第113話 アクセサリーと、帰り際のお願い
やや混雑したショッピングモールの中、蓮は凛々華と肩を並べて歩いていた。
定期テストの勝者として蓮が手にした「お願いひとつ」。それを使って実現したのが、今回の付き合ってからは初めてのお出かけデートだった。
あとになって思えば、恋人なんだし、そんなものを使わず素直に誘えばよかったのかもしれない。
けれど、あのタイミングと口実があったからこそ、ぎこちなさはありつつも余計な気負いなく言葉にできたのも事実であるため、特に後悔もしていなかった。
「平日なのに意外といるな、人」
「えぇ。さすが夏休みという感じね」
交わす言葉はありふれていても、その横を歩く凛々華の姿には、自然と目を奪われた。
白のノースリーブブラウスに、淡いラベンダーのロングスカート。涼やかで清楚なのに、どこか色っぽさもある。
何度も、彼女の揺れる手に視線が吸い寄せられては、伸ばしかけた指を引っ込めた。
以前、一度だけ手をつないだことはある。けれど、いざこうして人目がある場所となると、妙に意識してしまう。
自分でも情けないとは思うが、蓮はなかなか勇気が出ずにいた。
(……今はまだ、これくらいでいいか。柊も、人前ではあんまりスキンシップとかしたくないだろうし)
蓮がそう自分に言い聞かせていると、凛々華が足を止めて、とあるショップを覗き込んだ。
「ここ、ちょっと見てもいいかしら?」
「あぁ、もちろん」
ふたりが足を踏み入れたのは、木目調の什器が並ぶ、落ち着いた雰囲気のアクセサリーショップだった。
髪飾りやピアス、ポーチにストールなど、華やかでいて繊細な小物が目を引く。
凛々華は棚をひとつひとつ、丁寧に眺めていたが、やがてふと振り返った。
「ごめんなさい、少しだけお手洗い行ってくるわ」
「おう、了解」
凛々華が離れたあと、蓮は店内をなんとなく見て回った。
(こういうの、好きなんだろうな……)
ふと、目に留まったのは淡い水色の髪飾りだった。
先ほど、凛々華が少し長めに見ていたのが脳裏に残っていたのだろう。自然と目が引かれていた。
(柊に似合いそうだよな……)
涼やかで、派手すぎず、けれど少しだけ甘い雰囲気がある。
どこか、凛々華の雰囲気にぴったりだった。
じっと見つめていると、女性店員が声をかけてきた。
「彼女さんへのプレゼントですか?」
「いえ、そういうわけではないんですが……似合うかなと思って」
「ふふ、プレゼントして差し上げたら、きっと喜ばれますよ。そちら、新作で人気ですから」
「そうなんですね」
(柊が新作ではしゃぐ姿は想像できねえな……)
蓮が思わず笑みを漏らした、そのときだった。
「——何をしているの?」
低めの声に振り向くと、凛々華がこちらを見ていた。
腕を組み、表情はどこか刺々しく、じっと蓮を見据えている。目元がやや細くなっていたのは、気のせいではないだろう。
「い、いや、別に……」
蓮は反射的に言葉を濁しかけた。
けれど、凛々華が一瞬だけ女性店員に視線を移し、ほんの少しだけ目を伏せたのを見て——蓮の指が自然に、髪飾りを指していた。
「……これ、柊に似合うかなって思って」
「っ——!」
凛々華の肩がピクリと反応した。
蓮の顔を一度見上げたあと、視線を逸らして棚へ目を移す。
「……確かに、可愛いけれど」
「柊、さっきもちょっと見てただろ? つけてみたらどうだ?」
「……そうね」
少しだけ視線をさまよわせてから、凛々華は静かに頷いた。
髪飾りを手に取り、しばし戸惑うように見つめてから、おずおずと差し出してきた。
蓮は目を瞬かせた。
「……えっと?」
「じ、自分じゃ、どこにつければいいのか……わからないから……」
凛々華は消え入りそうな声でそう言い、潤んだ瞳で一瞬だけ蓮を見上げた。
「お、おう……っ」
蓮は声を上ずらせながら受け取ると、そっと彼女の髪へ指を伸ばした。
指先に感じる、さらさらとした感触。ふわりと漂う、石鹸のような香り。
うつむいている凛々華は、耳元まで真っ赤だ。
唇も、何かに耐えるようにぎゅっと固く引結ばれている。
(……やべえっ……)
蓮は鼓動が速くなるのを感じながらも、なんとか手元に集中し、髪飾りを留めた。
「よし……できた」
蓮が一歩下がると、凛々華が視線を逸らしたまま、ゆっくりと顔を上げた。
その瞬間、蓮は唾を飲み込んだ。
「っ……めっちゃ似合ってる」
「……そう?」
凛々華はほんのわずかに眉を動かし、少しだけうつむきながら鏡の前へ歩いていった。
首を傾け、そっと髪飾りを確かめる仕草は、いつになく慎重だった。
顔は照れを滲ませていたが、目元にはどこか満足げな色があった。
しばらくして戻ってきた凛々華は、いつも通りの澄ました表情に戻っていた。
「まあ……たまには、こういうのも悪くないわね」
そう言って、髪飾りを棚に戻そうとする。その手を、蓮がそっと押さえた。
「黒鉄君?」
凛々華が戸惑ったような目を向けてきた。
蓮は照れくさそうに視線を逸らしながら、申し出た。
「それ、俺が買うよ。気に入ったみたいだし」
凛々華は驚いたように振り返ったが、髪飾りをぎこちなく棚に戻し、首を横に振った。
「いいわよ。そんなつもりじゃないもの」
「……迷惑だったか?」
蓮が硬い声で問いかけた瞬間——凛々華はハッと顔を上げた。
「っ、違うの! そういうわけではなくてっ……ただ、申し訳ないだけよ」
言葉は尻すぼみに小さくなったが、視線を落とす凛々華の指先は、そっと髪飾りに触れたままだ。
蓮は息を吐き、柔らかく微笑む。
「なら、プレゼントさせてくれ。その……せっかくのデートなんだし、ちょっとくらい格好つけさせてほしいっつーか」
「っ——」
凛々華が思わずと言った様子で、蓮を見つめた。
蓮は頬が火照るのを自覚しつつも、目を逸らさなかった。
凛々華はふいっと視線を背け、短く息を吐いた。
「……本当、変なところで頑固な人ね」
ぽつりとそうこぼしたあと、ほんの一拍置いて――
「じゃあ、申し訳ないけど……お言葉に甘えさせてもらうわ」
◇ ◇ ◇
「……」
「……」
店を出てからの数分間、二人の間には言葉がなかった。
凛々華は紙袋を大事そうに胸の前で抱え、ほんのりと頬を染めている。
蓮がつい、横目で凛々華を追ってしまっていると——、
「あっ……!」
凛々華が通行人とぶつかりそうになった。
「っ柊!」
蓮はとっさにその腕を引き、ぐっと胸元に抱き寄せた。
凛々華は、腕の中にすっぽり収まった。
目の前にいた人は「あっ、すみません……」と軽く会釈をして去っていった。
「危なかった……。大丈夫か?」
蓮はしっかりと彼女を支えたまま、その顔を覗き込んだ。
「あ、あの……っ」
蓮はそのままの体勢で、凛々華の顔を覗き込んだ。
けれど、凛々華はわずかに視線を外し、気まずそうに小さく口を開いた。
「こ、公衆の面前だから……!」
「——あっ」
蓮はようやく、自分がまだ彼女の細い腰を抱いたままだったことに気づいた。
「わ、悪い……!」
慌てて手を放すと、二人の間に妙な静けさが落ちる。
凛々華は顔を赤くしたまま唇を噛みしめ、視線を足元へ落としている。
「……マジでごめん」
「べ、別に……助かったのは事実だし……その、ありがとう。私は大丈夫よ」
目は合わないが、声には確かな感謝がにじんでいた。
蓮はひと安心しつつも、さっきの凛々華のぼんやりした様子を思い返す。
「……疲れてないか? なんか、さっきぼーっとしてたみたいだったし」
その言葉に、凛々華の肩がぴくりと揺れた。
「……だ、大丈夫だって言ってるでしょ」
突き放すような口調だが、その耳元は赤らんだままだ。
「……ごめん、しつこかったな」
蓮が小さく頭を下げると、凛々華もわずかに顔を伏せた。
「私も、言い方がきつくなったわ。ごめんなさい。それと……心配してくれて、ありがとう」
「おう」
その言葉に、蓮の口元が自然と緩んだ。
二人は少しだけ歩調を緩め、並んで歩き出した。
◇ ◇ ◇
ショッピングモールを出て、柊家が近づいてくる頃には、すっかり夕方になっていた。
淡く茜に染まる空を見上げてから、蓮は隣の凛々華に視線を戻す。
(……結局、最後まで手は繋げなかったな)
それでも、アクセサリーをプレゼントできた。
凛々華は照れながらも喜んでくれていたと思う。
(それだけでも、今日は……)
そう思いかけた瞬間、指先にそっと何かが触れた。
「っ……⁉︎」
視線を落とすと、凛々華の細い指が、蓮の小指を摘んでいた。
蓮が何か言う前に、凛々華はわずかに顔をそらしたまま、口を開いた。
「別に、これくらいならいいわよ……恋人、なのだから」
「っ——」
蓮は息を呑んだ。
躊躇していたことが露見したのは恥ずかしいが、それ以上に凛々華が察して踏み込んできてくれたことが嬉しかった。
目を閉じて、息を吸い込む。
そして、そっと指を絡め、手のひらを彼女の手に重ねた。
「っ……」
ぴくりと凛々華の肩が揺れる。けれど、数秒後にはその指が、静かに握り返してきた。
蓮はそっと息を吐き出した。
しかし、凛々華の手の柔らかさや温もりをじっくり味わう暇もなく、柊家に到着してしまった。
蓮は名残惜しさを感じつつ、手を離すと、凛々華に向き直った。
「今日はありがとな。楽しかったよ」
「お礼を言うのは私のほうよ。プレゼントまで買ってもらったのだし……これじゃ、罰ゲームになっていないわ」
凛々華は正面から蓮の目を見つめ、照れくさそうにはにかんだ。
——その瞬間、蓮は口を開いていた。
「じゃあさ……もう一つだけ、お願いしてもいいか?」
「何かしら?」
凛々華がきょとんとした表情になる。
蓮は視線を彷徨わせた後、おそるおそる切り出した。
「その……名前で、呼んでもいいか?」
凛々華は目を見開き、次いでふっと小さく笑った。
「……なんだか、あなたらしいわね」
「う、うるせえよ」
言い返しながらも、頬や耳がじんわりと熱を帯びるのを感じる。
凛々華は少しだけ視線を逸らして、囁くように言った。
「恋人なのだからって、さっきも言ったでしょう? ……蓮君」
「っ……!」
頭が真っ白になり、蓮の心臓が一気に跳ね上がった。
夕陽に照らされた凛々華の顔も、太陽が霞むほど赤かった。
「い、今、名前——」
「っそれじゃあ!」
蓮の言葉が終わらないうちに、凛々華はくるりと背を向けると、そのまま振り返らず、玄関の中へ逃げるように駆け込んでいった。
照れが限界を迎えたことは、明白だった。
蓮は頬を火照らせたまま、しばしその場に立ち尽くしていた。
——凛々華ちゃんなら絶対に大丈夫。
遥香の声が、脳裏に蘇った。
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