第115話 クラス会長は毒を吐きます
「そっか、テストの報酬だったんだー。黒鉄君、嬉しくなって誘っちゃったんだね」
「そりゃ、まあ……」
亜里沙に温かい眼差しを向けられ、蓮は居心地悪そうにうなずいた。
「でも、そんなのなくてもデートくらい行くのにねぇ。ね、柊さん?」
夏海が無邪気な笑みを凛々華に向けた。
「……そうでなければ、そもそも付き合ったりしないわ」
凛々華は一瞬だけ蓮を見て、すぐに視線を逸らした。その耳先がじわじわと朱色に染まる。
その隣で、蓮も照れたように頭を掻いた。
彼らの——特に、蓮と凛々華の声は小さかったが、ひそめているわけではない。
ガヤガヤしている教室でも、耳をすませば、会話の内容を聞き取ることは可能だった。
「気になるなら、混ざってきたら」
莉央が、すっかり作業の手が止まっている亜美に苦笑を向けた。
「うっ……莉央もでしょ」
「私は別にいい。聞いても楽しくないから」
莉央は淡々とした口調で答えた。
「それより、気になるのはあっち」
その視線の先では、結菜、玲奈、日菜子の三人が、固まって作業をしながらも、どこかぎこちない空気を漂わせていた。
お互いに気を遣い合ってしまっているようだ。
「ちょっと掻き回しにいっちゃう?」
「時には荒療治も必要だよ」
「莉央、面白がってるっしょ」
「そんなことない」
軽口を叩き合いながら、亜美と莉央は三人に近づいた。
「やっほー」
「大変そうだし、手伝うよ」
あくまで自然体を装いながら、二人は問答無用でその輪に加わり、ちゃっかりと腰を下ろした。
「あぁ、うん……」
「ありがとう……」
玲奈と日菜子が戸惑いつつも笑顔を返す。
亜美と莉央は、唯一黙ったままの結菜にターゲットを定めた。
「会長。なんか二人ほど砂糖ばら撒いてるやつらがいるんだけど、放っておいていいの?」
「このままだとクラス全員が糖尿病になる。藤崎の毒で中和しないと」
亜美と莉央が畳みかけるように言うと、玲奈と日菜子が引きつった笑みを浮かべる。
「ど、毒って……」
「それは、ちょっと言いすぎじゃない?」
しかし、当の結菜はふっと息を吐くと、どこか自嘲気味に微笑んだ。
「——それくらいで、ちょうどいいよ」
あっけらかんとした言葉に、一瞬、場の空気が止まる。
「私が毒を吐くのは事実だし、玲奈と日菜子も、変に気を遣わないでいいから。というか、そもそも私と一緒にいる義務もないしね」
結菜の声は平坦だったが、その表情にはどこか寂しそうだ。
「仮面被ってた私と仲良くしてたんだから、別に——」
「違うよ」
結菜の自虐気味の言葉を、玲奈が鋭く遮った。
目を瞬かせる結菜に、怒ったような口調で続ける。
「別に、みんなに優しい人気者だから一緒にいたわけじゃないし」
「っ……!」
結菜が息を詰めた。
ふっと表情を緩める玲奈の隣で、日菜子も柔らかい眼差しを結菜に向ける。
「確かに結菜のやったことはダメだけど、柊さんたちは許してくれたんだから、ここから前を向けばいいんだよ」
「なんで……っ」
結菜がかすれた声を出した。
「ん?」
「……なんで、そんなふうに言えるの? 私、自分でも引くくらいひどいことしたのに……」
結菜は視線を逸らしながら、震える声で問いかけた。
玲奈と日菜子は眉を下げて微笑む。
「だって、前の結菜も今の結菜も、どっちも好きだもん」
「それに、立場的にストレス半端なかったってのもわかるし、気づけなかった私たちにも責任はあるからさ」
「玲奈、日菜子……」
結菜の瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。
「というかそもそも、結菜が聖人君子じゃないのはわかってたしね。前から、三人だけのときはちょいちょい毒吐いていたもん」
「……えっ?」
イタズラっぽく笑う玲奈の言葉に、結菜はポカンと口を開けて固まった。
「なにその顔っ……!」
「めっちゃ変な声出すじゃん……っ」
亜美と莉央は勢いよく吹き出した。
玲奈と日菜子も、楽しそうに肩を揺らして笑う。
「ふふ、結菜もそんな間抜けな顔するんだね」
「小池先生は騙せても、私たちは無理だよ」
「……別に、騙そうとしてたわけじゃないし」
結菜はそっと目元を拭い、そっぽを向いた。その耳元はほんのり赤らんでいる。
「「ふふ」」
玲奈と日菜子が、安心したように微笑んだ。
「——莉央」
「うん」
亜美と莉央は満足そうにうなずき合い、拳をぶつけた。
準備作業も終盤に差し掛かり、もう一人手が欲しいという話になったときだった。
「早川、暇そうだから手伝って」
莉央が目をつけたのは、少し離れた机で黙々と作業を進めていた英一だった。
彼は振り向き、眉をひそめた。
「……暇ではないんだけど」
「いいから早く来て。そんなんいつでもできるでしょー」
亜美が手招きしながら呼ぶと、英一は渋々といった様子で椅子から立ち上がった。
「こき使われる未来しか見えないね」
「正解。はい、作業分担!」
「……やっぱり」
面倒そうにしながらも、英一は指示通りに資材を受け取り、手を動かし始めた。
「早川、意外と従順じゃん」
「じゃあ、ついでにこれもお願い」
亜美が感心したようにうなずくと、すかさず莉央が、ダンボールと道具一式を英一の近くにドサっと積み上げる。
「……文句は言わせてもらうよ?」
「いいよ。聞く気はないけどね」
「だよね〜。あんた文句は言ってるけど、なんだかんだで手動いてるし」
亜美と莉央は息ぴったりに返す。
英一は顔をしかめ、結菜に視線を向けた。
「……この状況、普通ならクラス会長が注意すべきだと思うんだけど?」
結菜はわずかに眉を上げた後、すぐに口元を引き締めて答えた。
「じゃあ、会長命令。私たちが作ったの、全部まとめて倉庫部屋に運んできて」
「……藤崎さんが一番ひどくない?」
「だって、私の仮面を剥がしてくれたの、あんただもん」
結菜はあっさりと開き直った。
英一は皮肉げに口元を歪めて、
「どうせいつかは剥がれてたと思うけどね」
「うるさい。私の下位互換なんだから、黙って従えばいいの」
口調こそ冷たいが、結菜はどこか楽しげに荷物を指差した。
英一がわざとらしく肩をすくめる。
「僕に対してだけ当たり強すぎないかい? さっきまで借りてきた猫みたいだったのに」
「う、うっさいって言ってんでしょ」
結菜はわずかに頬を染めたものの、すぐにニヤリと口角を上げる。
「それに、これに関してはあんた自身が言ったんだから、否定はさせないよ」
「……まぁ、それはそうだけど。身から出た錆か」
「私はそうやって、慣用句使って頭いいアピールはしないけどね」
結菜が小馬鹿にするように鼻を鳴らすと、今度は英一が赤面した。
「こ、こっちのほうが簡潔に伝えられるんだから、良いじゃないか」
「はいはい。わかったから、さっさと行ってきて」
結菜はひらりと手を振って、さながら使い魔に命令するかのように軽くあしらう。
英一は、この数分間で何度目になるかわからないため息をこぼした。
「扱いが雑すぎるよ、まったく……。こんなことになるなら、君を続投させる流れは断ち切るべきだったな」
「柊さんたちが作ったぬるい空気、あんたが壊せるの?」
結菜が演技めかして首をかしげると、英一はどこか得意げに、
「今の僕に、周囲の顔色を窺う義務はないからね」
「っ……」
結菜が息を呑む中、英一は荷物を抱えて立ち上がり、そのまま歩き出した。
教室を出ていくその背中を眺めながら、亜美がぽつりとつぶやいた。
「あいつ、前は変に周りのこと気遣ってたもんなぁ」
「失うものが何もない人間は強い。藤崎も見習うべき」
莉央の声には、かすかな笑いが混じっている。
「……まだ一応会長なんだけど」
そう肩をすくめてみせる結菜の口元も、わずかに弧を描いていた。
「ふむふむ。そこで黒鉄氏は——」
ふと五人の間に静寂が落ちると、亜里沙の声が漏れ聞こえてきた。
「あいつら、まだやってるよ」
「水嶋はともかく、井上があんなに活き活きしてるのは初めて見たかも」
亜美は呆れたように笑い、莉央は意外そうにつぶやいた。
玲奈と日菜子も朗らかに笑って、
「でも、黒鉄君も柊さんも、なんだかんだ楽しそうだよね」
「ねー。あの二人でも、付き合ったらのろけたくなるもんなんだね」
しかし、結菜だけは、どこか硬い表情を浮かべていた。
それに気づき、亜美は軽く唇を釣り上げる。
「あれ、藤崎って本気で黒鉄に惚れてたクチ?」
「えっ? いや、別にそういうわけじゃないよ。タイプじゃないし」
結菜はあっさり否定すると、真剣な瞳を亜美と莉央に向けた。
「それより、高城さんと橘さんって、初音さんと仲直りしたよね?」
「えっ? ま、まあ、一応」
「仲直りしてもらった、みたいな感じだけど」
亜美と莉央の返答はぎこちない。
結菜は少しだけ眼差しを和らげたが、すぐに険しい表情に戻って、
「なんか初音さん、様子変じゃない?」
「えっ? ……あっ」
「ホントだ……」
亜美と莉央は、すぐに結菜の言いたいことを察した。
心愛は話に加わらず、淡い笑みを浮かべながら黙々と作業していた。
その他のクラスメイトなら「さすが聞き上手」と納得するかもしれないが、心愛は意外とツッコミや茶々を入れるタイプだ。ただでさえ恋バナという明るい話題なのに、静かすぎる。
「藤崎、よく気づいたね」
「心愛と仲良かったっけ?」
「みんなから人気の子の性格ぐらい把握してないと、会長は務まらないよ……って、黒鉄君と柊さんを見誤ってた私が言っても説得力ないけどね」
結菜がわずかに目を伏せ、口元だけで小さく笑った。
「なかなか闇深いねぇ」
亜美がおかしそうに笑った。
莉央は、やや真面目な口調で、
「でも、心愛の異変に気づけたんだから、フラットな目線で見ることができたら、やっぱり藤崎の観察眼は群を抜いてると思う」
「っ……ありがと。橘さんって、意外と優しいんだね」
「私は普通に優しいよ」
莉央がドヤ顔で胸を張る。
空気が少し軽くなった。
「じゃあ、フラット目線でついでにもう一つ言わせてもらうけど……初音さん、あんまり会話に入ろうとしてないような感じしない?」
「えっ、やっぱそう思う? あの反応って、もしかして……って思っちゃうよね」
「うん……」
誰も明言はしなかったが、その場にいる五人全員が、同じ一つの可能性に辿り着いていた。
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