その45 お狐様、忠犬プレイも悪くないなと思い改める!
ドクゼリ中毒の翌日の朝。
伊織は寝室で大あくびをしながら、丸まった体を伸ばすように腕を頭の後で伸ばした。
昨晩はアティラと共にいいだけゲロを吐いて苦しんだがなんとか緩解し、満身創痍のまま床に就いたのだ。
「んー! 昨日はホント酷い目に遇ったよ。全く、誰のせいやら」
伊織は己の狐尾に抱きつき気持ちよさそうに寝ている幼女、アティラを一瞥。ぷにふにとした頬を突いた。
どうやらアティラが悪いと言いたいようだが、どう考えても自分のせいであった。
「ふふ。妹の小さい時を思い出すよ。この寝顔に免じて許してあげよう」
「ヵゅ……ぅま……」
頬を突かれたアティラはむずがるように顔を軽く顰めたが起きる様子は無い。
寝ているときは本当に天使だなぁと伊織は思いつつ、アティラが起きないようにゆっくりと尾を引き抜き朝食の準備のため寝室を出た。すると、
「おはようございます、伊織様」
予期せぬ挨拶が伊織を襲った。
「はい、おはようございまっ……えっ?」
反射的に返答する伊織。だがすぐに違和感を覚えて声がした方向を見た。
するとそこには黒と白を基調としたロングスカートのエプロンドレスを纏った少女が佇んでいた。
見た目は15歳ほど。表情はやや乏しく伏し目がちだが、にじみ出る雰囲気は柔らかく包容力に溢れていた。
黒く艶のある髪はボブディ程の長さ。片側をえり足まで纏めて持っていき、熊の意匠をかたどったバンスクリップで上向きに留めるというアシンメトリーの髪型だ。
そしてなにより目に付くのが、そのふくよかな胸元であった。服の上からなのではっきりしたことは言えないがGかHは余裕でありそうなくらいに大きく、その存在を誇示していた。
ぶっちゃけこの人物が二次元の住人であったなら速攻で嫁認定しているくらいに伊織の好みど真ん中の清楚系巨乳メイド少女であった。
さて、ここで一つ確認だが、伊織は自他共に認める(二次元)ロリベド野郎……もといロリコンである。そんな伊織が(ロリペド野郎的には)BBA判定をされてもおかしくないうえに巨乳である推定JKを好みのど真ん中と表現するにはいささか違和感を覚える所であろう。
だが、一年間で嫁が最低四回は変わる程度には節操の無い伊織である。多少の年齢のひらきなど何も問題は無かった。
そんな見目麗しいメイド少女を目の前にして、伊織が諸手を挙げて歓喜するかと思いきや、意外にも訝しみつつ凝視したまま完全に硬直していた。
なぜならメイド少女が「待て!」をされた犬の様なおすわりをしていたからだ。
誰もいないはずの森に、まるで二次元から抜き出してきたようなくらい造形の整ったメイド少女が出現しただけでも極めて怪しいのに、そんな少女が犬のようにおすわりをしているのだ。
イレギュラーに存外弱い伊織が疑いの目を向けたまま硬直してしまうのも無理は無かった。
そうしてしばらく硬直していた伊織は急に踵を返し寝室に飛び込んだかと思うと、未だ夢の中のアティラを揺すり大声で訴えた。
「アティ! なんか忠犬プレイをしている女が居る! それに美少女過ぎて嘘臭い! どうしよう!?」
「ふぁっ! なっ! 何事じゃ!?」
突然の大声にびっくりして飛び起きるアティラ。伊織はそんなアティラの肩を掴み、前後に揺すぶる。
「変態です、変態が出たんです! こんなクソみたいな森の奥に忠犬プレイをした超絶美少女が出たんですよ! 何ですかこれ? もしかしたら新手の美人局かもしれませんよ!?」
「あばばばばば! 妾を揺するな! 落ち着け! そんな奇っ怪なものがここに居るわけがないであろ! どうせ、寝ぼけて幻覚でも見たんじゃ! 間違いない!」
アティラは混乱する伊織を怒鳴りつけた。すると伊織も若干正気を取り戻したのか、少し考え込み頷いた。
「……確かにそうかも」
「よし、妾が様子を見てきてやるので待っておれ」
アティラは伊織に指示すると、寝室の出入り口である穴から体をせり出し、居間を見た。
「……どうです、アティ? やっぱり私の幻覚でした?」
「うむ。おるな」
「えっ?」
「おすわりしている女がおると言っておるのじゃ」
「……ぎゃあ! やっぱり幻覚じゃ無かった! どうしよう、アティ!?」
「どれ、妾が接触してみよう」
「えええ! アティ、止めた方が良いですよ!? あれ、きっと美人局ですよ!? 怖いお兄さんが後から出てきますよ、多分、絶対!」
「考えすぎじゃ! まあいい、そこで待っておれ」
アティラは伊織に言い付けると寝室から出た。伊織は後を追うように寝室の入り口まで擦り寄り、出入り口の穴からそっと居間を覗き込んだ。
すると、おすわりしたメイド少女と対面するアティラが見えた。
「アティラ様、おはようございます」
「うむ。おはよう」
「朝食の準備が出来ておりますが、いかがいたしましょう?」
「なんと! 手際が良いじゃないか! 無論、頂くのじゃ!」
「では、すぐに用意いたします。アティラ様は食卓でお待ち下さい」
「うむ! 待っておるから早うな!」
メイド少女はすくっと立ち上がり台所に消えていった。
アティラは満足げに頷くと、いそいそと食卓についた。
「どんな朝餉かのう? 楽しみじゃ楽しみじゃ!」
足をぱたぱたとさせ期待に胸を膨らますアティラ。
伊織は寝室から慌てて這い出すとアティラに詰め寄った。
無理も無い。正体を問い詰めることも無く、食い物で簡単に籠絡されたからだ。
「ちょっとぉ! アティ何やってるんですか!」
「何って朝餉が出てくるのを待っておるのじゃが?」
「おばかさぁん! 本当におばかさぁん! アティがあのおすわりメイドに接触したのは何のためですか!? 正体を暴くためでしょ! それなのに朝飯につられて目的を忘れるとか、ほんとバカじゃないの!? もう一度言います。ほんとバカじゃないの?」
「うぐっ!」
言葉に詰まるアティラ。伊織にしては珍しくド正論だった。
「メイドは朝食とか言ってたけど、台所から出てくるのはどうせ怖いお兄さんですよ? きっと『おう、姉ちゃん。よくもわいのナオンに唾付けてくれたな! どう落とし前付けてくれるんじゃあ、ワレ! 慰謝料じゃ、慰謝料。5000万ださんかい!』って因縁付けてくるんですよ! そうなったらアティは責任取れるんですか? 取れないでしょ! アティお金持ってなさそうだしね!」
「うぐぐっ!」
批判精神だけは一丁前な伊織が、己の日頃の行いをまるっと棚に上げアティラを問い詰めた。
「で、どうします? 土下座します? 勘弁して下さいって土下座します? それとも慰謝料まけてと土下座します? つまり土下座る?」
執拗に煽る伊織。反撃出来ない相手には特に辛辣だった。まさにクズの見本であった。
「う、う、うるさいのじゃあ! 土下座なんてするかボケ! 妾にケチ付ける奴は全員天罰じゃあ!! 鏖にするのじゃあ! まずは手始めに妾を馬鹿にする駄巫女を血祭りじゃあ!」
アティラがキレた。さすがに煽りすぎだったのだ。
「ちょっ! アティ落ち着いて! 逆ギレは良くないですっ!」
予想外の事態に伊織は慌てた。まさかアティラがキレるとは思っていなかったのだ。
アティラの性格を考えれば普通に容易に予見できる展開だが、己に甘く他人に厳しい伊織はまだイケると思っていたのだ。
この見通しの甘さがなんとも伊織らしい。
「死ね駄巫女!」
アティラから10本の円月輪が飛んだ。
「ひぃっ! 危ねぇ! 殺す気ですか!」
伊織はそれをなんとか躱すと抗議した。
「死んでも死にきれぬから安心して死ね♪」
「矛盾してますよ、それ!」
治癒の加護があるから死んだところで死なないので問題ないとはのちのアティラの弁である。
「汝の言葉は何もきこえませーんのじゃ! ほれ!」
アティラはそう言うと、また円月輪を召喚。伊織に向けて飛ばす。
「くらうかっ! って、やばっ!」
「ばか! 躱すんでないっ!」
伊織はまた寸での所で円月輪を躱したが、飛んでいった方向を見てアティラともども焦った。なぜなら、
「お待たせしました。朝食の準備が出来ま――あら?」
お盆に朝食を乗せ、戻ってきたメイド少女に向けて真っ直ぐに飛んでいったからだ。
メイド少女は己に向かってくる円月輪に気が付ききょとんとした表情を浮かべた。
もはや手遅れ。メイド少女は斬殺必至。南無三と目を瞑る伊織とアティラ。
そして次の瞬間、何かを切り裂く無慈悲な音が部屋に響――かなかった。
ただ円月輪の飛行音が何かに吸い込まれるように消えただけであった。
伊織たちは何が起きたのか疑問に思いながら恐る恐る目を開けた。するとメイド少女は左手でお盆を持ったまま、右手で円月輪を捕っていた。
その光景に絶句する二人。何が起きたのか理解出来なかったのだ。
絶句している二人をよそにメイド少女は掴んでいた円月輪を興味なさげに手放すと床に10枚の円月輪が転がった。




