その41 お狐様、ちょっとだけオトナになる!
二人のやり取りをはらはらと眺めていた阿武隈が安堵の声をあげた。
「うむ。雨降って地固まるだな」
するとゴロハチの胸から抜け出した伊織が阿武隈に半眼を向けた。
「なに冷静に分析しているんだよ! 元々といえば寛が全部悪い癖に! 大体、ゴロハチは寛を食べないと寛の魂をこの世に保存できないから無理に食べたのに、そのゴロハチに責任を押しつけたうえで、『フィロウシー様は私を庇っているだけなのですから』とか言わせて恥ずかしくないの? このおにちくが!」
伊織にしては冷静な状況推理だった。
事実、阿武隈が魂の保存のために編み出した魔術のせいであった。
図星を付かれた阿武隈は気まずそうに顔を逸らしながら言い訳する。
「別にゴロハチに責任を押しつけた訳じゃなくてだな……」
「ほら、そうやってすぐに言い逃れしようとする! 素直に謝って! 私とゴロハチに!」
「えぇっ! 私にもですか!?」
まさか自分に話が振られると思っていなかったゴロハチが慌てた。
「あ、いや、そうだな。伊織、ゴロハチ。すまんかった」
意外とあっさり己の非を認めた阿武隈が頭を下げた。
「フィロウシー様、そんな恐れ多い……お顔をお上げ下さい……」
「まー、誠意がちょっと足りない気がするけど、ゴロハチの顔に免じて赦してたもる」
阿武隈の謝罪に謙遜するゴロハチと、上から目線の伊織だった。
「まあ、でもこれで懸案は片づいて良かったぜ。あの世まで心配事は持っていきたくないからな」
「あれ? 寛、何か薄くなってない?」
「もう時間が無いからな」
「あああ! 忘れてた! そうだよ、寛が消えちゃうんだった!」
伊織が頭を抱え叫んだ。
ゴロハチの告白に気を取られ、阿武隈の昇天をすっかり失念していたのだ。
安定の鳥頭であった。
こうして今更ながらに慌てだした伊織だったが、アイデアが思いつくもはずも無く「どうしよう……」の言葉を繰り返しながらうろうろする。
そうしているうちにさらに薄くなる阿武隈が口を開いた。
「なあ、伊織。初めて会ったのは幼稚園の時だったよな? 思えば長い付き合いだったな。お互い振ったり振られたりとかな……」
「寛を振ったことはあるけど振られたことは無いよ!? こんな時まで思い出を捏造すんな!」
「ああ、すまん。掘ったり掘られたりだった」
「余計に違うよ!」
阿武隈寛。都合よく記憶を改変する男であった。
「まあその真偽はともかく、お前は俺のかけがえのない親友だった」
「……うん」
「だから最後にお前に会えて嬉しかったよ。まあ、お前を転生召喚させたのは俺だけど」
「最後なんて言葉訊きたくない! 行かないでよ、寛!」
涙目で叫ぶ伊織。阿武隈は苦笑いを浮かべ頬を掻いた。
「ごめんな、伊織。そうしたいのは山々だが、俺はお前じゃ無くジャンニャンを選んじまったから行かないといけないんだ」
阿武隈の言葉に決意が混じる。もう引き留めることが叶わないことを悟った伊織が最後と思い聞いた。
「そっか……。じゃあ最期に訊かせて。寛は死んじゃった私を諦めきれないから、転生させてまでこの世界に召喚したって言ったよね?」
「ああ、言ったな」
「じゃあ、どうして私じゃなくジュンニャンを選んだの? やっぱり私が寛を恋人として受け入れないとわかってたから?」
伊織が彼氏に捨てられてもなお未練がましく言い寄る女のようなことを言い出した。
阿武隈の想いを受け入れる気は今でもさらさら無いが、それでも阿武隈が伊織では無くジュンニャンを選んだという事実が気になって仕方なかったのだ。
「いや、違うな」
首を横に振る阿武隈。
「じゃあ、どうして?」
「それはな……」
「それは?」
「未来視で転生した伊織の姿を視たら女だったからだ!」
「……え? え?」
「男の伊織はジュンニャンよりもはるかに好きだが、女の伊織にはぶっちゃけ一切の魅力を感じることが出来ないぃ!」
悲しいかな……阿武隈はどこまで行っても下半身の申し子だったのだ。
「え? そんなこと? ほらもっと、何か重い理由とか無いの?」
納得出来ないご様子の伊織。
伊織としては性欲に端を発するような即物的な理由では無く、何か感動的なエピソードがあったから、自分では無くジュンニャンを選んだといった理由が聞きたかったのだ。
だが、下半身が全ての阿武隈にそんな気持ちが通じるはずも無かった。
「そんなこととは何だ! 竿のない伊織なぞいちごが入って無い、いちご大福の如しだぞ!」
「いや、でも、ほら魂は一応男だし……」
「ああ、言い忘れたがこの世界では魂は体に引っ張られるから、お前が死んで神の世界に来ても女のままだぞ?」
「えっ、うそっ! じゃあ、もう男に戻れないの!? ずっとお狐様のまま!?」
「その通りだ!」
「まじか……」
がっくりと項垂れる伊織。
「ま、性転換の魔術を編み出せればいけるだろうがな。あと、見たことはないが一時的に竿を生やす魔術があるらしい」
「竿を生やすのはアティが使ってたよ! てか、寛は私に性転換の魔術を使えばよかったじゃん!」
「それがなー、性転換の魔術についてはキーとなる部分が神の領域に食い込んでいるらしく、大賢者の俺でも再現ができなかったんだ……」
「じゃあ、私に竿だけでも生やしてくれたら良かったんじゃんよぉ!?」
「お前は俺に女に竿がついただけのフタナリを愛でろというのか! ふざけるな! 大体、俺は天然物の竿しか愛せないィンダァ! 紛い物の竿など一切認めぬ! 認めぬのだぁ!!」
「全く、相変わらずの完璧主義だね君は! ホント、良い意味で頭悪すぎて逆に尊敬しちゃうなー。私には真似できないよ(棒)」
伊織は褒める振りをして言葉に思いっきり皮肉を込めた。
というか、込めすぎてもはや皮肉と言えるレベルに無かった。完全に煽りだった。
「そう褒めるなよ♪(テレテレ)」
「褒めてねーよ! バカヤロー!」
だが、阿武隈にはノーダメージ! 皮肉が通じない男、阿武隈寛。まさに無敵であった。
さすが大賢者と呼ばれた男だけあって感性が普通では無かった。
「お? もうタイムアップのようだ。じゃあな、伊織。俺は神の世界でジュンニャンとニャンニャンしてくるぜ! お前も心のペニスをいつまでも大切にな!」
阿武隈は昇天間際に最低なことを言いつつ、グッドラックと言わんばかりに親指を立てた。
「それが末期の別れのセリフでいいの!? わりかし最低だよ!?」
「もちろんだぜ! じゃあな親友! お前のちんこ大好きだったぜ!」
それが阿武隈の言葉だった。そうして満足げな笑みを浮かべ徐々に消えゆく阿武隈。
「あっ、ちょっ、待っ……」
伊織は消えてゆく阿武隈を引き留めようと肩に手をかけた。
だが、伊織の左手は虚空を掴むことしか出来ず、阿武隈の姿は完全に消滅した。
伊織は何も掴めなかった左手をしばらくグー・パーさせていたが、ふとその手を止めゴロハチを見た。
「はは、最後の言葉が「お前のちんこ大好きだったぜ」って終わってるよね!」
「……伊織様」
「ほんと、下半身ばっかり。友達としてどうかと思うよ。ゴロハチもそう思うでしょ?」
「……伊織様」
「あんなのと一緒にいるとこっちの品性も疑われるし、成仏してくれて良かったよ!」
「……伊織様、泣いても良いんですよ」
「なにいってんの、ゴロハチ! 泣くって何? 私が泣く訳が……ない……でしょ……」
徐々に語尾が小さくなり、伊織は顔を伏せた。肩が小刻みに震え、そして間もなく、その顔から一つ二つと滴が落ちた。
伊織は強がっていたのだ。
互いに揶揄し合ったり殴り合ったりする仲の二人だったが、それでも伊織にとって阿武隈はかけがえのない幼馴染みであり親友だったのだ。
「あー清清した! さ、アティもお腹を空かせて待っているし、早く世界樹に帰ろう!」
だが、伊織はそれでも湧き上がる涙をぐっとこらえると、努めて明るく振る舞った。
親友だった阿武隈が笑顔であの世に行ったのだ。だからこそ伊織も親友として幼馴染として笑顔でそれを送ってやらなければならないと決意し実行したのだ。
それは伊織の数少ない矜持の一つだった。
伊織はふうと一息つき舞茸やセリなどが詰まった籠を背負いゆっくりと歩み出した。すると、
「伊織。お待ち下さい」
ゴロハチが歩き出した伊織を呼び止めた。
「なぁに?」
伊織は作り笑顔を浮かべて振り返る。ゴロハチはじっと伊織の目を見つめ口を開いた。
「伊織様。ずっとあなたのお側に居ます」
「え?」
予想だにしない言葉にきょとんとする伊織。ゴロハチはさらに念を押す。
「晴れの日も雨の日も暑い夏の日も寒い冬の日も楽しいときも辛いときも、ずっとあなたのお側から離れません。私はあなたを一人にしません!」
ゴロハチ、懸命の慰めだった。
涙を堪え気丈に立ち振る舞う伊織の姿に絆されての言葉だった。
「ふふ。ゴロハチは傷心の女を口説くのが上手いね。見た目が熊じゃなきゃ惚れちゃっていたかも知れないよ?」
ゴロハチの真摯な言葉を茶化す伊織。
「むう。私は本気ですよ?」
「うん。わかってる。だから、今だけは笑顔でいさせて」
伊織は天を仰ぎ見て、ぽつり呟いた。
「またね、寛」
――と。




