第1話
こんばんは。お久しぶりです。ようやく投稿2作目が書けました。
今回も完結済みですので、21時頃を目処に投稿していきます。
通い慣れた石畳の道を歩きながら、サフィア・カーヴェリは胸元をひとつ締め直す。
街は相変わらず忙しないけれど、どこか空が重たい。雲は薄いのに、呼吸が浅くなるような空気だった。
このあたりは〈職人通り〉とも呼ばれている。細工師や錬金術師、魔道具職人といった「癖のある連中」の巣窟だ。実力がものを言う世界で、腕一本で成り上がった者も多い。
その中でも、彼、カイ・リュステルは、頭ひとつ抜けていた。癖も才能も。
サフィアは歩を進めながら、風に揺れるスカートの裾を片手で押さえる。
大通りを抜けて、商人通りの喧騒から一本外れた裏路地へ。石造りの建物が並ぶ中、ところどころに木骨の古い家が混ざる。人通りは少なく、代わりに機械仕掛けの騒音や爆発音が、あちこちから控えめに響いてくる。
サフィアは一軒の建物の前で立ち止まった。
石と鉄と木材が継ぎ接ぎのように使われた、不格好な三階建て。窓には遮光用の板が打ちつけられ、入り口の扉には焦げ跡が残っている。表札すらないが、何度も通った彼女にとってはおなじみの場所だった。
いつもは誰もいないはずの前の通りに、見慣れぬ馬車が一台、止まっていた。黒塗りで装飾が細かく、四つ紋の入った家章が車体に誇らしげに掲げられている。
「……貴族?」
この地区では珍しい。いや、そもそもこんな場末に貴族の馬車が来る理由なんて。まさか、と脳裏をよぎる。けれどすぐに思考を振り払った。馬車の前に控えていた従者が軽く会釈し、馬を操ってその場を後にする。
馬車が止まっていた目の前にあるカイの工房の扉は、ほんのわずかに開いていた。
「……まさか、ね」
小さく呟いて、サフィアは工房の扉をノックする。返事はない。
いつも通りならそれが『入っていい』の合図だ。
「無言のクセに勝手が決まってるの、どうなのよ」
コンコン。
「失礼します」
扉を押し開けると、いつも通りの光景が広がっていた。無造作に置かれた道具、香草と金属の混じった独特の匂い。奥の作業台に背を向けたまま、カイが黙々と何かをいじっている。煤で黒ずんだ指先が、金属片の表面を撫でる。黒曜石の瞳は一瞬もこちらを見ず、瓶の中の光だけを追っていた。
「今日は早いな」
こちらを見もしないで言うあたり、いつものカイだ。やはりさっきの馬車は関係なかったかもしれない。
「何かあった? 外に、立派な馬車が……」
「さあ。俺が聞きたいくらいだ。勝手に来て、勝手に帰った」
「それって……」
「玄関の前にこれだけ置いてな」
カイはようやくこちらを振り向き、小さな木箱を指差した。机の端にちょこんと乗せられたそれは、銀で縁取られた高級な封筒だった。
見るからに、一般の商取引とは無縁の格式高さ。封緘には、蝋が使われている。まさに、正式な手紙。貴族間で使われるような様式だ。
「……なんで私が開ける流れ?」
半ば呆れながら言った。カイがこれを自分で開けるはずがないことくらい、もう分かってる。手紙嫌い。人付き合い嫌い。要するに社会生活嫌い。
「お前が開けた方が、何かと角が立たないだろ。頼んだ」
カイの頼みに、サフィアは少し眉をひそめた。
『カイ殿下 御自邸宛』
「この殿下って……」
「俺が書いたわけでも名乗ったわけでもない。勝手にそう呼ばれてるだけだ」
興味なさそうにカイは言いながら、机の上のガラス瓶をいじっている。
「読んでくれ。中身はどうせ……ロクでもない話だ」
「いいの?」
「頼んだ」
さらりとそんなことを言うから、サフィアは不意を突かれて返す言葉に詰まった。
信じてくれている、ということだろうか。
(面倒ごとを押し付けられてるだけな気もするんだけど……)
そんなことを思ってしまった自分に驚きながら、サフィアは封筒に手をかけた。
蝋を割って中から出てきたのは、羊皮紙に手書きで記された丁寧な手紙だった。筆跡は優雅で、それなりの教養を受けた人間のものであるとすぐにわかる。
「……読んでいいのね?」
「どうぞ。俺の代わりに怒ってきてくれ」
冗談めかすような口調に見えて、その瞳の奥には一筋の苛立ちがあった。サフィアは軽く頷いて、文面に目を落とした。
『親愛なるカイ殿
突然の無礼をお詫び申し上げます。貴殿の製品に深く感銘を受けた者です。ささやかながら、貴殿に直接お取引をお願いできないかと存じ、筆を取りました。
かの商会、ルヴェール商会にて幾度か貴殿の作品を拝見しましたが、当方の望む仕様と量において、仲介を挟む形では不都合がございます。つきましては、仲介なしで、貴殿と直接お話させていただきたく存じます。
当方は、ユリウス公爵家に連なる者です。つきましては、この申し出の趣旨をご理解いただき、賢明なるご判断を期待しております。
敬具』
「……ッ!」
サフィアは無意識に声を漏らしていた。
「どうした?」
「この人……私の商会を飛ばそうとしてる」
言葉にすると、怒りよりもまず、悔しさが先に立った。誇りを持って仕事をしてきた自負が、無視されたようで。サフィアたちの商会を、通さなくていいと判断されたということ。彼らにとって、サフィアは必要ないという烙印を押されたも同然だ。
「うちは下請けでも、伝書鳩でもないんだけどね」
震える指先で、手紙を握りしめた。カイが、少しだけサフィアに視線を向けた。
「……ま、予想はしてたけどな。あの手の人種は、基本的に時間と面倒を省くことしか考えない」
「モラルの問題よね」
「正規契約してるのは商会で、俺は下請けって扱いだろ? 貴族にとっちゃ商会を通さず個人に依頼するのは、違反じゃなくて工夫ってことだろ」
カイは皮肉めいた笑みを浮かべた。だがその声はどこか冷たく、心底から怒っていることが伝わってくる。
「で、どうする?」
「どうするもなにも……正式な取引ルート以外では受けられませんって、断らなきゃ」
「断りの返事、出すのはお前だな」
「そうなるね」
少しの沈黙があった。
「でも、できることなら、直接言いたくなるわね」
サフィアが静かに口にすると、カイの手が止まる。
「顔を合わせて、これはルールに反するから、応じられないって、はっきり言いたい」
「……へぇ」
カイが興味深そうに彼女を見る。その視線は、思いのほか真剣だった。
「一緒に行くか」
「えっ?」
「そういう封筒は無視するつもりだったが、気が変わった」
サフィアはしばらく目を瞬かせてそれから、ふっと笑った。
「珍しい。あんたが出るって言うなんて。いつも無視でしょ」
「たまたまだ。無視したら次は乗り込まれるかもしれないしな」
「貴族様に軽く見るなって言いたいんだ?」
二人の視線が重なる。
サフィアは頷いた。
「うん行こう。二人で」
「さっさと行くか」
皆様の感想やブックマークが励みになります。
今後ともよろしくお願いします。




