第24話
王宮の一角にある特務課執務室は、城内でも特に静かな区域にあった。廊下には衛兵が立ち、訪問者は一人一人、名簿と身分証で確認される。サフィアは淡い色の上着を整え、いつもよりわずかに低めのヒールで足音を抑えた。
(今日は……商会の顔としての振る舞いを)
そう心に言い聞かせ、重厚な木扉の前で深く息を吸う。
扉が開かれた瞬間、冷たい空気と、紙と革の匂いが混じった室内の香りが流れ込む。奥の机に、やはり昨日の男。レオンが座っていた。深い紺色の制服が、背筋の通った姿勢によく似合う。
視線が合った瞬間、彼の口元に僅かな笑みが浮かぶ。
「昨日ぶりですね、サフィア様」
その声音は柔らかいが、眼差しは探るように鋭い。
サフィアは背筋を伸ばし、会釈と共に微笑を返した。
「はい。折角、昨日来社頂きましてありがとうございました。折角のご縁をいただきましたので……ぜひお力になれるものをご提案できればと思いまして」
敢えてご縁という言葉を使う。商人の挨拶として自然でありながら、昨日の件を無駄にはしないという意志を含ませるためだ。
「……なるほど。どのような」
レオンは机から身を離し、わずかに前のめりになった。サフィアは鞄から革張りのケースを取り出し、机の上に置いた。留め金を外すと、中には鈍い光を放つ金属筒が収まっている。
レオンの視線が、机上の金属筒へと落ちた。
冷静な仮面の奥で、ほんの一瞬だけ好奇心が揺れたのを、サフィアは見逃さなかった。
「こちら、私どもが取り扱う新製品。魔力探知器です」
「魔力探知器……既に市販のものがあるはずですが」
「はい。しかしこちらは、市販品とは比べものにならない感度を持っています。加えて、特定の魔力波長を記憶させれば、似た波長を持つ対象を一定距離で感知可能です。姿を隠されても、魔力さえあれば捕捉できる。特務課の皆様には、大きな助けになるはずです」
説明しながら、サフィアは製品を両手で差し出す。
レオンは器具を持ち上げ、重量を確かめるようにわずかに傾けた。金属の表面に刻まれた魔導式が、指先に触れた瞬間、かすかに光を放つ。
「……誰の設計です?」
「うちの職人です。構造も魔導式も極めて複雑で、模倣はまず不可能でしょう。試みたとしても、同等品を作るには数年単位が必要かと」
意図的に自信を声に混ぜた。
レオンの目がわずかに細くなる。それは、興味と警戒の両方を含んだ色だ。
「興味深い……しかし、なぜ我々に?」
「直接お会いできる機会をいただきましたから。お役に立つ品を、ぜひ特務課専用としてご提供したいと考えています。契約を頂ければ他所には出しません」
言葉の端に、わずかに硬質な響きが混じった。
「つまり、我々との関係を優先させたいと?」
レオンの声は穏やかな響きを保っている。だが、その奥には硬質な探りの色が混じっていた。
机越しに向けられる視線は、ただの客を見るものではない。商人としての力量を計ろうとする、静かな圧だ。サフィアは営業用の微笑みを崩さず、胸の奥で一拍分の間を作った。
次の言葉を急ぐのは簡単だ。だが、それではこちらが揺らいでいると読まれる。
逆に、少し間を置けば、相手は続きを聞く態勢になる。
「ええ。ただ……特務課以外にも、興味を示すところはきっとあるでしょう」
その一言で、レオンの視線がほんのわずかに細まる。
挑発ではないと伝えるため、サフィアは声を柔らげる。
「ですが、個人的にも、これを作った職人もこの国が好きです。だからこそ、まず最初にこちらへお持ちしたんです」
言葉を置くように、ゆっくりと言い切った。
部屋の空気が一瞬だけ止まる。机の上で組まれたレオンの指が、ほんの僅かに動いた。
興味か、計算か、その両方か。どちらにせよ、感情の波が動いた証だ。
(大事なのは、相手の中で天秤を揺らすこと)
この場面で言葉を重ねすぎれば、ただの押し売りになる。
引きすぎれば、安く見られる。その境目を保つために、サフィアは黙った。
余白を与えれば、今投げた言葉は相手の中で形を変え、重みを増していく。廊下の足音が遠くで響き、それがまた沈黙を強調した。
サフィアは相手の呼吸の間合いを読むように、ただ待った。
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沈黙を破ったのは、金属のわずかな擦れる音だった。レオンが器具を持ち直し、もう一度細部を眺める。
指先で魔導式の刻印をなぞり、その構造を記憶に留めようとする。が、すぐに諦めたように視線を外す。やがて、彼は器具をケースへ戻し、留め金をぱちりと閉じた。
その動きには、慎重さと同時に、無意識のうちに価値を認めてしまった者の重みがあった。
サフィアは内心で小さく頷く。
ただし、表情には一切出さない。交渉の席では、こちらが何を考えているか読ませないことが肝心だ。
「検討しましょう。数日以内に返答をさせていただきます」
「お待ちしております」
「こちらこそ。あなた方のような方が愛国者で嬉しい限りです」
返す声はあくまで一定。
机の上のケースは、もはやただの製品ではなかった。この場で握ったカードであり、互いの関係を測る秤でもある。サフィアはゆっくりと立ち上がる。
軽く一礼し、背筋を伸ばして扉へ向かう。
背後に視線が刺さる。監視されることに慣れたはずの足取りも、意識すれば僅かに重くなる。
それでも、振り返らない。
背中を見せたまま歩くことは、相手に対する信頼と、恐れのなさを同時に示す行為だ。重い扉が静かに閉まる。
その瞬間、胸の奥で張り詰めていた糸がふっと緩み、ゆっくりと息が入っていく。
(……これで少なくとも、簡単には切り捨てられないはず)
手応えと同時に、わずかな高揚が胸の中で熱を帯びる。
唇の端に小さな笑みを残したまま、サフィアは王宮の長い廊下を後にした。
あと少しです。




