【8】街道沿いの水辺にて
※書き直したひとつ前のを上げてしまったようなので、修正版に差し替えました。
※最初の登校時と、最後の方が若干変わっています。
カラビに滞在して三日ほど過ぎた頃、マルゴ商会長からの使いがメイベル達の逗留している宿に訪ねてきた。シャルティア経由で北へ向かう隊商がカラビに到着したとのことだった。
マルゴ&メリー商会へ出向いてみると、マルゴ商会長が隊商を率いる人物を紹介してくれた。
「隊商頭を任されてる、ジオールだ」
短く整えた白髪交じりの髪と無精ひげに日に焼けた肌。
マルゴ商会長もたいがいがっしりした体格をしているが、このジオールという男は筋骨隆々というほどではないがしっかりと筋肉のついた体形をしていて、見た目だけなら商人というよりは傭兵のような印象だった。
「ジオールとは商会設立前からの付き合いだ。
頼りになるぞ」
マルゴ商会長が付け加えた言葉に、ジオールは「お前に褒められる日が来るとはな」と言いながらもその精悍な顔に嬉しげな笑みを浮かべた。
「俺はローゼルムンドの村長さんとも面識がある。
あの人が娘か姪みたいに思ってるお嬢さんだ、大事にシャルティアまで送り届けさせてもらうよ」
「よろしくお願いします」
それから二日後の朝、メイベル達はマルゴ商会長に礼を言い、隊商に加わってカラビの街を出発した。
「この手紙をベーゼの支店長に渡してくれ。
カラビからだとひと月もあればベーゼに着く。それまでには住む家兼店舗も見つけといてくれって、伝書鳥を飛ばして頼んであるからな」
「本当にありがとうございました。マルゴ商会長」
「これからは商会の身内になるんだ、いいってことよ。二人とも、気をつけて行くんだぞ」
見送ってくれたマルゴ商会長の笑顔はやはり、カシム村長によく似ていて、メイベルはあらためて深々と頭を下げたのだった。
北に向かう街道は、徒歩ならカラビから十日ほどでフェアノスティの国境を越える。細くはないものの竜壁の峰の裾を越えたりするので多少上り下りがある道のりだ。荷物を積み込んだ馬車の荷台の隙間に乗せてもらったり時には歩いたりしながら、隊商は北へ北へと進んでいった。
まだ本格的な冬は来ていないが、街道から望む遠くの景色は雪化粧をした山並みや野原がちらほら見え始めていた。
雪が深くなったら馬車は使わず、そりで交易をするそうだ。
夏には夏の、冬には冬の交易品があり、物資の流れの滞りがちな冬場は、品物が届くのを待ち望んでくれているのが伝わってやりがいがあるのだという。
寒いけど慣れると雪の中の旅も悪くないぞと笑うジオールは、根っからの交易者なのだろう。
途中、小さな村を二つほど経由した以外はずっと野営が続いた。寒がりな上に野宿の経験もなかったメイベルは、雪の中の移動でなくてまだよかったと心底思った。
村以外で野営したのは街道沿いにある少し開けた場所だ。それぞれ、多少雨風が凌げる小屋のようなものを建てていたり、竈が作られていたりと、ただの野原でない所もけっこうあった。街道を伝って行き来する旅人たちは、徒歩の者、馬車の者、あるいは騎馬の者、それぞれが大体よく似た速度で進みよく似た場所で小休止を取る。おそらく彼らが代わる代わる利用していくうちに、だんだんといろいろな物が残っていったのだろう。
そしてたいていの場合、野営地のすぐ傍には小川や泉などの水辺がある。シャルティア国内では大体の場所がそうらしいが、竜壁山脈に降った雨が地中を通りながらろ過された湧き水が、街道沿いの地域にはたくさんあるのだそうだ。
食事係や天幕張りなど、野営地での仕事は隊商のメンバーそれぞれすでに割り当てがあるらしい。下手に手を出さない方がいいかと思ったのもあり、メイベルは水汲み係を志願していた。ちなみにローゼスは食事係のお手伝いだ。
その日もメイベルは隊商のメンバーから野営地近くに泉があると教えてもらって、手桶を持って水汲みに向かった。
自作の魔獣除け護符を持っているとはいえ野営地の明かりの届く範囲に水辺があるのは有難い。
教えられたとおりの場所に泉を見つけ、屈みこんで手を浸してみる。水の冷たさと共に感じるのは────
「澱みが、だんだん濃くなってきてる……」
野営地で水を汲む度に、まだ微かではあるものの、だんだんとそこに含まれる魔素の澱みが濃くなってきていた。
もちろん、水辺の周りの草木も、そして土にも、澱みは沁みこんで広がっている。
屈んだ体勢のまま、メイベルは肩から提げた鞄の中の袋から乾燥させたローゼルムの花弁を数枚取り出し、泉にそっと浮かべた。
生の葉や精油ほどではないが、乾燥させた物であってもローゼルムは浄化効果がある。澱んで重苦しかった空気が澄んでいくのを感じながら、メイベルはふぅっと魔力を乗せた息を吐いた。
──風に、大地に、標を探せ
──大いなる流れを標として巡り行け
歌うような響きに誘われるように、周囲の木々から妖精の気配が漂い出す。
ここに来るまでいくつかの水辺でもローゼルムを使って浄化をしてきたが、ここまで明確に妖精の存在を感じることはなかった。
(ようやくだわ)
妖精が姿を現わしてくれたなら、澱みについて尋ねることができる。
かくして、メイベルが伏せていた瞼をそっと上げると、森の小妖精がその姿を現わしていた。
──コンニチワ、妖精ノ愛スル花ヲアリガトウ
「こんにちわ。少しは澱みが晴れたかしら?」
──ソウネ、苦シクナクナッタワ
「どうして澱みがあるのかしら。この地の妖精達の巡りが滞っているの?」
──イイエ
「違う?」
──ワタシタチガ巡ッテモ、澱ミガ湧キ上ガッテキテシマウノ
「どういう…………」
理由を聞こうとした瞬間、背後の茂みの向こうから隊商の誰かの声がした。途端に、もともと淡い妖精の姿がすっと薄くなっていく。
妖精は自分達の姿を人間に見られるのを基本的に好まないのだ。
「待って、まだ────」
聞きたいことが全部聞けていないとメイベルは焦るが、妖精の気配はますます遠く小さくなってしまった。
──澱ミハ、水カラ湧イテクル
消え入るような小さな声が届いた時には、すっかり妖精の姿も気配も消えてしまっていた。
独り残されたメイベルは、妖精の言葉を反芻する。
「水から澱みが湧いてくる……?」
ローゼスが白い妖精に会っていたのが水辺だというから、水系列の妖精である可能性を考えて旅の途中でもこうして泉や池の浄化をしながら妖精の姿をさがしてみていたのだ。
だが、水そのものから澱みが広がってきているのだと、森の妖精は言っていた。
どういうことかと考え込むメイベルの耳が、ガササッと葉擦れの音を拾った。しかも、音がしたのは背後の野営地からではなく泉の向こう側、前方の木立の方向だ。
(まさか、魔獣!?)
メイベルは魔獣除けの護符を握りしめ、耳を澄ませ、音が近づいてくる方向を凝視したままで手探りで脇に置いていた手桶を探してみたが、触れることができず諦める。音を立てないように慎重に立ち上がろうとしたとき、葉擦れの音とともに黒い人影が丈の高い下草の間から泉の向こう側の岸辺の草地に倒れ込んできた。
「!?」
黒い人影が纏っているのが母もよく着ていた魔法使いのローブだと気づき、メイベルは驚きながらも泉を回り込んで駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
おそらく男性の魔法使いと思われるその人物は、深く被っているローブのフードの下から見えている口元を手で押さえて浅い呼吸を繰り返しながら横たわっている。
メイベルはその魔法使いの身体から立ち昇る澱みの気配を感じ取った。
(これって、澱みに当てられてる?)
魔素の澱みは毒のようなもの。大量に取り込めば嘔吐や呼吸困難、身体のしびれなど、毒に当てられた時のような症状が出る場合がある。確かにこの辺りの魔素は他所より濃く澱みを含んではいるが、ただ息をしたり水を飲んだりするくらいならここまで体調に異変をきたすほどではないはずだ。
倒れるほど状態が悪化している理由はわからないが、とにかく目の前の魔法使いから漂う澱みの気配を取り除くのが先決だ。
メイベルは鞄を探り、ローゼルムの精油の入った小瓶を取り出した。蓋を取り小瓶の中の液体を数滴垂らすと両の掌に伸ばし、ローブの背中に押し当てる。
──巡れ、巡り行け、大いなる流れを標として
メイベルが早口で浄化の魔法を唱えると、すぐに魔法使いの身体からじわりと澱みが出てきた。しかし同時に、メイベルの掌から魔法使いへと急激に魔力が吸い出されて流れ込んでいくのを感じた。
(何これっ!?)
メイベルは驚いて魔法使いの背中に触れていた手を思わず離してしまった。魔力には固有の波長のようなものがあって、他人に直接渡せることはまずない。なのに、触れたところから、まるで砂地に水が一瞬で染み入るようにメイベルの魔力が魔法使いの身体へと吸い込まれていったのだ。
(たしかに、この人の体内魔力は不足気味みたいだけど……)
メイベルが魔力が吸い取られていった自分の掌をじっと見つめていると、魔法使いの呼吸が徐々に整ってきた。
「薬草の……香り……?」
小さく呟くのが聞こえた。精油の効果で、澱みの排出自体はうまくいったらしい。
「気が付かれましたか?」
「君、は……? 今、何を……」
「私は街道を北へ行く隊商に所属する薬草師です。
ご気分が悪いようでしたので、清涼効果のある薬草の精油を使わせていただきましたが……」
「薬草師……」
身体を起こした魔法使いは、声から察するに若い男のようだった。
(まあ、魔法使いの年齢は外見などではわからないけど)
母アシュリーも、メイベルと並んで「姉です」と紹介したら初対面の者は疑わず信じてしまうくらい若々しかったし、母を訪ねて来ていた魔法使いの知人たちも皆年齢不詳だった。
呼吸は安定してきたようだがまだ気怠そうな魔法使いに、メイベルは一応尋ねてみた。
「まだ気分が悪いようでしたら、あちらの野営地で休まれますか……?」
正直「はい、行きます」と言われたら言われたで、頼んで隊商に同行させてもらっているメイベルとしては野営地に連れていく前にまず隊商頭のジオールに了承を取らなければいけなかったのだが、このまま放置していくのも違う気がしたのだ。
だが、魔法使いはフードを被った頭をふるりと横に振って、ゆっくりとだが何とか自力で立ち上がった。
「いや……少し離れたところに、僕も連れがいるから大丈夫だ。
ありがとう、世話になった」
フードで顔は見えないままだったが、魔法使いは深々と頭を下げ礼を言った。
そう言われれば、メイベルとしてはそれ以上引き留める義理もない。
自分も立ち上がって膝に付いた枯れ草をぽんぽんとはたいて払った。
「そうですか……わかりました。では、お気をつけて」
もう一度礼を言って先ほど出て来た方へと歩いて行った魔法使いを見送りかけたメイベルだったが。
「あの!」
「……はい?」
思わず呼び止めていた。
ここまでの道程で推測するに、この先北へ行けば行くほど、魔素の澱みは酷くなっていく可能性が高い。
彼がどこへ向かっているのか、どこの所属のどういった人物なのかは知らないが、この場所程度の澱みの中で倒れるまで当てられてしまうようでは、これ以上北へは行かない方がいいのかもしれない。
「魔法使いの方に余計なお世話かとは思いますが……北に行けば行くほど、良くない気配が濃くなる気がいたします。
体調が悪いのでしたらこれ以上北には向かわれない方がよろしいかと存じますが」
「…………」
メイベルの言葉を聞いてしばし黙っていた魔法使いだったが、無言で小さく会釈をした後、再び歩き出して泉の向こうの下草を掻き分け、林の中へと姿を消した。
やはり余計なお世話だったかと後悔したものの、言わずに黙って行かせることもできなかったのだから仕方ないと思うことにした。
それよりもメイベルが気になったのは魔力が吸い取られたことだ。
(他人に魔力を直接渡すなんて、初めてだったわ)
メイベルは不可解な現象に首を捻りながらもあらためて手桶に水を汲むと、ひとり野営地へと戻っていった。




