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第21話

偽装結婚1日目ですね。

挿絵(By みてみん)



 夜が明けた。

 小部屋の窓から差し込む朝日が眩しくて、サフィアはゆっくりと目を開ける。慣れない部屋のはずなのに、意外とよく眠れた。身支度を整えてリビングに出ると、カイはもう工房の作業台に向かっていた。夜遅くまで図面を広げていたのに、もう作業しているようだ。


「おはよう」

「おはよう。そこにパンとスープがある。適当に食べていけ」

「ありがとう」


 この距離感、何とも言えない。

 昨夜の夕食よりはずっと自然なやりとりなのに、サフィアの胸の中にはまだ妙なざわめきが残っていた。


 (偽装……偽装。偽物だから)


 食事を終えると、鞄を手に取る。

 今日は商会に顔を出さなければならない。婚姻のことはまだ誰にも……いや、ロゼが動いていたら、どうだろう。


「行ってくる。夕方には戻るから」

「ああ……何かあったらすぐ連絡しろ」

 

 短くうなずくカイの声に背中を押されるように、サフィアは工房を出た。

 商会に足を踏み入れた瞬間、その答えはあっさり出た。


「あっ、奥さーん! 新婚なのにもうお仕事ですか?」

「えっ……あ、あの……」

 

 受付の若い女性が、にこにこ笑いながら声をかけてきた。

 近くにいた同僚も振り返り、「おめでとうございます」と口々に言う。


「いや、その……あの……」


(ロゼだ。絶対にロゼが根回しした)


 次々と祝福の言葉が飛んできて、サフィアはまともに否定もできず、引きつった笑顔を貼りつけるしかなかった。


「旦那様、工房で発明ばっかりって聞きましたけど、家ではちゃんと甘えてくれるんですか?」

「ま、まあ……それなりに……?」


(何を言ってるの、私)


 商会の中は完全に新婚お祝いモードで、サフィアの「偽装だし」という心の声は、誰にも届く気配がなかった。


「奥さん、今日もきれいですねえ。新婚パワーってやつですか?」

 

 受付のミーナが、にやにやしながらサフィアに声をかけてくる。

 他の同僚たちも耳ざとく聞きつけて、こっちを振り向いた。


「ちょっと、やめてよ……仕事中でしょ」

「いやいや、みんな気になってるんですって。だって、あの偏屈な工房主と結婚したんでしょ? どうやって落としたんですか? 真面目な顔してサフィアさんもやる時はやるんですね」

「落としてないから! そういうのじゃ」


 言いかけて、慌てて口をつぐむ。

 偽装だなんてもちろん言えない。けど、否定しすぎると逆に怪しまれそうだ。


「へぇ、否定しないんだ?」

「彼は、えっと……仕事熱心な人よ。あと、変なところで頑固」

「頑固って……じゃあ家ではどうなんです? 甘えてくるとか?」

「そ、そんなこと聞く?」


 同僚たちの笑い声が、妙に温かくてくすぐったい。偽装だって知っているのは自分だけ。その事実が、胸の奥でこそばゆくざわめく。そんな空気の中、入口のベルが軽やかに鳴った。

 視線を向けると、見知らぬ男が立っていた。整った金髪に、上質な深緑の外套。指先まで洗練された仕草。

 商会の客層には珍しい、高位の空気をまとっている。


「失礼いたします。サフィア様は……こちらに?」


 低く柔らかな声に、周囲の空気が一瞬静まり返る。

 サフィアは軽く会釈し、受付から歩み寄った。


「はい、私です……どちら様でしょうか?」

「突然の訪問、申し訳ありません。私、レオンと申します。この度はご結婚。誠におめでとうございます。その件で、少しだけ、お話をうかがえれば」


 笑顔は崩さないが、その瞳の奥は油断なく光っていた。


「わざわざありがとうございます。それではこちらに」


 サフィアは応接室の一室にレオンを招いた。


「どうぞお掛けください」

「ありがとうございます。商会の方たちもお喜びになっているんですね」

「えぇ。耳の早い人たちです。レオン様は何をされている方なんですか?」

「王家直属の特務課というところに勤めております。名前だけ仰々しいですが、大したことはしておりません」

「本当ですか?」

「えぇ。決して花形などではございません。さて、旦那様のことについてお伺いしてもいいですか?」

「……彼は、そうですね」

 

 サフィアは、わざと少しだけ考える間を置いてから口を開いた。

 レオンの目は笑っているのに、その奥にはひたすら情報を引き出そうとする硬質な光があった。このタイミングで名指しの呼び出しということはロゼの読みが当たってい他のだろう

 ここで曖昧に濁せば、逆に疑いを強める。そう直感していた。


「無愛想で、頑固で、自分の世界にこもりがちな人です」

「随分、率直なご意見ですね」

「ええ、だってそういう人ですから。工房に籠もって作業をしていると、昼も夜も忘れてしまう。昔から、ずっとそうでした」

 

 レオンの眉が、ほんのわずかに動いた。

 その反応を見て、サフィアは心の中で小さく息をつく。やっぱり、そこを突こうとしていたのね。


「昔から……と言いますと?」

「私がまだ商会の見習いだった頃から知っています。仕事で道具の相談を受けたことがあって、それが最初です。あの人、社交的じゃないし付き合いも少ないから、印象に残って」

「なるほど。付き合いが少ないんですね」

「あまり主人のことを悪く言うのも憚られますが、事実ですので。だから、噂話や流行り事にはまるで興味がありません。王都で何を言われていようと、きっと本人は知りもしないでしょうね」

 

 サフィアは軽く笑みを作る。

 だがその裏で、内心は張り詰めていた。一歩一歩慎重に足を進める。

 レオンの質問はどれも遠回しだが、明らかにカイを普通ではない存在として見ている。


「では……あなたが見て、彼はどういう人物です?」


 急所を突くような問い。

 サフィアは一瞬だけ視線を落とし、わずかに唇を結んだ。


「どういう、と言われても難しいですね」

「難しい?」

「人には色々な側面がありますから。ただ言えるのは、不器用で、口数が少なくて、でも、絶対に手を抜かない人でしょうか」


 ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 その一つひとつを、レオンが逃さず聞いているのが分かる。


「誰かが困っていると、ぶっきらぼうに見えても放っておけない。何も言わなくても、ちゃんと見ている。そういう人なんです」

「なるほど。随分と、よく見ていらっしゃる」

「長い付き合いですので」


 さらりと言い切ったが、胸の奥は熱を帯びていた。


(昔から知ってる? 本当は、最近になってやっと知り始めたくせに)


 けれど、この場ではそれでいい。彼を疑わせないためなら、多少の脚色は構わない。

 視線を上げると、レオンが訝しげに首を傾げる。


「え?」

「そういうところも、嫌いじゃないんです」


 一瞬、空気が止まったように感じた。商会の奥で帳簿を書いていた同僚が、ペンを落とす音が聞こえた気がした。レオンの表情はほとんど変わらなかったが、その目の奥がわずかに揺れた。


「そうですか。それは、ご結婚の理由でも?」

「理由のひとつ、ですね」


 サフィアは柔らかく微笑んだ。

 その笑顔は、偽装結婚だとは決して思わせない、自然で温かいものだった。

 レオンは数秒黙ってから、小さく一礼した。


「……ご協力、感謝します。お話は以上です」


 レオンは背筋を伸ばし、丁寧に一礼すると、扉へ向かった。

 その足取りは終始落ち着いているのに、去り際にほんのわずか振り返った視線は、まだ何かを測るようだった。


「またお会いしましょう、サフィア様」


 静かに告げ、外套の裾を揺らして去っていく。

 扉が閉まると、張り詰めていた空気が一気にほどけた。


「ふぅ……」


 サフィアはゆっくりと息を吐き、気づけば自分の指先が少し汗ばんでいた。

いつも見てくださりありがとうございます。

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