その54 お狐様、世界樹様が腹黒いです!
「あっ、アティラ様!」
イロハは圧倒的存在感のアティラを見た瞬間、即座に平伏。額を床に擦りつけた。
目の前の人物が生命を司る女神、世界樹のアティラであると頭だけではなく体も反射的に反応した結果だった。
「イロハよ。面を上げなさい」
「はっ、はい!」
アティラの促しにイロハは即座に返答。カクカクと機械仕掛けの人形のような動作で顔をあげた。
「ふふふ、楽になさい。妾と汝の仲ではないですか」
上品に笑うアティラ。普段の頭悪そうな態度とは一線を画していた。
「きょ、恐縮ですっ」
一方、イロハは普段の余裕ある姿とは似ても似つかないほどに緊張していた。本物のアティラがあまりにも急に顕現したため浮き足立ってしまったのだ。
なお、駄目な方のアティラ(疑)が顕現した時は何故か緊張しなかったが、さもありなんである。
「さて、答え合わせといきましょうか。汝が疑ったアティラ。あれは妾です」
何故か声にエコーがかかるアティラはマイペースにイロハの推測を否定した。
「そうでしたか……下衆の勘繰りのような真似。大変申し訳ございませんでした」
イロハは沈痛な面持ちのまま再び額突いた。己の的外れな勘を頼りに邪推してアティラを疑ってしまったことに恥じたのだ。イロハは土下座したまま、
「もはやアティラ様に会わせる顔がありません。このままこの粗末な素っ首をお刎ね下さい」
と、自らの首を差し出した。
「そう生き急いではなりません。汝の推測。まことに天晴れでありましたよ」
だが、アティラはイロハを責めるのでは無く逆に褒めた。
「……私には勿体ないお言葉です。ですが……」
納得していない様子のイロハ。
「そのようにすぐに思い詰めてしまうところが汝の悪い所です。妾は汝を褒めているのですよ」
アティラは賞賛を素直に受け取れないイロハを窘めた。
「申し訳ございません……」
しゅんとするイロハ。褒められたのに素直に喜ばないことが逆に失礼に当たると気がついたのだ。
「先ほども言いましたが、汝の推測はとても正鵠を射たものでした。そもそもあの少々足りない妾は神として認識されない程度の能力に抑えた姿です。汝があれを妾では無いと疑うのも尤もなことなのです」
アティラ(真)によるとアティラ(疑)は意図的に能力を抑えた姿だったらしい。
「しかし何故そのような姿で顕現なさったのでしょうか?」
「そうですね……汝は『今の妾』と、『あなたが疑った妾』の間にある決定的な違いがわかりますか? 能力や存在感など汝が根拠にあげた3つの差違ではなく」
「3つの根拠以外での決定的な違いですか……」
アティラの出した問題の答えがわからず悩むイロハ。
頭の中には『口調が柔らかい』『発光している』『声にエコーがかかっている』などの違いが思い浮かんだが、どれもアティラが望む答えには思えない。
しかし、いつまでも黙っている訳にもいかず何か言おうとした時、アティラの足元が目に入った。
「わかりましたか?」
「そうですね……今のアティラ様は僅かにですが宙に浮いています。私が疑ったアティラ様はその御御足で地面にお立ちになっておりました」
確かにイロハの指摘の通り、今のアティラはふわふわと宙に浮いていた。イロハの答えを聞いたアティラは少し感心したような声を漏らした。
「正解ではありませんが良い着眼点ですね。その差違の意味するところまで考えられたら正解だったでしょう」
「差違の意味するところ……ですか? もしや、発情の有無――」
「断じて違いますよ」
イロハの言葉を遮るアティラ。放っておくととんでもないことを言い出す気がしたのだ。
「そうですか……」
何故か残念そうなイロハだった。もしも発情の有無だったらどうしたのか気になるところである。
「正解は受肉の有無です。今の妾は実体の無い精神体のため、浮いているように見えるのです」
「それは本当でしょうか?」
半信半疑のイロハ。目の前にいるアティラが圧倒的な存在感を放っていたため精神体であるように見えなかったのだ。
「触ってみれば良くわかりますよ。ほら」
アティラは左手をイロハに向けて差し出した。イロハは恐る恐るその手を握る。だが手のひらは何も掴むことなく空を切った。
「本当ですね」
「そして少々足りない妾は受肉した妾だったということです」
「……思い返してみれば確かにアティラ様に触れていました」
「よろしい。正しく認識出来ましたね」
アティラは満足げに微笑んだ。
「しかし、そうなると新たな疑問が……。どうして受肉したアティラ様は『神として認識されない程度の能力に抑えた姿』だったのでしょうか?」
「それは神の中でそう云う取り決めがあるからです。妾らは普段、汝らが神の国を呼んでいる世界で生活しています。その神が元の姿でこの世界に具現する場合、今のような精神体であれば基本的には元の能力そのままに具現することが出来ます。ただし具現および能力を発揮できる範囲は依り代の能力が及ぶ領域のみ。例えば妾の依り代は世界樹でありますから、その能力が及ぶ範囲。つまり大森海の中であれば精神体として具現でき、能力も発揮できるのです。しかし、その領域を少しでも外れると具現の維持が出来ないため、領域外に出るためには受肉が必要となります」
「なぜ神は受肉にそのように取り決めたをしたのでしょうか?」
イロハは首を傾げる。
「それはですね。己の領域外とはすなわち他の神の領域である訳です。まあ、実際には様々な事情から誰の領域でもない空白地も多いですし、領域にも様々な種類があります。例えば特定の場所であったり概念であったり場所が被っていたりとです。それはさておき、一部の例外を除いた多くの神は大なり小なりこの世界にある己の領域から身体を維持するためのマナや眷属などへの加護や祝福、奇跡などに必要な量のマナを得ています。なので受肉した身体をもって他の神の依り代への攻撃や領域を荒らさないように受肉に制限を設けたのです。なお、制限とはわかりやすく説明しますと、仮に持ち点が100点あるとしたら、それを能力ごとに決まった点に割り振り身体を作るといったような方法です。身体能力に多く点を振ると体力は増え肉弾は強くなりますが魔術が弱くなります。逆に魔術に点を振ると魔術は強くなりますが、体力も力も貧弱になってしまうといった感じになります。あ、そうそう話は逸れますが加護授与は受肉した身体であっても、己の領域でしか出来ないといった制限もありますね」
「なるほど。色々と制限が多いものなのですね。しかし受肉にそこまでの制限を課すとは神も存外と気が小さい」
イロハは納得したような呆れたような感想を漏らした。神とはもっとおおらかで懐が深いものだと思っていたのに予想外にせせこましいものだったからだ。
「マナを得ることは自身の力に直結し、また神の中での序列にも関わってきますのでなあなあには出来ないのです。もっとも、裏技が無いわけではありません。例えばこの世界にいる己の巫女や眷属などに加護を与えて侵略……なんてことも出来なくはないですね」
「それは少しガバガバのような……」
「まあ、神の中での定めは無くても神の矜持を持っていれば普通はそんなことをやりませんし、周りもやらせません。また、巫女や眷属をいたずらに増やすと加護などにマナがかかりますし、またそれらが死んだ後は魂を神の国に持ち上げないといけなくなります。つまり巫女や眷属を増やせば増やすほどマナをより多く余所に支出することになり、当然に収支がマイナスとなるため利害の上でも現実的でありません。さらになお、それらを乗り越えて加護を巫女や眷属に与えたところで加護の能力は『与えられたものが持つマナの量』によって上下しますから、問題が起きたことは『ほとんどありません』」
「『ほとんどありません』ということは、『ごく少数はあった』……ということでしょうか? もし、神の矜持を投げ捨てた上で、収支の取れるであろう神にも近いマナを持つものが出現したら……」
イロハは考え込むように呟いた。
「ふふふ。さすが、妾が見込んだだけはあります。そうですね、例は少ないですが少しはあったということです。最近で言えばあなたの元主人もその口です」
「フィロウシー様ですか? 確かに人間の産みの神であるアリシア神の祝福を受けておりましたが……」
「彼は彼なりの信念があり、結果的にはアリシアの操り人形にはなりませんでしたが、ファンタジニアを出奔した当初は当然に密命を受けていたようですね」
「まさかっ! フィロウシー様がそんな……」
アティラの言葉に驚くイロハ。主であったフィロウシーこと阿武隈がスパイじみたことをすると信じられなかったのだ。
「嘘ではありませんよ。アリシアから指示された侵略目標は妾こと世界樹でしたからね。まあ、彼は初めからアリシアを出し抜くつもりだったようですが」
「……そうだったのですね。少し安心しました」
安堵の溜息をつくイロハ。阿武隈が親愛なるアティラに害を成すような人物でなかったとわかり安心したのだ。
こうして謎が解け、すっきりしかけたイロハだったが、一番重要な事を聞いていないことに気がつき質問した。それは……。
「そもそもアティラ様は何故受肉なさったのですか?」
受肉についての有り様については分かったが、結局アティラが何のために受肉した理由がわからなかったのだ。
「あらら、やはりそこに気がついてしまいましたか」
アティラは嬉しそうでもあり残念なようでもある曖昧な表情を浮かべた。
「聞いては拙い事柄なのでしょうか……」
「いいえ? 拙くありませんよ。ただ……」
「ただ……?」
「あなたも共犯になるということです」
アティラはそれまで純粋無垢だったスマイルに少しだけ悪意を込めたような笑みを浮かべた。
イロハは背筋に一瞬冷たいものを感じたが、もはや後戻りなど出来ないことに気がつき覚悟を決めて答えた。
「私はアティラ様の眷属です。どこまでもあなた様と伊織様について行きます」
「ふふ、そう思い詰めなくても大丈夫。伊織の転生を直に見て思いついたことですから」
「思いついたこととは?」
「妾は伊織が異世界からここに転生して来るのを知っていました。また、汝がフィロウシーの入り知恵で伊織をこの大森海から連れ出して世界を漫遊させようと考えていることもです。何故ならフィロウシーに全て聞いていましたし、伊織頼まれてもいましたから。だから妾は伊織を保護し、ついでに妾の僕である眷属にして世界的に影が薄くなりつつある妾の布教に使おうと思っていました」
「それだと受肉の必要性はないのでは?」
「そうですね。必要ありません。でも、実際に転生してきた伊織を見て気が変わったのです」
「まさか伊織様が何かお痛を……?」
イロハは心配そうに聞いた。『気が変わった』という言葉を聞いて伊織がアティラの不興を買ったのかと思ったのだ。
「妾も汝は同じように一目見てやられてしまったのですよ」
「アティラ様が、ですか?」
照れくさそうに語るアティラ。完全に恋する乙女の表情であった。
イロハは驚いた。まさか神であるアティラまで伊織に一目惚れするとは思わなかったのだ。
「妾とあろうものが人ごときに目を奪われるとは思いませんでした。あれは神の配分を越えた魅力を持っていました」
「確かに」
「そこで妾は伊織の全てを得るために急遽受肉することにしたのです。ついでに気を引き完全に妾のものとするために僕である眷属ではなく妾の信託者である巫女にしたのです」
「なるほど」
イロハはアティラの言葉に頷きつつ心の中では首を傾げた。いくら一目惚れといえど、神の信託者である巫女という立場をそう易々と与えるとは思えなかったのだ。
巫女の言葉は神の言葉、巫女の行動は神の行動である。つまり巫女と神は一心同体のものとみなされるため、巫女を指名する場合は通常、その神の極めて熱心な信者で学と常識があり物怖じせず心身ともに清潔で人格に優れる者でなければならないのである。
無論、このような人物がそうそう居る訳も無いので、神の巫女というものは極めて珍しく貴重な存在なのである。
つまり逢って間もなくであり、また信頼も無い伊織に与えるような性質のものではないのである。
しかもアティラは今までに一度も巫女を指名したことが無いのでなおさらである。
つまり有り体に言えば他に目的があるとしか思えなかったのだ。
だがアティラは、イロハがそんな疑いを抱いているとは思っていないのか、同じ調子で言葉を続けた。
「しかし誤算だったのが受肉した身体です。久しぶりの構築でしかも深く考えないまま急いで身体を創ってしまったため、少々足りない妾が出来上がってしまったのです。端的に言うと知識と記憶に点を振るのを忘れました。しかも一度創るとしばらくは新たに創ることが出来ないので直すことも出来ない……」
「あらあら」
くっ!と悔しそうに語るアティラ。世界樹様は存外抜けているようだ。
イロハは知識と記憶だけでは無く思考能力にも点を振るのを忘れたのではと思ったが、これを言うと完全に不遜なため口には出さず飲み込んだ。
「しかし伊織の思考レベルと合致しているのでかえって良かったのかもしれませんね」
「ふむふむ」
先ほどから返答がいい加減なイロハ。心の中ではそれもどうだろうと思ったが、おかげで自分も付け入る隙ができたのだと思い直す。
「……それにある程度無能な方が敵を欺き易い」
アティラは笑顔のまま胡乱なことを呟いた。
「……アティラ様は他の神の領域を侵すつもりなのですか?」
イロハに焦りが走った。伊織を巫女にした理由も受肉した理由も伊織のためだけでは無いことを示唆する言葉だったからだ。
他の神が過去に巫女を指名した後の歴史を思い出すと、確かにその神の勢力が大きく力を増し、その範囲を広げていることを思い出したのだ。
イロハは緊張した面持ちのままアティラに言葉の真意を問いただした。
「まさか。そんな無粋な真似を取るわけがありません。せっかく受肉したことですし、妾はただ伊織と広い世界を見て回りたいだけですよ」
イロハの心配とは裏腹にアティラは他意を否定する。
「さすがは慈悲深いアティラ様でございます」
それを聞いてとりあえずほっとするイロハ。もしも今回の巫女指名と受肉が伊織のためだけでは無く、他神の領域の侵略目的も含むものだとしたら同行するであろう伊織と自分もタダでは済まないのが明らかだからだ。
「ではそろそろ足袋作りに戻りま――」
イロハは触らぬ神に祟りなしとばかりに、これ以上話が大きくなることを恐れ、会話を打ち切ろうと口を開いた。すると、
「でも、やられっぱなしと云うのも面白くありませんね」
アティラが先ほどと全く変わらない表情と調子で口走った。
「え?」
呆気に取られるイロハ。言葉の意味をすぐに理解出来なかったのだ。いや、むしろ理解することを頭が拒否したのだ。
「偶然、そうあくまで偶然にですが、仮に『神にも匹敵するマナを持つ巫女』という手札が手に入ったら使ってみたくなるのが人情――もとい神情というものではありませんか?」
偶然をやたらと強調するアティラ。完全に伊織を使ってアリシア神の領域を侵す気満々であった。
「いや、その、どうでしょうか?」
同意したくないが、無下に否定も出来ないため曖昧な言葉でごまかすイロハ。
「しかも、それ(伊織)を生かすための潤滑油もあるとしたらなおさらと思いますよねぇ。ねぇ、イロハ?」
だが、アティラはイロハの遠回しの否定を無視。逆に同意を求めるように思いっきり踏み込んだ。
「……私は、アティラ様と伊織様を危険に晒すような真似はとりたくありません」
イロハは観念したように素直な気持ちを吐露した。曖昧な言葉ではごまかしきれないと悟ったのだ。
「なにも心配はいりません。汝は妾が『合格』と判断したのですから」
「『合格』とはそのような意味だったのですね……」
アティラが先ほど言っていた合格の意味を理解し頬に手のひらをあて嘆息するイロハ。アティラは楽しそうに口元を緩めた。
「そう悲観してはいけません。旅をしているうちに妾の気持ちが収まり、心変わりするかもしれませんよ」
「そう……ですね。アティラ様のご期待に添るよう努めさせていただきます」
イロハは何かを決意するように頷いた。
「ふふふ。期待していますよ、イロハ。少々足りない神と少々足りない巫女。世話は大変でしょうが、呆れずに支えてやってくださいね」
アティラはたおやかな笑みを浮かべた。
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‐幕間‐
「そうそう、受肉した妾は伊織の正体に対する記憶や性知識などに欠けています」
「ええ。存じ上げています」
「はて? 伝えた覚えが無いのは妾の記憶違いでしょうか?」
(見ていればわかります……)
次回で1章は終わりとなります。




