第104話 クラス会長の豹変
俺と柊が西野圭司の小説について話してたんだから、ちょっと待ってもらっていいか——。
蓮が包まずにそう言うと、結菜の表情がピシリと固まった。
「……え? く、黒鉄君、どうしたの?」
彼女は困ったように笑いながら小首を傾げたが、その頬は引きつっている。
「柊さんに気を遣っちゃうのはわかるけど、今は私と話してたじゃん。だったら——」
「違えよ」
蓮は鋭い口調で遮り、反論の余地を与えずに続けた。
「そもそも、俺と柊が話しているところに藤崎が割り込んできたんだろ」
「っ……!」
結菜の瞳が揺れる。
彼女はすぐに胸の前で両手を振り、声を上ずらせた。
「べ、別にそんなつもりじゃ……そ、それに、黒鉄君だって普通に乗ってくれたじゃん!」
「変な空気にならないように、場の空気が悪くならないように、気を遣ってただけだ。この際だから言わせてもらうけど、他のやつと話してるときに『ハガレル』の話をされても困るんだよ。話し相手は置いてけぼりを喰らうわけだからな。今、藤崎が西野圭司の話をわからなかったように」
「そ、それは……!」
結菜が唇を噛み、拳を握りしめた。
しかし、反論は出てこない。
「藤崎さん——」
凛々華が一歩前に出て、静かに口を開いた。
「あなたは、もう少し賢い人だと思っていたわ」
「っ……」
結菜の肩がわずかに揺れた。
その口元から、完全に笑みが消えた。
しかし、凛々華は淡々とした口調を崩さずに続ける。
「人の感情に敏感で、空気を読むのがうまい。話に入れていない子を自然に引き入れているところを、私は何度も見てきた。それがクラスの空気を良くしてきたのも、間違いないと思っているわ」
「……」
結菜は何も言わない。
戸惑いと警戒——それらが混ざり合った表情で、睨み返すように凛々華を見つめている。
「でも、最近のあなたはそれと反対のことをしているわ。私と黒鉄君の会話を断ち切ろうとしてきたのだって、今回が初めてじゃない。黒鉄君にアプローチをかけるのはあなたの自由だし、私を嫌っているのも、それ自体は構わないわ。万人に好かれるタイプじゃないのは自覚しているもの」
「っ……」
わずかに微笑を浮かべた凛々華に、結菜の眉がピクリと動いた。
「けれど、それが場の雰囲気を壊していいことにはならないし、何よりもったいないわ。あなたには、これまで積み上げてきた信頼が——」
——チッ。
鋭い舌打ちが、凛々華の言葉を遮った。
「「「っ……!」」」
教室中が息を呑んで静まり返る中、舌を鳴らした人物——結菜はガシガシと頭を掻き、大きく息を吐いた。
「……あー、うざ」
その声は、地の底から響くように低かった。
結菜はゆっくりと顔を上げ、凛々華を見据えた。
「あんたのそういうとこ、マジでムカつくんだけど」
そこにはもう、柔和な笑みを浮かべたクラス会長はいなかった。
目尻は吊り上がり、刺すような視線で凛々華に睨んでいる。
「「「っ……⁉︎」」」
クラスメイトのほとんどは、状況が飲み込めないように唖然とした表情で、結菜を見つめている。
凛々華ですらも、口を半開きにしたまま固まっていた。
——しかし、蓮の中に湧き上がったのは、驚愕ではなく納得感だった。
(やっぱり、藤崎の感情の矛先は、俺じゃなくて柊だったんだな)
結菜の言動や行動から、どこかわざとらしさを感じていた。
それは、彼女が本気で蓮を狙っていたわけではなかったからこそ覚えていた違和感だった。
その証拠に、結菜の視線はまっすぐ凛々華を捉えて離さない。
「柊さんってホント、私をイラつかせるのうまいよね」
「藤崎さん……?」
凛々華が困惑したように眉を寄せた。
結菜は鼻を鳴らし、片頬を吊り上げ、皮肉な笑みを浮かべた。
「ひとつひとつの言葉がうざいんだよ、あんた。嫌われるのは構わない? 万人に好かれるタイプじゃないのはわかってる? ハッ、なに、飾らない女アピールでもしてんの?」
結菜の声色が、徐々に熱を帯びていく。
「あんたのムーブが効果的だったのは認めるけどさ、うまくいってるの、私のおかげだから。それなのに、なに自分が上だと思ってんの? 私がバランスとってなきゃ、あんたみたいな空気読めないやつ、一瞬でハブられてたっつーの」
結菜は再び嘲笑を浮かべた。
「黒鉄君にアピールするのは自由とか、上から目線すぎてマジでムカつくんだけど。前にも、なんか強引に着いてきたと思ったら、偉そうに注意してきたよね。人の話はちゃんと聞けとか、空気読めとか。何様のつもり? 自分は好き勝手やってるだけのくせにさ」
結菜は吐き捨てるようにそう言って、冷ややかな笑みを浮かべた。
「人を踏み台にして人気者になって、楽しい?」
「おい、藤崎——」
思わず声を荒げた蓮の眼前に、スッと手が差し出された。
凛々華だった。
「柊……?」
蓮が視線を向けると、凛々華はこちらを見つめながら小さく首を振った。
何も言うな——。目がそう伝えてきていた。
「っ……」
蓮はグッと奥歯を噛みしめた。
結菜の標的は、凛々華だ。彼女が反論を望んでいないのなら、それに従うしかない。
蓮が口をつぐむと、凛々華はほんのわずかに微笑んで、結菜に視線を戻した。
その紫色の瞳には、怒りも怯えも浮かんでいない。ただ静かに、自分を罵倒した相手を見つめ返していた。
「っ……!」
結菜は揺れる瞳で凛々華を睨みながら、肩を上下させて荒い呼吸を繰り返した。
息を詰め、唇をキツく噛みしめた、次の瞬間——、
「っ……なんか言いなさいよ!」
結菜は堰を切ったように、感情を剥き出しにして叫んだ。
「なんなのよ、その目は! あんたはそうやっていつもっ、人のことを見下して——」
「——もうやめなよ、藤崎さん」
そのとき、不意に落ち着いた声が響いた。
決して大きな声ではなかった。しかし、逆上した結菜ですら言葉を止めてしまうほどの、得体の知れない圧力をまとっていた。
「「「っ……」」」
蓮も、凛々華も、結菜も、その他のクラスメイトも、全員が驚きの表情を浮かべた。
彼の介入など、誰も予想していなかった。
声の主は視線を一身に集めながら、教室の隅からゆっくりと、結菜の元へ歩みを進めた。
——復学して以降は腫れ物扱いされ、全く存在感を発揮していなかった英一だった。
「……なに、あんた? お呼びじゃないんだけど」
結菜は凛々華を見つめたまま、横目だけで鋭く英一を睨みつけた。
脇役はすっこんでて——。そう言いたげな、どこか嘲りを含んだ視線だった。
しかし、英一は怯まずに、さらに一歩進み出た。
「藤崎さん、もう何も言わないほうがいい。それ以上は、自分を傷つけるだけだよ」
それは、諭すような口調だった。
結菜が不愉快そうに眉を寄せる。
「……はっ? なに、偉そうに。あんたになにがわかるって言うのよ」
「わかるよ」
英一はやや語気を強めて断言した。
「だって、藤崎さんは僕と同じタイプだから」
「は、はあ? 停学くらったあんたと一緒にされる筋合いないんだけど?」
結菜は嘲笑を浮かべたものの、口元は明らかに引きつっていた。
「一緒だよ。中途半端に自信があって、自分のやり方が正しいって信じてて、努力しているんだから報われなきゃおかしいって思ってるとこなんか、そっくりだ。それに、柊さんと黒鉄君の関係に無理やり割り込もうとしたところもね」
「っ……ハッ、あんたは本気でアプローチしても相手にされなかったんでしょ? 私はただ、黒鉄君と付き合えば自分の地位が安定するって思っただけだから」
結菜は声を震わせながらも、どこか勝ち誇ったようにせせら笑った。
——英一もまた、ふっと笑った。
「うん。だから、僕と一緒だね」
「……はっ?」
困惑を隠せない様子で眉をひそめる結菜に、英一は自嘲の笑みを漏らしながら続けた。
「だって僕も、自分のステータスのために、そして黒鉄君に勝つために、柊さんを狙ってたから」
「っ……!」
——結菜の瞳が、限界まで見開かれた。
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