【3】一緒に連れて行って
夏を過ぎ、秋が深まるにつれ、アシュリーの眠る時間は更に長くなっていった。
そして竜壁の峰々がうっすらと白く染まり、村が雪に閉じ込められる季節が近づいた頃、とうとうその時がやってきた。
魔力灯の明かりに照らされた研究室の扉の前で、メイベルとローゼスは眠りにつくアシュリーを見送ろうとしていた。
「目が覚めたら、お前がどこに居てもちゃんと見つけて会いに行くからね。
その頃には、誰か良い人を見つけて母の出番がなくなってるくらいになってたらいいんだけどね」
「ローゼスよりかっこいい人が見つかったらね」
「ローゼスよりか、それはなかなか理想が高いな。お前の『運命の人』は大変だ」
「……知らない、そんなの」
魔力の高い者は、相性の良い者同士でないと子供が生まれにくい。その相手のことを、フェアノスティの魔法使い達は『運命の人』と呼ぶことがある。
魔法使いにはならなかったが、アシュリー譲りの高い魔力をもつメイベルもまた、子を持とうと思ったら魔力の相性が良い相手を探すことになるかもしれない。
寂しさを隠してつんと横を向いた勝気な娘の頬を、アシュリーの指が優しくつつく。
「ま、お前がそんな年頃になる前には目覚めるだろうさ。
私の双子の兄は三日ほどで目覚めたし、叔父に至っちゃあ眠りにもつかないままほぼ不老になってるしね」
「兄弟、いたんだ、母様。ていうか、双子だとか、初めて聞いた気がする」
「そうかい?」
驚くメイベルに、アシュリーがしれっと告げる。
「私は六人兄弟の末っ子だ」
「六人!? 双子な上に!?」
「上の四人の兄姉たちは皆眠りについて、そのままになった。
唯一残っているのは、さっき話した双子の兄だけだ。
いつかお前も会うことがあるかもしれないね」
くすくすと楽し気に笑って、アシュリーは娘を抱き寄せた。
久しぶりに触れた気がする母の身体。その感触は変わらないのに、母の体内の魔力が極端に減っているのに気づき、メイベルは今更ながらに愕然とした。『魔法使いの眠り』とはこういうことなのか、と。
(こんなの、立ってるのだってやっとな状態じゃない……)
眠っていないと時はそれまでと変わらない様子で飄々と暮らしていたアシュリーだったが、メイベルに心配をかけまいとどれほど無理をしていたのか。悔しく、自分が情けない。
でも、だからこそ、今自分は笑っていなければいけないと、メイベルはアシュリーの肩口に額をぐりぐりと押し付けながら目に滲んだ水分を押し込めて微笑んで顔を上げた。
「じゃあ、ほんのしばらくのお別れだよ、可愛いメイベル」
「……ローゼスと一緒に待ってるから、ちゃんと目を覚ましてよね」
「ああ」
アシュリーもいつも通りに笑って、もう一度娘を抱きしめた。幼子をあやすように、母の手がトントンとメイベルの背を叩いた。
右手で娘を抱いたまま、伸ばされたアシュリーの左の手がローゼスも引き寄せた。
頬と頬が触れ合うほど近づいて、アシュリーが彼に囁いた。
「ローゼス、私達の娘をお願いね」
「……はい」
しばしの抱擁の後、アシュリーはじゃあねと笑って研究室に入っていった。
閉じられた扉の内側から膨れ上がった結界は一度拡がった後小さくなってぴったりと研究室を包み込んだ。
魔法攻撃も物理攻撃も弾く完全防御結界の中、メイベルの最愛の母は眠りについた。
* * *
その夜の夜半過ぎ。
静まり返った家を抜け、外套を纏った人物が静かに戸口から外へ出た。
家々に灯っていた明かりも消え、虫や鳥の鳴き声もない。
音を立てないよう注意を払いながら戸口を占めかけた時────
「何処へ行くの? ローゼス」
背後から掛けられた声に、ローゼスの肩が跳ね上がった。振り返れば、同じく外套を着こんだメイベルが佇んでいた。
「私を、置いていくの?」
「……メイベル」
ローゼスの美しく整った顔が曇る。
星明りの中にぽつんと立つ少女の姿は心細げで、だがその薔薇の瞳に宿った強い意志がローゼスを捉えて逃げ場を奪う。
「メイベル……シャルティアに近づくのは、やはり危険なのです。
あの国の民は、自分達こそ世界を創った存在に選ばれ許された唯一の民だと信じるように教え込まれ、自らの国と、外の世界をどこまでも隔てて考えています。
特に、神殿が教える創世神話と全く異なる伝承の中に成り立つフェアノスティ王国のことを敵視している。フェアノスティに縁ある貴女が行って、いい扱いをされるとは、思えない……
それに、私の不調は私自身の問題です。だから──」
「だから、私を置いて一人で行くの?」
置いていくのかと再度問われ、ローゼスは言葉を失った。
アシュリーに託された、大切な娘。メイベルを危険に巻き込みたくないと思う一心で、北へは独りで向かおうと決断した。異変の原因を究明したら戻ってこようと。
だがその一方で、アシュリーが眠った今、ローゼスが去ればこの少女が独りぼっちになるのも揺るぎない事実だ。
鼓動することのない胸を押さえ黙り込んでしまったローゼスに、メイベルはゆっくりと歩み寄りながら語り掛ける。
「私の助けは、要らない?」
「メイベル……私は……」
「私には、ローゼスが必要だよ。
だから一緒に北に行って、ローゼスの不調の原因を取り除くためなら、そのために私が出来ることがあるならしたいと思う。
それは、余計な事?」
「貴女は、私の、私達の大切な…………」
手を伸ばせば届く距離まで近づいて、メイベルは頭一つ背の高いローゼスの顔を真っすぐに見上げた。
「……私のために、貴女を危険に晒したくないのです」
「私もそんなところにローゼスを一人で行かせたくなんてないよ」
胸の前で固く握り合わせたローゼスの両手に、メイベルが触れてそっと解く。
「大事な、家族だもの」
メイベルの手は、もともと冷たいローゼスのものと同じくらい冷えていた。ローゼスが今夜のうちに村を出るつもりであるのを予見して、外で待ち構えていたからだ。
かじかんで力の入らない指先で必死に握ってくる小さなその手は、ローゼスを逃がさないと言っているようでも、置いていかないでと縋っているようでもあった。
「家族のために、私も、出来る限りのことをしたい。
お願いローゼス、一緒にシャルティアに連れて行って」
伏せていた顔を上げたローゼスの藤色の瞳には、薄く水の膜が張って揺らいでいた。
冷え切った少女の身体を、ローゼスの腕が包み込んだ。
「魔法人形も、涙を流すんだね」
揶揄うように言うメイベルの視界も滲んだ。
幼い頃からずっと包んでいてくれた腕の中は、温もりはないはずなのになぜかほっとする温度で、母アシュリーと同じ匂いがした。




