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第6話

 昼下がりの陽射しが、石畳の道をきらきらと照らしていた。大通りの掲示板に新しい通達が貼られ、人だかりができていた。


『転生者と疑われる者は、速やかに報告せよ』黒い制服の兵士が、その文面を無言で見張っている。


 通りがかった商人が小声で呟いた。


「まただ……最近は週に一度は貼られてる」

(全く、そんな張り紙で誰が報告するのやら)


 サフィアは軽く舌打ちしてから、脇道に入って工房の扉をノックした。


「お届けにあがりました。ルヴェール商会のサフィアです」


 返事はない。

 まあ、いつものことだ。

 呼吸をひとつ置いて扉を押すと、油と金属とインクの匂いが混ざる空間が現れた。天井近くまで積み上がった本と設計図。魔道具の試作品らしきものが机の上で微かに光を放っている。


「前に勝手に入るなって言わなかったか?」


 部屋の奥、書類の山に埋もれながら、カイが顔も上げずに言った。

 取引相手で、魔道具職人。気難しくて不遜で、たまに天才。いや、常に天才。


「その後に待ってたら、勝手に入れとも言われたわ」


 サフィアは淡々と返しながら、床に転がる部品をよけて進んだ。言葉の応酬はいつも通り。慣れている。慣れすぎて腹が立たなくなったのがまた、腹立たしい。


「これが今朝届いた注文分。納品書にサインだけお願い」

「そこ置いといてくれ」


 カイは手元の道具を離さない。顎で棚の端を指し示す仕草もまた無愛想で、でも妙に整っていた。

 なんでこんなやつに限って、顔はいいんだろうか。

 サフィアは無意識に舌打ちしそうになって、飲み込んだ。


「そういえば、一週間前にお願いしてたやつ、そろそろ形になってるんでしょうね?」


 サフィアは納品袋を棚に置くと、そのまま腕を組んだ。商会の営業として、催促はぬかりない。けれど相手がこの男では、強く出たところで意味がないのも分かっている。


「ああ、それなら昨日、やり直した」

 

 ようやくカイが顔を上げた。黒曜石のような瞳が、一瞬だけサフィアを見て、すぐに手元へ戻る。


「前の設計は納得いかなかった。こっちの方が七秒くらい反応が速い。わざわざ凡人の注文通りに作って、性能落とす意味がわからないんだけど」

「はあ……」


 サフィアは思わずため息をこぼし、それを誤魔化すように微笑んだ。


「ほんと、あんたってば職人の皮を被った独裁者よね」

「お褒めに預かり光栄。で、他にこの仕組み組めるやつ、いるか」


 カイは薄く笑った。皮肉も癖もこもったその笑みは、いつもどおり癪に障る。


「……ええ、いないわよ。わかってる」


 苦笑いを浮かべながら、サフィアは肩を竦めた。

 悔しいけれど事実だった。この街で、いや国内を見渡しても、彼ほど魔道具の細工に長けた職人はいない。癖の 強さも、天才の証。そういうことにしておくしかなかった。


「ちなみにこっちの納品は? 例の照明珠、もう三日過ぎてるんだけど?」


 机に書類を置きながら、サフィアは声色だけをやや甘めに整える。

 営業用の、外向きの顔。けれど目の奥では、期限遅れに対する怒気が微かに揺れている。


「あぁ、それは光量が安定しなかった。今、調整中」


 カイはぶっきらぼうに答えた。手元の作業に視線を落としたまま、細い棒状の器具で魔道具の刻印部をなぞっている。魔素の揺らぎを読む、独特の職人技。


「使う側のことも少しは考えて。あれ、開店祝いの装飾に使うって言ったでしょ。もう数日もないんだけど」

「知ってる。だから安定しないまま渡したら、二度と注文こないだろ?」


 カイの手は止まらない。だが、確かにそれは理に適っている。サフィアは言い返しかけて、息を呑んだ。

 口は悪いけど、こういうとこだけちゃんとしてるのがまた、憎たらしい。


「じゃあ、あとどれくらい?」

「今夜には試作できる。最終調整に明日半日。それで良ければ、明後日渡す」

「ほんと? じゃあ、次来る前に終わっててね」

「うるさい営業女」

「偏屈職人」


 二人のやり取りは、互いに刺を飛ばし合うようでいて、どこか馴染んでいた。

 サフィアはため息をつきつつ、カイの机をひととおり見回す。乱雑なようでいて、素材の分類や工具の配置には彼なりの秩序がある。プロの仕事場だ。だからこそ、サフィアは発注を続けている。

 むかつく性格ごと、仕事として割り切れる程度には。


「じゃ、よろしくね」


 踵を返しかけたサフィアが、ふと振り返る。


「……あ、そうだ。あの香炉型の精製器。今月中に三個追加でお願いしたいって言ってたの、覚えてる?」

「誰が?」

「うちの本部。使い勝手がいいから、支部にも置きたいんだって」


 カイはようやく顔を上げた。無造作にかきあげた髪の奥、灰がかった瞳がこちらを捉える。


「……三個?」

「三個」


 サフィアは笑って見せた。完璧な、営業スマイルで。


「お仕事、よろしくね。天才さん」

「とんでもねぇな」

「折角だから、中見せてよ。どうせまた妙な細工してるんでしょう?」

 

 サフィアは軽く身を乗り出し、無遠慮にカイの作業机を覗き込む。細かい部品、魔法式を転写した金属片、匂い立つような溶剤の残り香。どれも、魔道具職人の聖域だ。


「やめとけ。脳が追いつかなくてバカになるぞ」


 カイは小さく舌打ちしながら、いくつかの図面を裏返す。何を見せて、何を隠すかは彼のさじ加減だ。


「とっくに追いついてないから安心して」


 サフィアは肩をすくめて笑い、ずかずかと部屋に上がり込んだ。


「それにしても、やっぱり汚いわね、あんたの部屋。片付けって単語、辞書にないの?」

「効率がいい配置なだけだ。掃除しようとするやつの方が害悪なんだよ」


 むすっとした顔のカイが、布越しに置いたばかりの細工部品を庇うように手をかざす。


「はいはい。壊しませんよ、取扱注意ね」


 サフィアはわざとらしく両手を挙げ、部屋の奥の棚に視線を向ける。


「で、今進めてるのって、こっちの依頼と関係ある?」


 カイは返事をせず、黙って机の上の箱を指差した。


「……これが試作品?」


 サフィアがふと声を落とす。ごつごつとした銀の外装。内部に精密な魔力伝導路が刻まれ、小さな共鳴石が脈打つように瞬いている。


「まあな。納品分の改良型。お前が注文した条件満たして、ついでに音響共鳴で反応速度を上げた。見た目以外は完璧だ」

「見た目以外って」


 思わずツッコミを入れたサフィアに、カイは肩をすくめて言い返す。


「外装はお前んとこで勝手に飾りでも付けとけ。中身が問題なんだろ」


 カイのぶっきらぼうな言い草に、サフィアは軽く口を尖らせた。


「まったく。客相手にその言い方ってどうなのよ……でも、まあ、性能がいいなら黙るしかないか」

「黙らねぇけどな、お前は」


 カイは椅子の背に寄りかかり、あくび混じりにそう言った。


「うん、黙らない」


 サフィアは小さく笑って肩を竦め、部屋の中を見渡す。ごちゃついた部品、鉛のように重たい沈黙、そして、ふと漂う油と金属の匂い。嫌いじゃない、この空気。


「……そういえばさ」


 唐突に、声の調子を変える。少しだけ柔らかく、けれど目を合わせずに。


「この前話してた例の件、こっちは上に通したから。うまくいけば正式な契約にできる……たぶん」


 サフィアは言いながら、ポケットから一枚の紙片を取り出して机に置いた。

 見積もり案、条件整理、そして暫定の納期。


「……へぇ。仕事ができるって感じだな」

「やめて、嫌味にしか聞こえない」


 カイが視線だけで紙に目を通しているあいだ、サフィアは一歩下がり、部屋の入口へ向かう。


「じゃあ改めて。今日はこのへんで」


 壁に立てかけられたコートを手に取る仕草は自然で、けれどほんの少し、名残惜しげだった。

 扉を開ける。夕方の光が細く差し込み、街のざわめきが遠くから聞こえてくる。カイの部屋の匂いとは違う、乾いた空気。


「じゃ、またね。変な物ばっか作ってないで、たまには人間らしい生活しなさいよ」


 そう言い残して、サフィアは軽やかな足取りで外へ出た。

 工房の扉が背後で閉まる音を聞きながら、サフィアは軽く息をついた。

 くたびれたわけでも、怒っているわけでもない。ただ、心のどこかに、引っかかるような感触が残っていた。


(……ま、あれがいつもの態度よね。こっちがいちいち気にしてたら仕事にならないわ)


 カツン、と靴の音を響かせて歩き出す。通りに出ると、昼下がりの陽射しが暖かく降り注いでいた。

 人通りは多く、雑踏のざわめきが耳に心地よい。仕事中というのを忘れてしまいそうになるくらいだ。

 だが、サフィアはきっちりと気持ちを切り替え、視線を手帳へ落とす。数件の取引先がリストアップされていた。


「回っておくなら、あの染料商人のところか。それとも――」


 小さく唇を噛んで、首を振る。


「いや、まずは商会に戻ろう。報告と整理が先」


 いつも通りの合理的な判断。そうやって、感情に流されないのが彼女の長所であり、弱点でもあった。


 だが、その日。


 サフィアの足は、なぜかすぐには動き出せなかった。

 

 ほんの数秒。ただの偶然。

皆様いつもありがとうございます。

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