第19話
工房の扉が閉まる音が、いつになく重く響いた。カイは背を向けたまま、机の上の部品に指先を這わせていた。サフィアとロゼが入ってきたのに、振り返ろうともしない。
「あ、そうだ」
ぽつりと、冷たい声が落ちた。
「無事に終わったんだろ。なら、もうここにいる必要はなくなったな」
カイの言葉に、サフィアは一瞬、理解が追いつかなかった。けれど、その言葉の意味はすぐに染み込んできた。
「どういうこと?」
「未来は、変わった。お前が死ぬ未来も、俺が見る未来も、もうない」
ようやく振り向いたカイの瞳は、どこか虚ろで、深く疲れていた。
「装置は処分しておく。あんなものはない方がいい。もう動かないしな。となるとお前がここにいる理由もない」
冷たいようで、どこか自嘲気味な声。突き放そうとしているのに、痛みを隠しきれていない。
サフィアは、言葉を探した。けれど、胸の奥に引っかかって、何も出てこない。
「……私、まだ何も答えてない」
「お前の人生だ。自由にすればいい」
それでもカイは、こちらを見ようとしない。
サフィアは唇を噛みしめた。
「私はあなたと一緒に未来を変えたって、思ってる。自由なら……」
沈黙が落ちる。
ロゼが軽く肩をすくめて、横から口を挟んだ。
「まーた面倒くさい男ムーブね。ここで一緒にいて、泊まって、ご飯食べてさ。全部終わった途端、帰れはないでしょ」
カイはちらりとロゼに目を向けたが、何も言わなかった。
「それにサフィアもサフィアで、はい帰りますなんて言うタイプじゃないでしょ?」
「……ロゼ」
「まあ、あんたの仕事が不安定だから、まだいるってことでいいんじゃない? サフィアがヘソ曲げて取引しなくなったら、家賃が回収できないじゃない」
振り返ると、ロゼが壁に寄りかかりながら、皮肉混じりの表情を浮かべていた。
「いきなり放り出しても、誰も得しないでしょ。第一、こっちはこっちで動きづらいのよ。例の王家の通達のせいでね」
「……通達?」
サフィアが問い返すと、ロゼは少し表情を引き締めた。
「転生者を見つけた者は名乗り出ろ、って王家から。最近、毎日のように通達が回ってるの。……転生者の力は強すぎるから、国として管理する必要があるんですって」
封筒は厚手の羊皮紙ではなく、ざらついた軍務用の粗紙だった。 王家の紋章に加え、特務部門を示す二重円の副印が蝋に押されている。
文面には、転生者とその関係者を対象とした査察と拘束の条項が並んでいた。 最後の一行だけが、異様に大きな文字で刻まれている。
『拒否すれば、王命に背くものと見なす』
カイの表情がわずかに歪んだ。
「くだらない」
ロゼは肩をすくめる。
「くだらなすぎるわね。でも、現実よ。あんたのこと、王家に報告しないであげてる私に感謝してほしいくらいだわ」
沈黙が落ちる。
ロゼは少し声を潜めて言った。
「本当に感謝してよ。普通なら、あんたみたいな転生者、今頃、城の地下で優遇措置を受けてるところよ」
カイの表情は変わらない。だが、その静けさの中に、深く冷たいものが宿っていた。
「優遇措置、ね……。技術を差し出して、魂まで抜かれるのがか?」
「まあ、そう。家族や関係者まで調べられるのよ。今なら私はもちろんサフィアもね」
サフィアの息が詰まった。
「私も……?」
「当然。転生者が外でどんな関係を持ってるか、それも管理対象。あんたの記録、全部精査されるわよ。下手すりゃ業界にも波紋が広がる。今のポジション、維持できると思う?」
沈黙。
カイがゆっくりとサフィアの方を見た。
「だから、俺は出てけと言った。死ななくても良くなったのに、そんなことになるのは本意じゃない」
だが、サフィアは首を振る。
「壊れない。私は私の意思でここにいる。未来が見えなくなったなら、今度は自分の目で見るしかないんでしょう? だったら、私は一緒にいたい」
ロゼが息をついた。
「……言うと思ったわ」
ロゼが机の上に一枚の封書を置く。その金で縁取られた封蝋は、王家のものだ。
「……通達。『転生者と疑われる者は、速やかに報告せよ』従わなければ、それなりの措置を取るって」
言いながら、ロゼは珍しく真面目な声だった。
「このまま無視すれば、強制調査が入る。研究施設行きもあるわ。特にあんたみたいな目立つ成果を出してる人間はね」
サフィアの背筋に、寒気が走った。
カイは、文書を一瞥しただけで目を伏せた。
「……目をつけられたってことか」
「まぁ、完全にマークされてる」
「現地の人間と婚姻した人は対象外。まぁ、国に根ざしてくれるのであれば、多少は目を瞑ってくれるってことね。尤も、王家に反抗的な意図がない限り、って条件つきだけど」
ロゼはちらりとサフィアを見る。
「まあ、つまり、籍入れちゃえば?」
さらりと投げられたその一言に、部屋の空気が止まった。
「……は?」
「だって、そうすればサフィアがこっちの世界での保証人になる。あんたが国家に敵意ないって証明にもなるし、いいとこの紹介の旦那を無理に引っ張ると反発も多いだろうから、王家も慎重になるでしょ」
ロゼは肩をすくめる。
「うんうん。つまり、カイがサフィアの婿になれば、王家は手出ししにくくなるって話」
「……え?」
あまりにぶっ飛んだ言葉に、サフィアがぽかんとした顔で固まる。
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