その1 お狐様、転生する!
大陸の南西部に大きな、それはそれは大きな森があった。人々はその森を迷いの大森海と呼んでいた。
鬱蒼と茂った木々が日の光を遮り、夜星の煌めきさえも遮るため、熟練者であっても一度迷ったら最後。標を得る手段を失い、その広大な森を死ぬまで彷徨う羽目になるからである。
なお、迷わないようにと木々や地面に印をつけても結果は同じ。やっかいなことにこの森の木々や植物は再生力が異常に高く、原状回復とばかりにその痕跡をすぐ消してしまうのだ。
そのため森に足を踏みいる者は少なく、それでも森に分け入るのは森を知り尽くしているよほどの熟練者か特別な能力を持った異能者、もしくは自殺志願者だけである。
このような事情から人の手がほとんど入らない、自然そのままの大森林がそこに存在していた。
そんな、手付かずの森のほぼ中央部にぽつんとサークル状に開けた土地があった。そしてその中央にはこの森の中でも一際大きな木が枝を饅頭型に大きく広げその姿を固持していた。
一見すると、某家電メーカーの樹で有名な合歓木に似ているが、規模が段違いに大きく、高さは約5000メートルにも及んでいた。幹の直径も約100メートルと太く、枝葉の直径は約10000メートルにも及ぶ大樹であった。
この大樹は人々から「世界樹」と呼ばれ、生命を司る神として崇拝されていた。
その大きな梢の下で伊織は茫然と立ちすくんでいた。
「ここ……どこ……?」
伊織の目の前に広がるのは全容が見渡せないくらいの大樹と少し離れた所に鬱蒼と茂った木々だけであった。
目が覚める前は自分の家で経営している玉藻神社の境内で妹の紫織に抱きかかえられていたはずなのに、目が覚めたら大樹の根元に一人である。伊織が茫然とするのも無理は無かった。
しばらく立ちすくんでいた伊織だが、自分がチーマーに刺されたことにはっと気がつき、慌てて刺されたあたりを見た。
だが、刺されたはずの腹部には傷も血の跡もない。あれれと思い、刺されたはずの部位を手でさする。そして気がついた。
「あれ? これ僕の手じゃない!」
伊織は慌てて手のひらを凝視。裏表を確認すると手をぐーぱーと開閉させた。
「やっぱりちがうぅぅぅ! 僕の手はこんなに小さくないよ! しかもやたらと白くなっているしぃ!」
伊織の言うとおりその手は少女の手のように華奢で細く、また透明感のある白さがまるで処女雪の如きだった。元の手も存外華奢で細くそれなりに白かったが、既に弱冠を越えた伊織のそれとは比ぶべくも無かった。
まあ、自分の思い通りに動いている時点で明らかにお前の手であるのだから諦めろと言いたいところではあるが、さすがにそれをすぐに容認できるほど伊織も達観してはいなかった。
そのまま頭を抱える伊織。すると手にふわりとした毛並みの柔らかい何かに手が当たった。そして頭がなぜかくすぐったい。
「えっ!?」
伊織は慌てて頭上を見上げた。だが見えるのは大樹の枝葉だけだ。頭を上に向けたことにより、手が置かれている頭頂部は背中の方を向いているのだから当然と言えよう。
「そうだ、鏡! 鏡で見れば!?」
そう言って伊織あたりを見渡すが、文明の「ぶ」の字も無い森の中である。鏡なんてあるわけが無い。そんなことも分からないくらい伊織は混乱していたのだ。
そんな時、目の端にあるものが映った。泉だ。
我天啓を得たりと言わんばかりに泉に向けて脇目も振らずにダッシュ。直径10メートルほどの小さな泉までやってくると身を乗り出して覗き込む。
鏡のように光る水面に伊織の姿が映った。するとそこには金色に輝く髪と大きな狐耳、そして毛並みの良い狐尾を持つ見目麗しい少女が驚愕の表情で伊織を見つめていた。
このお話は小物で根性と頭が悪くゲスい性格の主人公・伊織が見目だけは良いお狐様となって(色々な意味で)活躍するお話です!よって、全体的に頭が悪い内容と展開が多いですが、大長編ジャ○アンよろしく、まれに伊織がなけなしの男気を発揮したりもしますので、呆れずに生暖かい目と広い心でお付き合い頂ければ幸いです!
某家電メーカーの樹を合歓木と書いていますが、正確にはアメリカネムなので、実は合歓木とは別の木だったりします。




