その29 お狐様、水浴びという名の入水自殺をする!
「ここに来て初めての水浴びだー!」
伊織は世界樹の家からでると、転生した当初に姿見をした泉に向かって一目散に駆けだした。天気も良く気温も少し汗ばむくらいと水浴び日和だ。なお、体には何も身につけておらず素っ裸である。
「思いっきり飛び込むよー!」
向かう泉は直径十メートルほどの小さな泉だ。
深さも伊織の目算では自分の背丈あるかないか位だったため、かなづち(潜るのだけは得意! 沈むとも言う)である伊織が溺れる心配もない。
それに人目も監視も無い泉である。プールやお風呂でやると怒られる(というか怒られた)ダッシュ飛び込みをしても何も問題は無いのだ。
そして、成人していても少年の心を忘れない伊織に泉にダッシュ飛び込みをしない理由などどこにも無かった。
伊織は泉の手前まで走り抜くと、直前でリズム良くホップステップテイクオフ。諸手を挙げ膝を曲げて勢いそのままに飛び上がった。
青く澄んだ水面が伊織の瞳に映る。
「ひゃっふぅぅぅぃぃいい!」
伊織は笑顔満開で歓声を挙げると、目を瞑り器用に体を丸めてそのまま着水。水中でくるくると周り、水の感触を楽しんだ。
泉の冷たい水が汗ばんだ肌を洗い流し、汚れた尾も清水に晒され徐々に元の輝きを取り戻していく。
「あ゛あ゛~~! 水が冷たくて気持ちいいんじゃあ゛あ゛あ゛あ゛!
水中でくるくる回りながら冷水を堪能する伊織。そしてしばらくして徐々に息が苦しくなってきたため、水底に立とうとして体を伸ばした。
だが、予想よりも深かったのか、足は底に付かずむなしく空を切った。
(……あれ? 思ったよりも深かったのかな?)
伊織は閉じていた目を開けて底を確認、そして驚愕した。なぜならすぐそこと思っていた水底がはるか下に見えていたからだ。
(ええっ!! 何でこんなに深いの!? 上から見たときは浅く見えたのに!)
伊織はこの疑問を解決すべく頭を働かした。すると勘の悪い伊織にしては思いの外早く閃いた。
(ああっ! 光の屈折のせいだ! 確か中学校の理科で習ったやつだよ!)
ご名答であった。泉が実際よりも浅く見えたのは光の屈折によるものだったのだ。
(ふふ、僕の聡明な頭脳にかかればこんな謎朝飯前だよ!)
疑問を無事解き明かし自画自賛しながら胸をなで下ろす伊織だったが、ここである重大なことに気がついた。
(あっ! どうやって水面まで上がろう……)
当初の想定では足を着けばまあ水上に顔が出るくらいの深さだろうと踏んでいたし、想定よりも多少深く、顔が水上に出ない場合でも最悪水底を蹴って浮かび上がればよいと考えていたのだ。
だが、現実の水深は浅く見積もっても十メートルはくだらない。
これでは水底を蹴るどころではない。そうなると、自力で泳いで浮かび上がる必要があるのだが、一つ問題があった。
伊織はかなづち(潜るのは得意! 沈(略))だったのだ。
ぶっちゃけ泳ぎが不器用なため、前や上に進もうと水を掻いでもその場でくるくると回ってしまう体質なのだ。
当然、今回も同様である。それでも何とか水面まで浮上しようと頑張る伊織だったが、体はむしろ水底に沈んでいくばかりだ。
(やばいよ! やばいよ! あ、だんだん意識が朦朧と……して……)
酸欠であった。
伊織は最後の足掻きの如くしばらくじたばたと藻掻いていたが、徐々に動きが緩慢となりそのまま意識を失った。
――――――――――――――――――――――――――
「……遅いのう……あやつはいつまで水浴びしているつもりじゃ」
アティラは洗濯をしたついでに浄化の魔術を編み込んだ伊織の着物を横目で眺めながら、机に片肘を付いて伊織の帰りを待っていた。
伊織が泉に全裸で駆けて行ってから早一時間は経つが、伊織が世界樹の家に戻ってくる気配は無かった。
もしかしたら、突然現れた熊もしくは暴漢に襲われているやも知れぬなと思ったアティラはその重い腰を上げた。
「仕方が無い。様子を見てくるとするか……」
こうして、伊織を探しに行くアティラだった。
――――――――――――――――――――――――――
「む? 泉にはおらんのう。どこにいったのやら……ん? 今、何か見えたような気が……」
アティラは外に出るとまず泉を確認。
伊織が見当たらなかったので辺りをキョロキョロと見回した所、目の端に映った泉に違和感を覚えたので再度、泉を凝視した。
「金色の何かが水面近くを揺らめいておるのう? はっ、もしや!」
アティラは己の予感が外れるのを期待しつつ、現場に急行。そして泉を覗き見た。
すると泉の中央付近に金色の尾を頂点として俯せ状態で沈む伊織が存在していた。
いわゆる土左衛門であった。
「阿呆かぁぁぁぁ!」
言われるまでも無くアホであった。
アティラは近くに落ちてあった棒で伊織を岸まで引き寄せると、最も水面近くにあった狐尾を掴み陸に引き上げた。
「おい! 汝、大丈夫か!?」
返事は無い。ただの屍のようだ。
つまり大丈夫では無かった。アティラは慌てて心音を確認するが鼓動は無かった。
アティラは諦めるように首を横に振った。
「南無三……しかし、これほどまでに鈍くさいとは妾も予想外であったわい……」
アティラが伊織についてしみじみと語っていると、
「かはっ! ごほごほっ! ぜーぜー!」
伊織の胸が跳ね水を吐き出し、息を吹き返した。
「お、生き返った。うむ。治癒の加護を授けた甲斐があったのう」
「あ、あれ? アティ? 私は一体?」
「汝なら泉に沈んでいたので引き上げた」
「あっ! そうだった! 泉が思いの外深くて溺れたんだ!」
「水に長く浸かったせいか体が綺麗になったじゃないか。怪我の功名であるな」
しれっと言うアティラ。なんだかもう伊織の馬鹿っぷりに呆れてしまいどうでも良くなってしまったのだ。
「ふざけるな! こっちは死にかけたんですよ! 泉が深いことをアティがきちんと教えてくれなかったからですよ! だから謝って下さい!」
伊織がチンピラの如く難癖を付け謝罪を要求した。
なお、死にかけたとはいうが、実際には一度心肺停止してから治癒の加護により蘇生したので伊織の言葉はある意味間違いである。
「責任転嫁も甚だしい。大体、妾の話しを碌に聞かずに出て行ったのは汝であろ? ならば自業自得の結果じゃろうが」
「言い訳するんですか!? それでも神様ですか!」
「……ふむ」
伊織は尾の毛を逆立てさせながら抗議した。いつものように自分の行動を棚に上げ相手を批判するというクズぶりを発揮であった。
『ドクツルタケ誤食&伊織見捨て事件』で伊織はアティラよりも優位な立場に立ったため、今でも自分がイニシアチブを握っているという意識を持っていたのだ。
だが、世の中そんなに甘くは無かった。
増長する伊織を見てアティラは面倒くさそうに一つ溜息を付いた。そしておもむろに丸太を召喚すると間髪入れずに伊織の横に勢いよく突き刺した。
舐めた口ばかりきく伊織にむかついたのだ。
そもそも、アティラにとって『ドクツルタケ誤食&伊織見捨て事件』はもう謝罪もしたことにより終わった話なのだ。
そして、基本思想が唯我独尊であるアティラが過去の失敗を気にするはずも無かった。
そんなアティラの突然の行動に伊織は唖然としていていると、当のアティラから声がかかった。
「のう、汝?」
「はっ、はひっ! 何でしょう!?」
伊織は顔を青ざめさせカクカクと肯いた。
「汝が妾の巫女ならば、もう少し、主である妾をりすぺくとすべきとは思わんかの?」
「おっ、思います思います!」
「ならばきのこの件も含め、妾も悪かったが、汝も悪かったで異存は無いであろうな?」
「……それは」
伊織はこの期に及んでまだ不満そうな表情を浮かべた。
この往生際の悪さはある意味で目を瞠るが、残念ながら今のアティラには逆効果だった。
アティラは伊織の横に新たな丸太を一本おかわりすると、いかにも裏がありそうな笑顔で問い掛けた。
「異存はないであろ?」
「もちのロンで三千九百点ですよ、アティ! ザンクです! いや目を覚まさせてくれてサンキュウです! 未来志向です! お互い昔のことは水に流しましょう!」
不満は勿論アリアリだが、まるでナシナシのように答えた。
さすがの伊織も今ここで不満を漏らすほど阿呆では無かったのだ。嘘臭い笑顔で爽やかに答えた。
「さすが世界樹の巫女じゃ。聡明そうで妾もうれしいのじゃ(棒)」
「アティたら褒めても何も出ないですよ(棒)」
「ふふふ(全く、舐め腐りおってに……)」
「あはは(この恨み……いつかぶっとばす……)」
こうして大森海に二つの嘘臭い笑い声がいつまでも響くのであった。




