第15話
「……もう、お前には隠すべきじゃないな」
ぽつりと、カイが呟く。月明かりが差す工房の片隅で、彼の横顔は妙に静かで、どこか覚悟を帯びていた。
「……何の話?」
問い返すと、カイは少し視線を下げて、長い沈黙ののち、ゆっくりと口を開いた。
「俺は……この世界の人間じゃない」
思考が一瞬止まった。
なにを言っているのか、わからなかった。けれどカイの目はまっすぐで、嘘をついているようには見えなかった。
「この世界に来る前、俺は別の場所、別の世界にいた。ここより科学や技術が進んだ場所だ。戦争も、疫病も、技術である程度は抑え込まれていた」
サフィアは、言葉もなく彼を見つめていた。
「この世界に来たのは、偶然だった。理由も、方法も、俺にはわからない。けれど目が覚めたとき、すでにここにいた。だからここで生きるしかなかった。生きるために、俺は知っている限りの知識を使って、この世界に合うように技術を組み替えて、物を作った」
ようやく、合点がいった。
彼の作る魔道具のような日用品。ありえない性能と、ありえない原理。
なぜそんなものが作れるのか、誰も理解できなかった理由。
「誰かに話しても、ただの妄言としか思われない。でも……サフィアになら、信じてほしい。いや、信じなくてもいい。ただ、サフィアを助けるために、俺は全部賭けてもいいと思ってる」
サフィアの胸がぎゅっと締めつけられた。あの未来、血だまりの中で動かなくなった自分を、彼はすでに見ていたのだ。一人で、それを抱えて。何も言わず、守ろうとしてくれていた。
息を吸って、サフィアはそっと手を伸ばした。
彼の手に、触れる。
「信じるよ。私は、カイの言うことを信じる」
それだけの言葉に、カイの瞳が大きく揺れた。
わざとらしく一息吐くと、いつものカイの表情に戻った。
「あの未来を変えるには、まずなぜ自分が殺されるのか知る必要がある」
静かに、けれど強い声でカイが言った。
「殺す理由があれば、犯人も絞り込める。偶然じゃない、何かしらの動機があるはずだ」
そう言われてサフィアは目を瞑って思い返した。ここ最近、自分の周囲で起きていたわずかな変化を。
商会での視線。すれ違った時の誰かの足音。背中を向けた時に残る、ざらついた気配。
「そういえば……最近、誰かに見られてる気がするの。直接じゃないんだけど、背後に何か、いるみたいな」
「そうか」
カイの表情がわずかに険しくなった。
そう言って、カイは工房の奥の方へ向かった。
『サフィア、最近なんだかピリピリしてるね。何かあったの?』
あれは、ただの心配だったのか。
それとも既に、何かを知っていたのか。自分の親友のことを疑うなんて、最低だ。
でも、殺される未来を見た今、何もかもが揺らいでしまう。
「私も、調べる」
ふいに立ち止まり、サフィアは言った。
「私、商会には行くよ。ずっとここにいる気もない。自分の目で確かめたい。周囲の空気も、人の視線も、ちゃんと、自分で見てくる」
カイは一瞬驚いた顔をしたが、やがて小さく頷いた。
「わかった。ただし、絶対に一人で動くな。何かあったら、すぐに連絡しろ」
「うん。約束する」
視線が合い、頷き合う。
***
夜が更けていた。
工房の明かりは最低限に落とされ、外の風の音だけがかすかに聞こえる。
サフィアは借りている部屋の窓際に座り、月を見上げていた。
静けさの中に、自分の鼓動だけが響く。
この一日で、すべてが変わってしまった。
レイナの声を聞いたあの瞬間から、心にずっとあった小さな灯りが、ざらついた風に揺さぶられている。
まだ消えてはいない。でも、何かがひび割れた。
ドアがノックされたのは、そのときだった。
「……起きてるか?」
低く、静かなカイの声。
サフィアは立ち上がり、軽く返事をした。
「うん。入って」
扉が開き、カイがそっと中へ入ってくる。
手には温かそうなカップがふたつ。サフィアにひとつを手渡すと、自分も壁際に腰を下ろした。
「ミルクティー。ロゼが作った」
「ロゼが?」
「不機嫌なときほど、甘いものを作るクセがある」
「……それを私に?」
少しだけ、サフィアの表情がゆるんだ。
カップを両手で包み込みながら、ふたりはしばらく言葉を交わさず、ただ時間の流れに身を委ねていた。
やがて、サフィアがぽつりと呟く。
「……カイ。もし、本当にレイナが黒だったら、どうする?」
その問いは、どこか子どもじみていた。
それでも、カイはすぐには答えず、静かに彼女を見つめる。
「サフィアはどうしたい?」
「わからない。でも、答えは欲しい。真実がどんなに醜くても、私は自分の目で見て、納得したい。……怖いけど」
彼女の声は震えていた。カイはそっと近づき、カップを置いて、彼女の手を取った。
その温もりが、揺れる心に静かな重さをくれる。
サフィアの目がわずかに潤む。
でも今は、泣く暇なんてない。だから、深く息を吸って、吐いた。
「ありがとう。明日はちゃんと見逃さないように、目を開いてる」
カイの手を握ったまま、サフィアは少しだけ身体を預けた。
重なる体温。いつの間にか、こんなにも近づいていたのだと気づく。
出会った頃の、あの苛立ちや反発は、いまや輪郭を変えていた。
この人は、私の側にいてくれる。そう思えたことが、今夜一番の救いだった。
だが、そんな空気を破るように、ドアの向こうから乾いた声が届いた。
「……あんまり静かだと、逆に不穏なんだけど」
ロゼだった。
サフィアとカイが同時にびくっとし、思わず距離を取る。
「……聞いてたの?」
「扉一枚で何も聞こえないと思ってたなら、甘すぎるわよ」
ロゼの声に、ほんのり皮肉がにじむ。
「明日の準備は全部終わらせた。情報はまとめて紙に起こしておいた。机に置いてる」
「ありがとう、ロゼ。それから、その……さっきは」
サフィアが言いかけたそのとき、ロゼの方が言葉をかぶせた。
「明日は、観察を忘れないで。信じるか疑うかは、それからよ」
その一言だけを残して、彼女の足音が遠ざかっていく。
カイが苦笑混じりに言った。
「……あれでも、手加減してるほうだな」
「本気出されたら、怖そうね」
ふたりの間にごく小さな笑いがこぼれた。でもすぐに静けさが戻り、サフィアは再び窓の外を見やった。
「明日レイナがそこにいたら、どうするんだろう、私」
「会ってから、決めればいい」
そう答えたカイの言葉には、迷いがなかった。
「大丈夫だ」とは言わない。
「きっと違う」とも言わない。
ただ、自分の判断で動けと伝えてくれる、そのスタンスがありがたかった。
「じゃあ、寝る。明日は早いでしょ?」
「ああ。七時には出る。防寒具と、水と……あと、靴は滑らないものにしろよ」
「なんでそこまで細かいの」
「用心に越したことはない」
実用的すぎる忠告に、思わず吹き出しそうになった。
サフィアはようやく表情を緩め、ベッドの縁に腰を下ろす。
カイはドアに手をかけてから、ふと振り返った。
「眠れなかったら、遠慮せず呼べ」
「呼んだら、来てくれるの?」
「気分による」
その答えに、サフィアはただ、ゆっくりと頷いた。
「じゃあ、きっと呼ばない」
「……そうか」
カイの口元に、ほんのわずかに笑みが浮かぶ。
扉が静かに閉まり、部屋には再び静寂が戻った。
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