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運命なんてお断り ~薔薇の瞳の魔道具師、虚弱体質の魔法使いを拾う  作者: 錫乃


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【2】魔法使いの眠り


穏やかだった山村での暮らしが変わり始めたのは、メイベルが十七歳になった春だった。


「メイベル、ちょっといいか?」

「どしたの、ウィル」


幼馴染のウィルは村長の息子だ。

薬作りよりどうも体を動かす仕事の方が性に合っていたらしく、狩人をしながら薬草取りや町まで薬を売りに出かける村人の護衛も請け負ったりしている。その日も護衛で村を出ていたのだが、戻るなりメイベルの店を訪ねてきたようだ。


「魔獣除けの護符なんだけどさ、もっと強力なの、ないかな?」

「効果が弱くなった?」

「そうじゃないんだけど。

なんかさ、今日薬草取りに行くデイジーの護衛で北寄りの森に行ったんだけど、でっかいブラッディベアがいて……」

「ブラッディベア!?」


ブラッディベアは赤黒い毛並みで、熊に似た大型の凶暴な魔獣だ。

大柄なのに足も速く、また獲物と定めた対象に執着して襲ってくる傾向があり、山の中で出くわすことがあれば無事では済まない。


「だいじょぶだったの?」

「遠目に見かけて、なんとか気づかれずにやり過ごしたから」

「……よかったぁ……」


同じく幼馴染で薬師になったデイジーもウィルと一緒にいたと聞いてメイベルは心配で一瞬心臓がきゅっとなったが、無事と聞いて胸をなでおろした。


「他にも、狩人仲間の中には見たことない種類の魔獣を見たってやつもいるし、どうも北の山の様子がおかしいんだ。だから念のため」

「わかった、すぐに強めの魔獣除け護符を準備する。先行でできた分をいくつか、ウィルんちに届けるから。村長さんから村のみんなに警告してもらった方がいいね」

「もう頼んできた。護符の代金は届けた時に親父から受け取ってくれ。

先に届けてもらった魔獣除けは、次に森へ入る予定の奴の手に渡るように俺が手配する」


さすが次期村長はしっかりしてるなと心の中で密かに感心しながら、メイベルは戸棚の中から小瓶を取り出した。


「魔獣の近くにいたから、一応ね」

「ああ、そっか。頼む」


メイベルが言わんとしていることを理解したウィルが、くるりと背を向けた。

薬師の村は平地よりも魔素が濃い竜壁山脈の中腹にある。そういった場所はどうしても魔素の澱みもいくらか漂っていて、村の外に長く出ていると澱みを身体にもらってしまう。

取り出した小瓶の中には、ローゼルムの花から抽出した精油が入っている。ローゼルムは妖精の好む植物といわれていて、魔素の澱みを晴らしてくれる効果があるのだ。

メイベルはそれを一滴掌に垂らし、ウィルの背中に触れて香りを移しながら小声で唱える。


──巡りゆけ、大いなる流れを(しるべ)として


それに合わせてウィルが深呼吸すると、彼の身体から漂っていた澱みの気配がすっと薄くなった。


「他の人は大丈夫?」

「一番近づいたのは俺だからな。他はまぁいつも通り薬草茶飲んどきゃ大丈夫だろう」


ローゼルムで作ったお茶は、身体に溜まった澱みを排出するのを促してくれる。精油はさらにその効果が高いので、今回のように魔獣に出くわした場合にはお茶よりも有効だ。ただ、澱みは魔力と一緒に排出されるため体内魔力が減ってしまうから、そこは注意が必要だが。


「帰ったらすぐに魔力回復薬を飲んでおいてね」

「おう。ありがとな」


礼を言ったウィルがメイベルの方をちらっと横目で見ながら、何やらもごもごと付け加えた。


「お前も……もし森に入る用事があるなら、言えよ? 俺が特別に護衛についてやるから、さ」

「え、いいよ別に。だってローゼスがいるもん」

「ぅっ…………」


メイベルがきょとん顔で出した名前に、ウィル青年が渋面を作って黙り込んだ。

実はウィルは、薬師ではなく狩人になると決めた時から弓と剣をローゼスに習っていた。

剣の稽古で打ち倒されるたびに悔しくて悪態をつく自分を突き放したり見捨てたりすることなく根気強く鍛えてもらった少年時代を経て今があるので、ウィルはローゼスにはいまだに頭が上がらない。


「ふ、二人で護衛すりゃ、もっと安心だろ! いいな!? 森に入るときは絶対俺にも言うんだぞ!」

「へいへい」


心のこもらない返事にちょっと拗ねたような顔をして帰っていくウィルを見送って振り返ると、奥の部屋の戸口に凭れて苦笑しているアシュリーがいてメイベルは破顔した。


「母様、起きたの?」

「ああ。何日眠ってたかな?」

「今回は短め、一日半くらいだよ」

「そうか……」


アシュリーは、冬の間からだんだんと体調を崩すようになっていた。といってもよくある病気や怪我というわけではなく、眠ったまま起きないことが度々あるようになったのだ。起きているときは普段通りなのだが、眠ると2日、3日と目を覚まさない。そうしているうち眠り続けることが増え、だんだんと起きている時間の方が少なくなってきていた。

母自身は、自分の身体の変化の理由を分かっているようで、何か薬をと言うメイベルたちの言葉を大丈夫だと笑ってやんわり断っていた。

そして“その時”に向け準備をすると言い、最近は家の横に建つ『研究室』と呼んでいた小さな建物に籠るようになった。


  * * *


竜壁の稜線が花で彩りつくされる春が終わる頃、アシュリーが話があると言ってメイベルとローゼスを呼んだ。


「今私が陥っているのは、『魔法使いの眠り』と言うやつだと思う」

「それは、病気なの?」


初めて聞く言葉に不安げな顔でメイベルが尋ねると、長椅子に並んで座った母はふっと笑んでゆるりと首を横に振った。


魔法使いは、自身の体内、或いは周囲の魔素を身の内に取り込んで巡らせることにより魔力を生み出し魔法を使う。

一時的に体内の魔力のバランスが崩れ魔力が飽和した状態を魔力酔い、逆に枯渇した状態を魔力切れと呼ぶのだが、恒常的にバランスを崩した状態となると起こりうるのが『魔法使いの眠り』だという。


「魔法使いが皆かかる病というわけじゃない。

基本的に強い魔法使いほど寿命が長い傾向にはあるんだが、長く生きた末に稀に陥る魔法使いがいるらしい。

崩れた魔力のバランスを整えるため、眠ることで一時的に身体の生命活動を押さえて調整をするんだと」


『魔法使いの眠り』に陥った者は徐々に長く眠るようになり、やがて起きてくることがなくなる。

その後の経過は、主に二つ。

一つは、そのまま目覚めずに、寿命を受け入れ死に向かう場合。

もう一つは、再び魔力の均衡を取り戻し、目覚める場合。目覚めた魔法使いは、死も老いも超越した存在になることもあるということだった。


「いつか目覚めるん、でしょ?」

「そうだね、ほんの数日で目覚める者もいる。

けど、私がいつ目を覚ますのか、果たして目覚めるのか、私自身にもわからないんだ」


すぐ目覚めた人もいると聞いて上がりかけた娘の心が再び沈んだのを見て、アシュリーが困ったように笑った。

愛しい娘の髪を撫でながら、母の顔になったアシュリーが言い聞かせる。


「そんな顔しないでおくれよ、私の愛しい子。

別に死んでしまうわけじゃないし、眠ったままだなんて私だって嫌だ。

やりたい研究も途中だし、お前に教えることだってまだまだあるんだからね。

いつかちゃんと目を覚ましてみせるから、待っていてくれるかい?」


そう尋ねた母に、メイベルは唇を噛んで頷くしかなかった。


「それと、ローゼスのことでお前に話しておかなければならないことがある」


言われてメイベルが後ろで控えていた同居人を振り返った。

魔法人形ローゼスは主である母アシュリーの魔力を送られることで動いている。

つまり、主である母が眠ったらローゼスも動かなくなるかもしれないということだ。

母と同居人を一度に失うかもしれないということに思い至りメイベルはますます悲壮な面持ちになったが、アシュリーはこれについても否と答えた。


「私が眠っても、ローゼスは変わらずお前の傍にいてくれるだろう。ローゼスの(マスター)は、私じゃないからな」

主様(マスター)……」

「いつか話すことになるとわかっていただろう? 今がその時だよ、ローゼス」

「……はい」


アシュリーがさらりと告げた言葉に、メイベルは驚いて一瞬何を言われたのかも、ローゼスと母が何を話しているのかも理解できなかった。


「母様じゃないなら、別の誰かがローゼスの(マスター)だということ……?」


ローゼスはいつもと変わらない穏やかな表情のまま、黙って静かに頷いた。

驚くメイベルに、母がさらに告げた。


(マスター)、というのとは少し違うかもなんだけどね。ローゼスは私からではなく、妖精から送られてきている魔力で動いているんだ」

「妖精から……?」

「北のシャルティア神皇国の妖精の加護を得て、ローゼスは動いている」

「妖精が、魔法人形に加護を与えてる? そんなの聞いたことない」

「もともと妖精は気まぐれなもの。気に入ったものには加護を与えてくれる。

まあそれだけ、私達のローゼスは特別だということだよ。

ローゼスはもともとシャルティアの生まれで、訳あってフェアノスティ王国に辿り着いていた彼を、私が保護していた。

シャルティアの“白い妖精”から魔力が流れ込んでいるから、私に万が一のことがあったとしても、ローゼスは止まってしまったりしない。

ただ……」

「ただ?」

「北から流れてくる魔力に、澱みが含まれている。実を言えば今に始まったことではないんだが、最近それが酷くなっている。

この村はもともと、浄化効果があるローゼルムが自生していた場所だ。他より少しは澱みの影響が出にくいはずだった。

お前がローゼルムを村の中で育てられるように研究してくれたおかげで、さらに持ちこたえられたとは思う。

でも、ローゼスに流れ込む魔力そのものに澱みが混じってしまっているから、内側からじわじわと澱みの影響が出てきている。ローゼルムによる外側からの浄化では、追いつかなくなってきたんだ。

まずは私が直接行っていろいろ調べたりしようと思っていたんだが、その矢先に身体が今の状態になってしまってね。

今の状態で旅に出てもしも途中で眠ってしまったりしたら、ちょっと困ったことになりそうだろう?」

「確かに……」


このところのアシュリーの様子からすると、眠っている間は普通の睡眠状態とは違って揺さぶろうが叩こうが反応を示さなくなる。

心臓は動いているし呼吸もしているから死体には間違われないだろうが、昏倒している状態には違いない。

事情を知らない誰かに見つかれば、多かれ少なかれ騒ぎにはなるだろう。


「それに、どのみち澱みを晴らす魔法は私には使えない」

「なら、私が行った方がいいね」


さも当然のようにメイベルが手を上げた。

魔素の澱みは妖精たちが流れを与えてやればやがて晴れていくのだが、澱みを晴らす魔法を使える者達もいる。例えば、森の中に澱んだ魔素を祓い清める役目を担う森の妖精(ドライアード)と彼らを束ねる森のエルフ達がそうだ。人間の魔法使い達が使う魔法とは全く異なる種類の魔法なので、高位の魔法使いであるアシュリーでも、澱みを感知することは出来てもそれを晴らす魔法は扱えない。

メイベルは魔道具を作ることに没頭して一般的な魔法にはあまり興味がなかった。知識欲は旺盛だったので、魔道具創り以外にもある程度以上の魔法は知識として知ってはいたが習得できたのは並みの魔法使いに及ばない程度。ただ彼女は、幼少時から妖精の姿を見て話をすることもできるほど妖精たちとの親和性は高かった。面白がった母の知人のエルフが試しに妖精の魔法を教えてみたところ、魔素の澱みを晴らす魔法が使えるようになってしまったというわけだ。


『本来、人が使うべき術ではない故、あまり多用はしてくれるなよ』


──と、教えた張本人であるエルフに言われているので、普段の村人のケアにはローゼルムのお茶や精油を用いていたのだ。

北からの魔力に澱みが濃く潜む理由がわからない以上、それを解消するためにはエルフに教えられた澱みを晴らす魔法を使う場面になる可能性もありそうだ。


「私なら、澱みを晴らしながら、ローゼスの(マスター)の白い妖精も探せるから」

「お待ちください!」


その時、ずっと沈黙していたローゼスがメイベルの提案を止めた。

ローゼスは真剣な面持ちで二人の前に両膝をついて跪いた。


「私は、大丈夫です。多少、魔力不足は感じていますが、問題はありません。

ですから、シャルティアに行くなどということは、考えないでください」

「でも、確かにローゼス、この頃少し調子悪そうだったよね。

母様が体調崩してるからそのせいかと思ってたんだけど、ごめんね、気をつけてあげられなくて……」


謝罪するメイベルに、ローゼスは静かに首を横に振った。


「私は正常です。正常に、動作しています。

シャルティアは……あの国にメイベルを近づかせるわけにはいきません」


普段は何があっても穏やかな表情を崩さないローゼスのいつになく厳しい表情に、メイベルは訝しむ。

さっき聞いたばかりだが、ローゼスはシャルティアの生まれだという。

正直、魔法大国フェアノスティ以外の国でこの精巧な魔法人形が生まれたというのは、魔道具師の端くれでもあるメイベルにはにわかに信じがたいことだった。

理由があってフェアノスティにきていて母と出会ったというし、もしかしたらローゼスの故国への印象は良いものではないかもしれない。だが、ここまで頑なに拒絶をするほどの事情とはなんなのだろうか。


「万が一、私が不調をきたして動かなくなるようなことがあったとしても……」

「そんなの、だめだよ!」

「メイベルに何かあったら、そちらの方が大変です。

ですからお二人とも、私のことはどうぞお気になさらず……」

「ローゼス」


静かに訴え続ける彼の名を、アシュリーが落ち着いた声で呼ぶ。

ローゼスは懇願の表情でアシュリーを見上げた。


主様(マスター)、お願いですから……」

「ローゼス」


アシュリーの手が伸びて、ローゼスの頬に触れる。


「私達を、大切に思ってくれてありがとう。

でもね、同じように、私達も君のことを大事な家族だと思っている。

家族が困っているなら、何とかしてやりたいだろう?

気にしないなんて、できるわけがないんだよ」

「でも……」

「私達には、君が必要なんだよ、ローゼス」


アシュリーに諭されて俯いてしまったローゼスの右手に、彼の隣にそっと跪いたメイベルの手が重なる。

少しでも寄り添いたいと思う一心で、大切な彼のひやりとした手をきゅっと握りしめた。


「シャルティアに行って、澱みの原因を見つければいいのね?」

「まずは、ローゼスの(マスター)である“白い妖精”を探すんだ。

妖精を見ることができるお前になら、見つけ出せるだろう。

彼の浄化が出来れば…………」

「わかった。ローゼスも、それでいいわね?」


アシュリーとメイベル母娘の問いかけるような視線に、ローゼスは思いつめた表情でこくりと頷いたのだった。



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