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第20話

 カイも、ロゼに目を細めた。


「その冗談、面白くないぞ」

「冗談で済めば楽だけど。これ、けっこう真面目な話なんだよね」


 ロゼはテーブルの上で指をトントンと叩きながら、続けた。


「今、あんたたちの状況ってこう。転生者と、それに近しい女が一緒に暮らしてて、転生者の疑いがある方が無所属、保証人なし、保護団体にも入ってない。根無草で人間嫌いでしがらみも薄いだろうから、他所の国に行ってそっちで何か事業を始められたら国として、大損害もあり得る訳で。だからまぁ躍起になるんだろけどね」


 サフィアが眉をひそめた。


「……狙うって、誰が?」

「王家。というより、王家直属の特務部門ね。最近は任意じゃなくて報告義務って空気に変わってきてる」

「あぁ、大通りでもか看板出てるよね」

「結婚すればって話。それだけでカイはこの国に根を張ったって名目が立つ。商会所属の営業職って肩書もあって、婚姻書類と保証人つき。さすがにそれを無視して強引に連行すると、こっちの商会や貴族にも波風立つ。……まぁ早い話、王家が面倒くさいと思うわけ」


 カイが肩を組み直して、淡々と尋ねる。


「本当に、それだけで手を引くのか?」

「保証はしない。けど、優先順位は下がる。あんたらの情報を集めてた奴らだって、『結婚したなら関係がこの国に基盤が出来ている→今すぐ引き離すとリスクがある』って判断する。むしろ、強引にやれば、こっちが“正式に反論できる材料ができるのよ」

 

 ロゼの言葉を聞きながら、サフィアはふと問い返した。


「えっと、ちょっと待って。なんかとんでもない内容で話が進んでるんだけど。でも……カイは、それを受け入れるの? その、私と、結婚って」


 カイはしばし沈黙した後、低く答えた。


「俺は必要なことなら、やるだけだ」

「え、いや、でもほら、こういうのって、愛とか、その……」


 サフィアはチラリとカイを見る。その瞳に感情は見えない。けれど拒絶の色もなかった。

 理屈では分かっていた。身を守るには最も簡単な策だと。けれど胸の奥では、喜びと恐怖がぐちゃぐちゃに絡まって、呼吸が乱れる。

 

「まぁでも、現時点ではサフィアには関係ない話なのは事実。逃げるなら今のうち。けど、あんた、ここを離れる気ないでしょ?」

「ちなみに、ロゼが結婚するのは?」

「好みじゃないのよ。あとは自営業より商会の方が身元しっかりしてるでしょ。それにカイもそっちの方がいいだろうしね。必要なことなら、やるみたいだし」

「必要なこと」

「……そうだな」


 その言葉の裏に『仕方なく』と言う言葉が見え隠れするようだ。真意を図るためにサフィアはカイをジッと見つめた。


「あーいや、違う。誤解を生むな。俺が、お前の隣にいたいって話だ」


 その言葉は、不意打ちのようにサフィアの胸に飛び込んできた。


「……は、えっ?」


 思わず声が裏返る。顔に熱がこみあげてきて、まともにカイの顔を見られない。


「ちょ、ちょっと待って。それって、どういう」

「言葉通りだ。お前と一緒にいる理由が、俺の中にもちゃんとあるって話」


 カイは視線をそらさず、まっすぐに言った。

 その口調は淡々としているのに、なぜだかサフィアの胸がどくんと跳ねる。


「そりゃ必要だからってのは建前になる。けど、本音もあるんだ。お前がそばにいてくれるのが……、悪くないってことも、ちゃんと分かってる」

「それは……ずるい」


 サフィアはぎゅっと唇を噛んだ。


「そんなふうに言われたら……断れるわけ、ないじゃない」


 その小さな声に、カイが目を細めた。

 ロゼはそんな二人を見ながら、わざとらしく肩をすくめる。


「はいはい、そろそろ本題戻ろっか。こっちは二人がくっつこうが爆発しようがどうでもいいけど、婚姻申請書は、私が持ってるからね? 偽装か本気かは署名の筆圧で見抜いてやる」

「ちょ、ロゼ!」


 サフィアが叫んだが、ロゼは楽しげにウインクして見せた。


「冗談よ、冗談。けど、どっちにしても名目は要る。正式な手続き、周囲への通知、同居証明も必要になるし。

やるって決めたら、徹底的にやらなきゃ王家を黙らせられない」


 その言葉に、サフィアは再びカイの方を向く。

 これは逃げ道じゃない。

 自分の意思で踏み出す、新しい選択肢だ。

 胸の奥が、少しだけ熱を持っていた。


「……分かった。書くよ、私」


その一言で、胸の奥がぐっと熱くなる。喉が急に乾いて、指先がわずかに震えた。頭の中では即座に計算が始まる。得られる保護、失う自由、契約の履行義務。タスクが次から次へと降ってくる。

 震える手で受け取った書類。

 名前を書くたびに鼓動が早まる。

 けれど、もう迷いはなかった。

 隣で、カイも静かにペンを取った。

 サインが並んだ瞬間、世界の色が変わった気がした。


「じゃあ、これで婚約成立ってことで。おめでとう、新婚カップル」


 ロゼの軽口に、サフィアは顔を真っ赤にした。


「……冗談、だったらどうしようかと思った」


 そう言いながらも、サフィアは視線を逸らす。息を吸うたびに心臓が跳ね、声が震えそうになる。カイの隣にいたい。その言葉を、どこまで本気で受け止めていいのか。

 いや、本気にしか聞こえなかったからこそ、怖いのだ。

 心が大きく揺れる。胸に熱が灯る。張り詰めていた感情が、ほどけて、溢れ出しそうだった。


「カイ……」


 その名前を呼んだ瞬間、サフィアはもう一歩、彼に踏み込んでいた。

 けれど次の瞬間、軽く咳払いする声がして、二人の間に冷静な空気が差し込んだ。


「はいはい、進展は嬉しいけど。そういうのは部屋で二人きりのときにやってね?」


 ロゼが、腕を組んでこちらを見ていた。


「とりあえず、このままだといろんな方面に誤解されそうだし、手続き的なものは私がやるからね。偽装婚って形にはなるけど、法的にもある程度整えておいた方がいい」

「……そんな簡単に?」

「まぁ、保護関係の証明って名目が立てば婚姻に近い契約を結ぶのは可能なの。特に、命に関わるような状況だったって説明すれば、理由としては十分」


 ロゼは淡々と説明しながらも、ちらりとカイの様子をうかがう。


「もちろん、ちゃんと意思があることが大前提。強制や偽装が過ぎれば問題になるけど、カイが彼女を守りたいって言うなら、手段としては現実的だよ」


 カイは一度、サフィアの顔を見て、それからうなずいた。


「……頼む」

「了解。じゃあ、やるなら早めがいい。役所関係には知り合いもいるし、しっかり処理してくれる」

「本当に……やるんだ」


 サフィアが言葉を詰まらせたまま、カイと視線を交わし続けている。さっきまでの勢いはすっかり影をひそめ、代わりに漂うのは、覚悟と、それを揺さぶるような緊張だった。


「ふぅん……まあ、なんだっていいけど」


 ロゼはわざとらしく肩をすくめて立ち上がると、ゆっくりと扉の方へ歩き出す。


「じゃ、とりあえず、手続き関係は私の方で詰めとくから。どうせ婚姻証明なんて、書類のひとつよ。内容に不備がなきゃ、誰もあれこれ言わない」


 振り返り様ロゼはニッと笑った。


「というわけで、あとは若い二人で、ね?」

「ちょ、ロゼ!」


 サフィアが慌てて立ち上がるのと、カイが小さく吹き出すのは同時だった。


「なによ、別に変なこと言ってないでしょ? どうせあんたたち、今さら照れても仕方ないでしょうが」

「……ロゼ。あなた、私たちと同い年でしょ」

 

 サフィアが目を細めて小声で突っ込むと、ロゼは肩をすくめてひらりと身を翻す。


「気持ちの問題よ。私、精神年齢高いから。ま、あんたたちのそういう空気、邪魔しちゃ悪いでしょ?」


 そう言い残すと、ロゼはぱたぱたと靴音を響かせて部屋を出ていった。

 軽い言葉とは裏腹に、その背中にはほんの少しの寂しさが滲んでいたような──そんな気もして、サフィアは胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。

 ロゼが扉を閉めた瞬間、工房はしんと静まり返った。

 急に押し寄せた静けさに、サフィアは落ち着かない気持ちになる。

 机の向こうでカイが腕を組み、しばらく何も言わずに座っていた。


「あの、その、本当に同居、するんだよね」

「する」

「まあ、そうなんだけど」

「とりあえず、部屋はそのまま使ってくれ。寝室は別だ……気を使う必要もない」

「……うん。ありがとう」

 

 ぎこちない返事をしながら、サフィアは鞄を抱えて部屋へ向かう。

 荷物を置き、戻ると、カイが机の上の図面を片付けていた。


「腹、減ってないか?」

「……ちょっと。何か作るよ」

「作れるのか?」

「失礼な。こう見えても一人暮らし、長いんだから。本気を出せばそれくらい」

(普段は全く作らないけど)


 そう言って、キッチンの棚を開く。食材はそれほど多くないが、玉ねぎとじゃがいも、干し肉と牛乳がある。シチューなら作れそうだ。鍋に火をかけると、カイは作業台から視線をこちらに移した。


「……大したもんだ」

「だから言ったでしょ。なんなら毎日作ってあげる」

「それは助かるな」


 湯気の上がる鍋から香りが立ちのぼり、二人の間に柔らかな空気が漂った。

 やがてシチューが出来上がり、テーブルを挟んで向かい合って座る。


「……うまい」

「ありがと」


 ほんの数分前までのぎこちなさが、少しずつ溶けていく。

 食事を終え、片付けを済ませると、時計の針はすでに夜を告げていた。


「今日は……もう休め。慣れない場所だろうから、ちゃんと鍵は閉めろ」

「……うん。おやすみ、カイ」

「おやすみ」


 小部屋の扉を閉めた瞬間、サフィアは背中を預けて息をつく。

 偽装の婚約だと分かっているのに、どうしてこんなに胸がざわつくんだろう。

 その答えは、まだ自分にも分からなかった。

皆様のPVが励みになります。いつもありがとうございます。

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