【6】マルゴ&メリー商会
薬師の村を出て夜通し歩き、メイベルとローゼスは空が白む頃には街道に出ることができた。
護符のおかげか途中で魔獣に出くわさなかったのも幸運だったねと話しながら北に向かって街道を進み、日が昇り切った頃にはカラビの街の門を潜っていた。
国防都市カラビは、フェアノスティ王国サザランド北方辺境伯領の国境の町の一つだ。
周囲を壁に囲まれていて、メイベルたちが潜ってきた門がある南側に比べ、北側の壁は国外からの兵と竜壁山脈に巣食う魔獣たちからの脅威に備えて高く分厚い。
北方辺境伯軍が常駐していると聞いていたので物々しい雰囲気の街かと思ったら、壁の上や街中の要所要所に兵士が立ってはいるものの街を行く人の表情は明るい。商いをしている者の呼び声、荷馬車に品物を積み込んでいる下働き達の掛け声、馬の嘶き。国防の街、というよりは、商人の街という印象の方が近い気がする。
なにより、建物がどれも赤や橙、黄色といった明るい色味のレンガ造りのものばかりで、街並みがなんとも華やかだった。
メイベルとローゼスは一旦宿に入ってここまでの旅の汚れを落とした後、カシム村長からの紹介状を手に教えられた商会の建物を訪ねることにした。
街の中央通りにあるその店は、大きく『マルゴ&メリー商会』という看板を掲げた立派な建物だった。村から出たことがあまりないメイベルは少々気後れ気味だったが「大丈夫ですよ」というローゼスの言葉に勇気づけられ、ぐっと唇を引き結んで店の入り口を潜った。
「すみません、ローゼルムンド村のカシム村長の紹介で参りました。
商会長のマルゴさんという方にお会いしいのですが」
「お客様、紹介状か何かをお持ちでしょうか?」
持ってきた紹介状を差し出すと、受付の職員は封書の裏に書かれた送り主の名を確認した後「お待ちくださいませ」と言って店の奥へと消えて行った。
ほんとに大丈夫なのかなと少し不安そうに見るメイベルに、ローゼスが微笑んで頷いた時。
「あんたがアシュリーさんの娘さんかっ!」
ばーん、と店奥の扉が勢いよく開き、日焼けしたがっしりした体格の男性が出てきた。
びくりと肩を揺らし思わず一歩下がったメイベルの背に、ローゼスの手が当てられた。
「おそらくあちらが、商会長のマルゴさんですね」
耳元で囁かれ、こくりと頷く。
「はじめまして。ローゼルムンドから参りました、アシュリーの娘、メイベルです」
「マルゴ&メリー商会の代表のマルゴだ!
なるほど面影がある、が、髪や目はアシュリーさんには似なかったんだな。あの黒髪と金の瞳は一度見たら忘れられねぇからな。
まぁ、嬢ちゃんの瞳も綺麗な菫色で俺は好きだけどよ」
ばんばんと大きな手で肩を叩かれよろけるメイベルを、再びローゼスの手が支えた。
マルゴ商会長が指摘したように、メイベルは今、色変えの目薬を使って瞳の色を本来の薔薇色から青みを帯びた濃い紫色に変えていた。
シャルティアでは、赤系の瞳、特に薔薇色の瞳は皇王一族特有のものらしく、目を付けられないようにとローゼスと相談したためだ。
まあそもそもの話、メイベルの瞳は母とは違う色だったのだから、そのまま薔薇色の瞳で会ったとしてもマルゴ商会長の反応は同じだったかもしれないが。
「母をご存じなのですね」
「若かった頃に一度、商隊が魔獣に襲われているのをアシュリーさんに助けてもらったことがあるんだ。命の恩人さ」
「そんなことがあったんですね」
「後ろの兄さんは、あの時一緒だった人かね?」
「御無沙汰しております。
あらためまして、ローゼスと申します」
知ってたの?という意味を込めメイベルが視線を送ると、ローゼスは笑って小さく頷いた。
「ご健勝そうでなによりです、マルゴ商会長」
「よしてくれよ。
さてはあんたも魔法使いか? あの時とちっとも変ってないじゃないか。
すっかり老けオヤジになっちまったこっちは悲しくなっちまうよ」
カラカラと笑いながら顎髭を撫でるマルゴは、豪快な印象を受ける大柄な人物で、柔和なカシム村長とはずいぶん物腰は違う。
でも目元や秀でた額の辺りがよく似ていて、メイベルは「ああたしかに兄弟なんだな」と思った。
執務室らしき奥の部屋へと案内されると、マルゴ商会長は「仕事に戻っていいぞ、ありがとな」と言ってお茶やお菓子を用意してくれた女性たちを下がらせた。そしてメイベルたちに茶を勧めながら、小さな便箋にささっと何かを書き付けてからくるくると丸めた。
「これ作ったの、嬢ちゃんだって、ほんとか?」
言いながらマルゴ商会長がメイベルたちの前に置いたのは、子犬のぬいぐるみ。正確にはぬいぐるみ型の手紙配達用魔法人形で、名称は『文通用魔法人形 ぶんちゃん』。試作品も含めて何体か作り、うち一体をカシム村長に頼まれて渡していたものだ。
人はそれぞれ“魔力紋”という固有の魔力波動を持っている。それを利用し、登録した魔力紋を辿ってその魔力の持ち主へと手紙を届ける機能をつけた魔道具だ。手紙を遣り取りしたい者同士でそれぞれに互いの魔力紋を登録しておけば、その魔力を辿って特定の相手に手紙を配達してくれる。
「まだ若い嬢ちゃんなのに、すげえ才があるんだな。
こいつのおかげで、遠方の商談先で薬草の注文を受けてもすぐ兄貴に発注できる。助かってるよ」
「お役に立てているなら何よりです」
「俺の部屋に置いとくにしちゃあ可愛すぎるのが難点だがな」
「ははは」
村長は商売用に使うのだと言っていたが、弟と手紙をやり取りするためのものだったようだ。
マルゴ商会長は丸めた便箋をぶんちゃんの首輪についている筒の中に入れ、魔力で封をしてからぽむぽむっとぬいぐるみの頭を叩いた。
「兄貴のところへ届けてくれ」
僅かに流し込まれた魔力で起動したぶんちゃんは、ぱちぱちと瞬きをして「わんっ」と元気よく吠えた。そしてすんすんと匂いを嗅ぐようなしぐさをしたあと、もう一度元気よく鳴くと会長が開けた窓から外へと飛び出していった。
「いやさ、嬢ちゃんのことをいろいろ知らせてきた手紙に『心配だから無事着いたら絶対に知らせてくれ』って、くどいくらい書いてあってな」
「お心遣いありがとうございます」
気を付けて行けよと送り出してくれたカシム村長の心配そうな顔を思い出し、メイベルは苦笑しながら礼を言った。
「さて、とりあえず事情がある旅だってとこまでは聞いた。
北に向かうそうだが、目的地はあるのかい?」
「シャルティア神皇国に行こうと思っています。母に、自分が眠っている間に行ってくるようにと、使いを頼まれたので」
「北の方にしかない薬草を探すんだっけか?」
「そんなところです」
「眠ってる間に北へ行って来いなんて、ムスメ使いが荒いなぁ、アシュリーさん」
「必ず目を覚ますという母の意思表示だと受け止めてます」
「はっはっ、違いねぇ。
にしてもシャルティアか……」
「何か、問題でも?」
「問題っつーか、なんつーか……」
そこで一度言葉を切ったマルゴ商会長は、うーんと低く唸った後少しだけ真剣な顔になってメイベルを見た。
「嬢ちゃん」
「メイベルです」
「メイベルちゃん、あんた、魔道具師なんだよな?」
「そうですけど」
「あの国に行くなら、魔道具師とは名乗らない方がいい。
兄ちゃんの方も、もしも魔法使いなら、絶対に黙っといた方がいいぜ」
「……どうしてですか?」
「シャルティア神皇国は、魔法使いがいない国なんだ」




