第112話 クラス会長からの謝罪
夏休みの午後。
冷房の効いた教室の中に、妙な緊張感が漂っていた。
机に着く誰もが静まり返り、その視線は教壇の前に立つ一人の少女へと向けられていた。
教壇の上で、結菜は深呼吸をしてから、顔を上げてゆっくりと切り出した。
「半分くらいはその場にいたし、どうせ他のみんなも聞いてると思うけど……私は数日前、柊さんに暴言を吐いて、黒鉄君を強引に奪おうとした」
皮肉と自嘲を混ぜたような声に、クラスの数名が微かに目を細める。
「今さら言い訳するつもりはないよ。あのときの言葉は全部、本心だったから。だから……今日限りで会長を辞めます」
「「「っ……」」」
教室に声にならないざわめきが広がる。
結菜は皮肉げに口元を歪めた。
「こんな人に、トップに立ってほしい人なんていないでしょ。後任はみんなで決めればいいけど、柊さんとかがやればいいんじゃない? 初音さんも向いてると思うけど」
結菜の口調は、どこか投げやりだった。
静まり返る中——。
「藤崎さんは、もうやりたくないのかしら?」
凛々華の静かな問いかけが、空気をやさしく切り裂く。
「……はっ? なに言ってんの?」
思わず結菜の眉が跳ね上がる。
戸惑いと警戒が入り混じった目で凛々華を見つめた。
「私は別に、辞める必要はないと思うわ。もうやりたくないと言うのなら仕方ないけれど、このクラスにあなた以上の適任者がいないのは事実よ」
「……それ、本気で言ってんの? 私、あんたにあんな暴言吐いて、男を奪おうとしたんだよ?」
結菜が呆れたように笑った。
「でも、言いたいことは理解できたし、あの時点で黒鉄君を狙うのは自由だったもの」
凛々華の返答は穏やかだが、芯があった。
結菜はしばし固まった後、ひとつ息を吐き、チラッと蓮を見た。
「……でも、今は非売品になったあんたの彼氏は嫌がると思うけど。何ならあのときも、一番キレてたし」
蓮は苦笑いを浮かべた。
「まあ、正直かなりむかついたけど……所詮は俺のエゴだからな。柊が良いなら、別に。藤崎以上の適任者がいないってのは、俺もそう思うし」
「っ……ハァ、意味わかんないんだけど」
結菜はぽつりとつぶやき、視線を落とした。
するとすかさず——
「この二人って、こういうタイプだからさ」
「もう、あきらめて受け入れるしかないよ」
亜美と莉央が呆れたように笑った。
夏海や亜里沙、樹たちも似たような表情を浮かべている。
その明るいノリに、結菜が少し肩の力を抜いたところで——、
心愛が前に出て、優しい声をかけた。
「どう? 結菜ちゃんは、もう会長やりたくない?」
「や、やりたくないとかは別にないけど……」
結菜の声が少しだけ震えた。その目が、不安げにクラスを見回す。
心愛はにっこりと笑った。
「じゃあ、私も続けてほしいな。みんなから信頼されてたのは、もうわかってるでしょ? 今は少し懐疑的な人もいるかもだけど……結菜ちゃんのリーダーとしての力を疑ってる人はきっといないし、もし辞めちゃったら、結菜ちゃんを『会長』って呼んでた人が困っちゃうよ?」
心愛の冗談めかした言葉に、くすくすという笑い声や、「確かに」「それは困る」というつぶやきが漏れた。
否定の声は、どこからも聞こえなかった。
それでも気持ちの整理がつかないのか、結菜は担任の小池に目を向けた。
「小池先生はいいんですか? 私みたいな会長で……先生?」
背後にいた小池がはっとしたように顔を上げる。
「あっ、ごめんなさい。ちょっと……みんなが優秀すぎて、自分の存在意義を問いただしていました」
再び、くすりと笑いが起きる。
だが、小池はすぐに表情を引き締め、静かに言った。
「私は、みんなが良いなら構いません。……それよりも、藤崎さん。苦しんでいたのに、気づいてあげられなくてごめんなさい」
「っ……別に。これは私自身の問題ですし……」
結菜は気まずそうに視線を逸らした。
それから小さく肩をすくめ、皮肉交じりに笑ってみせる。
「それに、逆に先生にバレないくらい完璧な演技だったってことですね」
「っ……」
小池は瞳を丸くさせた後、おかしそうに笑った。
「なるほど。藤崎さんは、良い生徒から面白い生徒にジョブチェンジしたんですね」
唐突なその言葉に、教室の数名が吹き出す。
「ジョブチェンジとか、若者っぽい言葉使ってるー」
「でも、ちょっと古いのがリアルだよねー」
玲奈と日菜子がすかさず突っ込みを入れ、小池は耳まで真っ赤に染めた。
「わ、私は別にそんなつもりじゃ……!」
教室に再び、明るい笑いが戻ってくる。
——こうして、結菜の続投が決まった。
その後、文化祭準備を始めるよう亜里沙が号令をかけると、教室はいつもの熱気に包まれていった。
「——黒鉄君、柊さん。ちょっといい?」
バタバタと動き出すクラスメイトたちの中、結菜が二人を呼び止めた。
声は少し硬かったが、そこには迷いのない真剣さがあった。
蓮と凛々華は顔を見合わせ、小さくうなずいてから、教室の隅に移動した。
隣の空き教室。
結菜は軽く腕を組んで、ふたりを見つめた。
「……強引に二人の間に割って入ったり、話を遮ったりしたこと、謝るよ。それに、柊さんに何も努力してないとか暴言吐いたことも……ごめんなさい」
結菜が唇を引き結び、頭を下げた。
顔を上げると、凛々華をまっすぐ見据えた。
「でも、柊さんのことは、正直まだ認めてないから。私がバランスを取ってたからこその今の人気っていうのも、マジでそう思ってるし」
言葉のトゲはまだ残っていた。それでも、顔はまっすぐだった。
こちらが結菜の素なのだと、今ではっきりとわかる。謝罪の言葉を重ねるのではなく、本音を伝えることが、彼女なりの誠意なのだろう。
「えぇ、それで構わないわ」
凛々華は声を荒げることもなく、淡々と受け止めた。
結菜は小さく舌打ちし、わざとらしく肩をすくめた。
「ホントに、あんたは……まぁ、いいや。付き合ったらしいし、黒鉄君は譲ってあげる。でも、間接キスの事実は忘れないでよね」
結菜がニヤリと口角を上げた。
凛々華は涼しげな表情で返す。
「勝手に仕掛けておいて、既成事実みたいに言わないでもらえるかしら?」
「私が仕掛けたのは事実だよ。でも黒鉄君、普通にその後もそのストローで飲んでたけどね」
その言葉に、ぴくりと凛々華の眉が跳ね上がった。
ジロリと、蓮に鋭い視線を向ける。
「……黒鉄君?」
「い、いや、さすがに交換したり飲まなかったりするのは失礼だろ?」
蓮はやや早口で、言った。
「それはそうだけれど……そこまで慌ててると怪しいわね」
「そ、それは……」
蓮は言葉を詰まらせた。
凛々華がスッと瞳を細める。
「それは?」
「……これ以上、柊とすれ違いたくねえから」
「っ……!」
凛々華の目が大きく見開かれた。
そして、次の瞬間——耳まで真っ赤に染まっていた。
結菜はため息をついて、やれやれと肩を落とした。
「……空気乱れるから、教室ではあまりイチャつかないでよね」
半眼でそう言い放つと、ほんのりと口元を緩めて、赤面する二人に指を突きつけた。
「——会長命令だよ」
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