第3話
第3話です。
「ああいう物言いも、商人の技術というやつか」
背後からの皮肉交じりの言葉に、サフィアはにっこりと笑顔を返しただけだった。
屋敷の重厚な扉が音を立てて閉まると、二人きりの空気が戻ってくる。
カイは何も言わずに歩を進めるが、その足取りは先ほどよりも幾分落ち着いているように見えた。
サフィアはほんの少しだけ歩調を速め、並ぶように隣へ出た。
「ごめんなさい、余計な口出しをしたかしら」
そう言う声はどこか涼しげだった。
カイはちらりと横目でサフィアを見る。
冗談めかした言い方の裏にある、商人としての駆け引きと気遣い。それが嫌味に聞こえないのは、サフィアが言葉より先に動いていたからだ。
「いや、礼を言うべきかもな」
しばらくして、ぼそりと呟くようにカイが言った。
「え? 聞き間違いかしら?」
「二度は言わん。そういうとこだぞ、お前の悪い癖は」
サフィアは口元に手をあてて笑う。だがその頬は、ほんの少しだけ赤らんでいた。
建物を出ると、まだ日は高かった。石畳を踏みながら、カイは前を向いたままぽつりと呟く。
「……腹、減ってないか?」
唐突な問いに、サフィアは瞬きをした。
彼の顔を見ると、相変わらず仏頂面で視線は合わせてこない。
それでも、耳の先だけがわずかに赤いように見えた。
「ええ、まあ、確かに、少しだけ」
「じゃあ、行くぞ。うまいパン屋がある。俺の工房から少し歩くが」
「……はあ?」
「文句あるなら帰れ。俺は寄ってく」
言い終えると、カイはスタスタと歩き出す。
サフィアは一瞬唖然とし、すぐに笑みをこぼした。
(誘い方、へたくそ)
けれどそれでも、どこか可笑しくて、悪くない。
「……じゃあ、付き合ってあげるわ」
そう言って彼の後を追うと、カイはちらりと肩越しに振り返った。
その横顔には、わずかに緩んだ口元が見えた。
パン屋の店先には、香ばしい香りが漂っていた。バターやハーブ、チーズの香りが、胃袋に優しく訴えかけてくる。
カイは扉を押し開けて中へ入り、奥の隅の席を選んだ。人気店らしく賑わっているが、目立たない席を自然と選ぶあたりに、彼の性分が滲む。
サフィアも後に続き、席につく。
「何か苦手なものは?」
「特には」
「なんでもいいわけだな」
つっけんどんな物言いで彼はさっとカウンターへ向かい、二人分のトレイを手に戻ってきた。運ばれてきたのは、ハーブ入りのチーズパンと、ハムと野菜を挟んだ温かいサンド、それにポタージュのセット。
「ありがとう。いただきます」
サフィアはきちんと両手を合わせ、深く一礼する。冗談でなく、真面目にそうするのだ。カイは一瞬、それを見てから無言で自分のパンをちぎる。
サフィアの向かいで、カイはその姿をじっと観察していた。
「お前、食べ方、綺麗だな」
ぼそりとカイが呟いた。
「え?」
「汚く食う奴、苦手なんだよ。ガツガツしてるとか、肘つくとか、口開けて噛むとか。手も口も静かでいいな」
「気をつけてるだけ。育ちがいいわけじゃないわ」
「でも、いいものはいい」
声は低く短く、それでも確かに聞こえた。
サフィアは何も言わずにスープをもう一口飲む。そして、ふと笑う。
カイは器の前に手を揃えて軽く頭を下げた。
「いただきます」
その所作は簡素ながらも無駄がなく、静かに礼を尽くしているのがわかる。
箸の持ち方も正確で、料理に向き合う姿勢に乱れはない。
サフィアは少しだけ意外そうに彼の横顔を見た。
無口で偏屈な職人という印象が強かっただけに、その仕草の美しさが意外だったのだ。
「物珍しそうにどうした?」
「あなたも綺麗ね」
「……ふん」
再び食事に戻ったカイは、綺麗に食べ進めていく。
器を片手で丁寧に支え、口元は静かで、音も立てない。
サフィアは内心で感心した。
見た目も言動も棘だらけなのに、不思議と育ちの良さというか、どこか品のようなものを感じる。
「こういうお店って、よく来るの?」
「いや。滅多に。来客のときくらいだな。今日くらいはまぁいいだろう」
言い回しこそ素っ気ないが、照れ隠しのような間があったのをサフィアは聞き逃さなかった。
「じゃあ、昔からこの辺りに住んでるの? 詳しいなと思って」
「それなりに。静かな場所だしな。ガヤガヤしてない」
どこか言葉を選ぶように、カイは曖昧な答えを返す。
カイはそれ以上、何も言わなかった。
サフィアもまた、それ以上は聞かなかった。
けれど、胸のどこかにひっかかるものが、確かにあった。
ふと視線が合う。
カイはいつものように無表情でこちらを見ていた。
「お前と話すのは、意外と心地いいな」
さらりと、それだけを言って背を向けた。
所作は相変わらず静かで美しかったのに、なぜだろう。
胸の奥で、何かが跳ねた。
(……な、なに今の。仕事の話の、はずよね?)
彼の後ろ姿を目で追ってしまった自分に気づいて、サフィアは慌てて視線を逸らした。
冷やされた紅茶のグラスに口をつける。指先が少しだけ震えていた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
皆様のPVが励みになります。




