第27話
最終話です。皆様ここまでありがとうございました!!
くすっと笑って、再び作業台の横に戻る。ほんの一歩近く、彼の隣に。
サフィアは作業台の端に腰を預け、腕を組んでカイの手元を眺めていた。金属を磨く規則的な音が、静かな工房の空気を刻む。視線を落とした横顔は相変わらず感情を読み取りづらいが、その動きは迷いがなく、見ているだけで不思議と安心する。
「こうやって毎日顔合わせてると、普通の夫婦みたいに見えるかもね」
何気ない調子で口にすると、カイは視線を上げずに短く返した。
「そうか?」
「そうじゃない? 偽装だって言っても、すぐ離れたら怪しまれるし」
「ああ」
「だから、必要な間は続けるってことよね」
カイの手が、そこで止まった。ほんの数秒、作業音が途切れる。
その沈黙に、サフィアは自然と息を詰める。そして、低く落ち着いた声が続いた。
「……いや。必要なくても、続けていい」
たったそれだけの言葉。
けれど、胸の奥にすとんと落ちた瞬間、心臓が跳ねるように脈打った。
「……え?」
聞き返した声が、思っていた以上に掠れている。カイは視線を手元に戻し、何事もなかったかのように作業を再開していた。だが、その横顔はほんのわずかに柔らかく見える。
光の加減か、それとも気のせいか――判断がつかないほどささやかな変化。
(……そういうこと、あっさり言うんだから)
苦笑が唇に浮かび、すぐに消える。からかうような軽口を返そうとしたけれど、喉の奥で言葉がほどけてしまった。代わりに、胸の奥から静かな熱がじわじわと広がっていく。
作業音が再び規則正しく響き、工房の空気は何も変わらないはずなのに。サフィアには、もう元の距離感には戻れない気がしていた。
作業音が再び規則正しく響く。
けれどサフィアの耳には、さっきの言葉だけがやけに鮮明に残っていた。
「……ちょっと待って」
腰を浮かせて、カイの横顔を覗き込む。
「今、何て言ったの?」
「作業の邪魔だ」
「違うでしょ! 必要なくても続けていいって……それ、本気で言った?」
「言った」
「……冗談じゃなくて?」
「冗談を言う性格に見えるか」
「……それは、まあ……」
じっと見つめても、カイは淡々と部品を磨き続けている。
その無駄のない動きと落ち着きが、余計に心をざわつかせた。
「じゃあ、どういう意味?」
「そのままの意味だ」
「……っ」
言葉が詰まり、サフィアは一度視線をそらす。でもすぐに、また覗き込む。
「ほんとに?」
「三回も聞くな」
「だって……そういうこと、急に言うんだもん」
自分でも声が少し掠れているのがわかる。カイはそこでようやく手を止め、ゆっくりとサフィアを見た。
目の奥に、わずかに揺れる光。
「……嫌なのか」
「……嫌じゃない」
小さく首を横に振る。その瞬間、胸の奥の熱がさらに広がっていった。カイの問いに「嫌じゃない」と答えたあと、サフィアは少しだけ口元を緩めた。
「……でもさ、こういうのって、もうちょっとムードがあっても良くない?」
「ムード?」
カイがわずかに眉を動かす。
「そう。例えば……静かな夜とか、いい景色の場所とか。工房で部品磨きながら言うことじゃないと思うんだけど」
「……条件が面倒だな」
「そういう問題じゃない!」
思わず声を上げると、カイは小さく息を吐き、工具を置いた。
「お前が喜ぶなら、場所は考える」
「……え」
予想外の返答に、サフィアは一瞬固まる。
でも、すぐに笑いが込み上げる。
「じゃあ、期待してる」
カイは何も答えず、また作業を再開する。
その手元を見つめながら、サフィアは胸の奥の温かさを抑えきれなかった。
**
夕暮れの光が街を金色に染め、石畳や屋根の影を長く伸ばしていた。
サフィアは小高い丘の上に立ち、目の前の景色を眺めながら思わず息を呑む。
「……すごい。こんな場所があったなんて」
「人が少ない時間を選んだ」
隣でカイが短く答える。
遠くには街全体が見渡せ、夕日がゆっくりと沈んでいく。
頬をなでる風は柔らかく、昼間の喧騒が嘘のように静かだ。
「まさか、本当にムードのある場所を用意してくれるなんて思わなかった」
「言ったからにはやる」
ぶっきらぼうな声なのに、胸の奥がじんと温かくなる。
あの日の会話が頭をよぎり、自然と笑みがこぼれた。
「……じゃあ、次は?」
「次?」
「ここまできたら、もう“偽装”って言わなくていいんじゃない?」
カイはしばし黙り、夕日を背にしてサフィアを見つめる。
その瞳は穏やかで、しかし揺るぎなかった。
カイはしばし黙り、夕日を背にしてサフィアを見つめる。
その瞳は穏やかで、しかし揺るぎなかった。
「……もう偽装じゃない。これからもずっと一緒にいてくれ」
たった一言なのに、胸の奥が熱くなる。
心臓が跳ねて、言葉がうまく出ない。
「……偽装じゃない。ね」
「嫌か」
「……嫌じゃない」
ようやくそう答えると、カイの口元がほんのわずか、柔らかく緩んだ。
そして静かに手を差し出す。
サフィアは迷わずその手を取った。
夕暮れの光の中、指先が確かに重なり合い、2人の影が一つになった。
最終話になります。皆様最後まで読んで頂きありがとうございました。




