで、蓮君……その後、女の子を避けるようになっちゃって……。私が、トラウマを植え付けたんだよ」


 語り終えてからも、勇人は口を開かない。


「……失望したでしょ」


 ミラは沈黙に耐えられず、皮肉げにそう笑った。

 勇人は少しだけ目を見開き——そして、ゆっくりと首を横に振った。


「いや……すげーなって思った」

「……えっ?」


 ミラは思わず顔を上げた。

 勇人のまっすぐな眼差しが、彼女を射抜く。


「こんなふうにちゃんと伝えられるの、すげーと思う。俺に話す必要なんてねーのに、ちゃんと自分の罪と向き合おうとしてるんだな」

「そんな、立派なものじゃないよ……」

「それでも、確実に前に進もうとしてんだろ。それがわかったから、元カレも背中を押してくれたんじゃねーか? 見た感じ、あんまりお世辞言うタイプには見えなかったぞ」

「そう、だけど……」


 ミラは目を泳がせる。どう返せばいいかわからなかった。

 そんな空気を変えるように、勇人は明るい声を出す。


「にしても俺、あの二人にひでー態度とっちまったな」

「それは……仕方ないよ。事情を知らなかったんだし、あの二人ならそこは理解してくれてると思う」

「まあ、そうだろうけど……やっぱ謝りてーわ。もう一回、あの二人に会わせてくんね?」

「えっ……それって、私が連絡するってこと……?」


 ミラの声が震えた。

 しかし、勇人は気にする様子もなく続ける。


「あぁ。ミラ、連絡先知ってんだろ?」

「……教えていいか、聞くくらいなら……」

「いや、ミラも一緒に会おう」

「そ、それはダメだよっ」


 ミラは慌てて首を横に振った。


「私にもう二人に会う資格なんてないし、蓮君たち……特に凛々華さんは、私の顔なんてもう見たくないって思ってるだろうから……」


 視線を伏せ、ミラはテーブルの端を見つめたまま、唇を噛んだ。

 だが——、


「それでもさ、俺はもう一回会ったほうがいいと思う」


 勇人の声に、迷いはなかった。


「……どうして?」

「謝るだけじゃなくてさ。ミラがこの出来事から何を感じて、どう変わったか。それを伝えることに意味があると思うんだよ。……このまま終わったら、あの人たちが受け取った痛みだって、ただの痛みで終わっちまう」

「っ……」


 ミラは顔を上げることができなかった。

 勇人は優しい口調で言葉を続ける。


「ちゃんと向き合うって、そういうことだろ? せっかく許してくれようとしてんだ。最後まで向き合おうぜ。頼りねーかも知んねーけど、俺も一応ついてるからさ」

「最後まで、向き合う……」


 ミラはうわごとのように、勇人の言葉を繰り返した。

 やがて、彼女は静かに、しかし力強くうなずいた。


「……うん。蓮君に、もう一度会わせてもらえないか、連絡してみる」

「おう。その意気だ」


 勇人がニカっと笑う。


「それと……橋本(はしもと)君」


 ミラは少し言い淀みながら、照れくさそうに視線を上げた。


「……ありがと」

「っ……別に、俺は乱入して好き勝手言ってるだけだけどな」


 勇人の口調が、急にぶっきらぼうになる。

 照れたように頭を掻く彼を見て、ミラはほんの少しだけ、口元を緩めた。




 その夜——。

 ミラが蓮にメッセージを送ると、すぐに既読がついた。


 少し経ってから、承諾の返事が来た。

 きっと、凛々華と相談していたのだろう。


 待ち合わせ場所は、蓮たちの最寄り駅のすぐ近くのカフェだ。

 蓮は中間地点でいいと言ってくれたが、そこは譲らなかった。


 ただ、それだと勇人に迷惑をかけてしまうので、彼に交通費は出すと申し出たのだが、謝りに行くのであって付き添うわけじゃないから、と断られた。

 そもそもの謝る原因はミラなのだが、彼は主張を曲げなかった。言い出したら聞かないところは、蓮にそっくりだ。


 三十分前には到着して、席に着いていた。

 頼んだコーヒーは、いつの間にかぬるくなっている。


 ミラは何度も、伝えたいことを頭の中で反芻していた。

 ——そのたびに、胸が締めつけられる。


(ほんとに、これでいいのかな……)


 また、蓮と凛々華を不快な気分にさせてしまうのではないか。

 そんな考えがよぎったとき、


「——早いな」


 ふいにかけられた声に、ミラは顔を上げた。

 そこに立っていたのは、蓮と凛々華。


 約束の十分前。変わらないな、とミラは瞳を細めた。

 ちくりと胸に痛みが走る。


「二人とも……来てくれて、ありがとう」

「あぁ、大丈夫か?」

「うん、まあ」


 蓮の問いに、曖昧に微笑む。

 それ以上の会話は、なかった。


 きっとお互いに、どこまで踏み込んでいいかわからなかったのだろう。

 カフェの賑わいとは対照的に、三人の席には少し重たい沈黙が流れていた。


 約束の時間を二分ほど経過したころ——、


「すまん、遅れた!」


 勇人が汗を流して駆け込んできた。


「何かあったの?」

「乗り換えミスった。すまん!」


 そのあっけらかんとした様子に、思わずミラの肩の力が抜けた。

 それは蓮と凛々華にとっても同じだったのか、空気がほんの少しだけ和らぐ。


 簡単な自己紹介を交わしたあと、まずは勇人が昨日の態度を詫びた。


「勝手に誤解して睨みつけたりして、マジでごめん」


 しかし、予想通りというべきか、蓮と凛々華は全く根に持っていなかった。


「それは仕方ないわ。あなたは状況を知らなかったのだから」

「あぁ。むしろ、殴られなかっただけありがてえよ」

「いや、そこまで脳筋じゃねーから」


 蓮の冗談に勇人がツッコミを入れて、少しだけ和やかな雰囲気になる。


「でも、二人に来てもらったのはそれだけじゃねーんだ」


 勇人の視線を受け、ミラは息を呑み、蓮と凛々華に向き直った。


「まずは、改めてお礼をさせて。またこうやって、会う機会を作ってくれてありがとう」


 静かに、深く頭を下げる。


「正直、もう二人には会っちゃいけないって思ってた。でも、橋本君に言われたんだ。私がこの経験から何を感じて、どう変わったか。それを伝えることに意味があるって」


 蓮と凛々華は軽く目を見合わせるが、何も言わない。


「私、また逃げようとしてたんだよ。謝るだけなんて、自分の気持ちを整理するだけで、結局は自己満足なのに……。でも、それじゃだめだって気づかされた」


 ミラはぐっと唇を引き結ぶ。


「だから、ちょっとだけ時間をもらえないかな。口約束になっちゃうし、そんなの聞きたくないかもしれないけど……」

「俺は構わない」


 そう言って、蓮は気遣うように凛々華を見る。

 彼女は軽くうなずき返してから、ミラに視線を向けた。


「私も、いいわ」

「……ありがとうございます」


 ミラはもう一度深く息を吸ってから、話し出した。


「昨日、私なりに色々考えたんだ——」

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