【18】新しい同居人と魔法使用禁止令
「建国神話に出てくる妖精達の潜ってくる“門”って、知ってる?」
何を告げられるのかと緊張していたメイベルは、聞かれた内容にぽかんとした。
唐突な質問に一瞬はぐらかされたのかとも思ったが、メイベルを真っすぐに見つめてくる青い瞳は特に揶揄ったりしている様子は見受けられない。今話している内容に何か関係があるのかと、メイベルは一拍置いて考えて自分の知っている知識を浚う。
「妖精王様や竜がこちらの世界に来るときに潜ってきたっていう、あの“門”ですか?」
「そう、それ。
童話にもなってるから聞いたことはあるよね。
あれね、言い伝えやおとぎ話の類じゃなく、本当にあるんだ」
「…………はい?」
「あるんだよ。妖精の世と繋がってて、妖精たちが行き来する門が、今も」
「今も……?」
「原初の昔、妖精王たちがやってきたその時から、ずっとね」
予想外の話が出て目を白黒させるメイベルに、レッドは続けざまに説明をする。
「門といっても城門とかみたいに出入り自由ってわけじゃない。実はほとんどが一方通行でこちらからあちらの世界への帰り道専用なんだ。
妖精王たちが最初に潜ってきた一番大きな門、僕らは大門と呼んでるけど、フェアノスティはそれを護るよう妖精王に命じられた一族だ。
他にも、世界の各地には小さな門がいくつもあって、それぞれに番人たる妖精と、彼らを助けこの世界との仲立ちをする人間たちがいて、門を護っている。
フェアノスティの大門は主にあちらから妖精たちがやってくる、この世界への入り口だ。そして妖精達と一緒に、大門からは大量の魔素も噴き出している。大門からあちらへ還っていく場合も皆無ではないけど、たいていの妖精は大門を潜ってこちらの世界に降り立ち、魔素の流れを作りながら各地の門へと巡り、あちらに還っていく。
ここまではオッケー?」
「………………………………はぁ」
「そして、このシャルティアにも、門は存在する」
「え……」
「ここの門は珍しく、小さいながらも大門と同じこちらの世界への入り口なんだ。
フェアノスティ王都の大門とは比べ物にならないくらい小さいから大きな妖は出てこないけど、小妖精や魔素が流れ出してくる門だ。
他とは違うこの場所を護るようにと妖精王から命ぜられたのは、眷属の中でも力の強い、水と風の属性をもつ白い妖精だった」
「それって、ローゼスの……?」
「おそらく。
十数年前くらいから、突如としてシャルティアの門が揺らぎ始めた。溢れ出る魔素の量が極端に増えたり、また減ったり。やがて、そこから流れてくる魔素には澱みが含まれるようになった。
門が不安定になる原因として考えられるのは、それを護る妖精に何かの異常事態が起きたのではないかということだ。
つまり、君たちが探している白い妖精と、僕たちが追っている門の不安定さの原因となっている門の番人は、同じ妖精であると考えられる、というわけ」
「ローゼスに加護を与えて魔力を送っている白い妖精は……シャルティアの門の番人?」
目を瞠ったメイベルにローゼスが無言で頷いて肯定するのを確認し、レッドがぱんと手を打った。
「そこであらためて二人に提案なんだけど。同じ妖精を探す者同士、協力し合わないかい?」
「協力、というと?」
情報量過多で混乱気味のメイベルは、話している内容のわりにノリが軽いレッドに対しどう反応したものかわからない。
そんな彼女の心境を知ってか知らずか、殊更明るい表情で赤髪の魔法使いは提案の内容を説明する。
「不安定な状態の門からは、魔獣と呼ばれる澱んだ魔素に狂った生き物も溢れ出る。
溢れる魔素の量が増減してるのを見ると門の大きさも不安定になってるようだから、今までなら出てこなかった大きめの魔獣も出てくる可能性がある。
さっき、神殿兵が四ツ目鹿が出たって、言ってただろう?」
「そういえば……」
「四ツ目鹿なんて、本来なら魔素の濃い竜壁山中くらいしか見かけない魔獣だ。
少なくとも、人が暮らしている市街地にいきなり現れるのはおかしい。
門の場所はおそらく、神域の中。四ツ目鹿はそこから溢れ出てきたと考えるのが妥当だ。
これから先、澱みが増えるにつれ、首都内、特に神域付近で魔獣の出現が頻繁になると予想される。
僕と、連れの二人はこう見えて結構強い。それこそ四ツ目鹿程度なら一人で楽に討伐できるくらいにはね。
だから溢れ出た魔獣への対処は僕たちに任せてくれ。
その代わり、君には妖精の気配を負いつつ、この地の魔素の浄化を頼みたい」
「でも、浄化の魔法は神殿兵に目を付けられるから首都内では使えません」
「魔力に反応する魔道具を持ってるみたいだからね、彼ら。
それについては、僕の方で対策を思いついてるからなんとかするよ。
それと……」
そこで一度、レッドは言葉を止めて、すぅ、と深く息を吸う。
吸って吐いてを数回繰り返すと、ふわりと笑う。
「ここでなら、僕も息ができる。
君の薬草茶はよく効いたけど、この家の中に満ちる清浄な魔素なら、僕の回復ももっと早いと思うんだ。
だからベーゼ滞在中、僕たちをこの家に置いてもらいたい」
「は……はい!?」
「レッド!! これ以上我々の事情に彼らを巻き込むのは……」
「互いの事情を考慮したうえで、協力し合うのが一番効率がいい。
そのためには極力一緒に行動をした方がいいと判断したまでです。
そうは思いませんか? ローゼスさん」
質問を投げかけられ、終始無言だったローゼスが一拍置いて返事をした。
「わかりました。部屋をご用意いたします」
「ローゼス……」
「本来なら魔獣への対処には私が居れば十分で、他者の助力は必要ありません。
ですが、今日のように、私が動けなくなっている状態が今後増えていく可能性が高い。
メイベルを護るため、手をお貸し願いたい」
立ち上がってレッド達の方に向かい頭を下げるローゼスに、メイベルは胸苦しさを覚えた。
彼の言う通り、今後はローゼスの不調はどんどん進んで行くに違いない。
自分一人で妖精探しをするよりも、協力者がいてくれる方がいい。その方がきっと、早くローゼスを不調から解き放ってあげられる。
「メイベルも、いいですね?」
「ローゼスがそう言うなら、いいよ」
二人が頷くのを見て、レッドがニッと笑う。
「交渉、成立だね」
そう言うと、レッドは休んでいた長椅子から立ち上がって、ローゼスと握手を交わす。
それからメイベルの前に立ち、彼女にも右手を差し出した。
「よろしく、メイベル嬢」
メイベルは、差し出された手を見ながら立ち上がり、自分も手を出そうとして一瞬躊躇う。
手首に嵌めた腕輪に触れて確認して、あらためてレッドの右手を握り返した。
「こちらこそ。
あと、『嬢』とか、止めてください。呼ばれ慣れなさ過ぎてなんか、背中がぞわっとする。
メイベルでいいです。ただのメイベル」
「わかった。メイベル。僕のこともレッドでいいよ」
「よろしくお願いします、レッドさん」
「さんもいらないよ?」
「年下ですから。」
気にしなくてもいいのに、とレッドは言うが、おそらく相手はお貴族様だ。山村暮らしの平民メイベルとしては、礼儀は守っておいた方がいい気がした。
あとひとつ、薬草師メイベルとして、言わなければいけないことを付け加える。
「それと、レッドさんにはこれをお渡しします。
澱みの排出が終わるまでは身につけておいてください」
メイベルは、自分の手首に嵌っていた魔晶石付きの腕輪を外し、レッドに見せた。
「これは……?」
「魔法使いは、息をするように魔法を使うでしょう?
これは魔力使用を抑制する魔道具です。
魔法が発動できるほどの魔力は使えなくなりますが、微量なら魔力は循環するので魔素排出は出来ます」
「え……なんで、そんなものがあるんだ?」
「お仕置き用です」
「え゛!?」
お仕置き、と聞いて、レッドがぎょっとする。さっき濡れカエルにされた挙句にお仕置きもされるのか、と。ドン引きする魔法使いとその仲間二人に、メイベルが説明する。
「うちの母も魔法使いで、結構魔力量の多い質だったんですけど。
水を汲んでくるのも、すぐそこにあるものを手に取るのにも、すぐに魔法で何とかしようとするもので」
「ああ……」
「水なんて井戸で汲んでくればいいし、部屋の中にあるものなんて数歩歩けば手に取れるのに。魔法使いって、みんなああなんですかね?」
「ああ~~……」
身に覚えがありすぎる、という表情で、一斉にフェアノスティから来た旅人達の目が泳ぐ。
「だから、魔法が使えない状態なら、ちょっとは自分の手足を動かしてくれるんじゃないかと思って、私が作りました」
「それは……母君はお困りになったのではないか?」
「最初は文句を言われましたけどね。動かずにいて足が萎えたりしたら困るでしょって言い続けたら、渋々でもとりあえずは身に着けてくれましたよ」
「それで、すぐ魔法に頼る癖は直ったんですか?」
「全然。」
でしょうね、と、三人は深く納得した。
魔法使い、特に魔力量が多い魔法使いは、魔法を使うことに躊躇いがない。
フェアノスティ王国、特に王都エリサール周辺は妖精達が多数巡り、魔力に満ち溢れた風土である。そのため、そこに暮らす魔法使い達は殊更その傾向が強かった。
三人の中で職業としての魔法使いはレッドだけだが、他の二名も一般人以上には魔法が扱える。だから、フェアノスティ本国に居る時は、風魔法で物を手元に運んだり、少量の火や水を出す魔法程度なら魔道具に頼ることすらなく日常的に使っている。
メイベルの母もおそらく同じであったろうから、娘に言われてもなかなか直るものではなかっただろう、と。
「口で何度言っても直らなかったんで魔法使用を制限する腕輪を作ってみたんですけど、魔法が使えないと機嫌がすこぶる悪くなるか、無気力になるかで余計に厄介な状態になったので、諦めました。だからその腕輪もすぐお蔵入りしたんです。
シャルティア入国時以降、久しぶりに引っ張り出して私も何度か使う機会がありました。
お蔵入り以降もう使うこともないかなと思ってたんですけど、まさかこれがまた日の目を見ることになるとは。
捨てずに取っておいてよかったです」
「魔法使いにとっては呪いに近い代物だな……」
「今の貴方の体調管理には最適な魔道具ですよ」
「この家の周りはローゼルムで浄化してるから魔素の澱みは少ないし、いつも通り魔素を循環して回復と排出をすればいいんじゃないの?」
「そうかもですが、貴方ほどの魔力量を一気に回復させれば、神殿兵さんに感付かれる可能性もありますよね?」
その可能性は彼も気づいていたはずだ。そうでなければ、清浄な魔素の満ちたこの家の中でならと、とっくに最大限に魔素を循環させて魔力を回復させていたはずだから。
ずい、と差し出される腕輪を見てレッドは心底嫌そうな顔をして受け取るのを躊躇っていた。だが、そこは薬草師として折れるわけにはいかないと、メイベルは腕輪を魔法使いの手に押し付けた。
サヤの森で倒れた彼を支える際に、メイベルはどうしても魔力を食われた時の感覚が怖くて鞄から引っ張り出して自分の腕に嵌めていた。彼の腕に嵌めてもらっておけば、今後二人が接触することがあってもあの謎の魔力移譲現象は起こらないはずだ。
受け取ってしまったものの、レッドはまだ腕輪を嵌めないまま分かりやすく渋面を作って嫌がっている。
「たぶんほんの一週間、長くて十日くらいの辛抱です。完全回復までは難しくても、ある程度までは魔力が戻るでしょう。もちろんその間、薬草茶は飲んでもらいますけど」
「一週間……」
「魔力が少なくなってるだけで澱みに当たらなければすぐに体調は回復すると思いますよ?」
「それ! それこそが問題なんだよ、メイベルさん」
我が意を得たりといった様子でヴィーゴが訴える。
「この方、ほんのちょっと体調が戻ってくると自分で動かずにはいられない性分で。
目を放すと今日みたいにすーぐ無理して動き回っては澱みに当てられて倒れるんですよ!」
「…………難儀な方ですね」
メイベルが残念な子を見るような視線を送ると、赤髪の魔法使いはそっぽを向きながらへらりと笑った。
「話を盛りすぎだ、ヴィーゴ。まるで僕がものすごく厄介な奴みたいに聞こえるじゃないか」
「その言葉の通りでしょ!?
だからお目付け役として俺とサリシャ様が付いてきたんですから」
「え、君達、僕の補佐じゃなくてお目付け役のつもりだったの!?」
やっぱり厄介な人だなと思うメイベルの肩の上に、背後からぽむっと手が乗せられる。
振り返ればいい笑顔のサリシャがサムズアップしていた。
「次作る時は腕輪でなく、首輪で頼む」
* * *
フェアノスティからの旅人三人組は二階の二部屋を割り当てられ、あらためて宿を引き払って男二人とサリシャに別れて同居することになった。
ローゼスは少量の水分を摂る以外は食事をしない。アシュリーが眠ってからはずっと一人で食事していたメイベルは、突然賑やかになった食卓にすこしドギマギしていたがすぐに慣れ、楽しそうに笑っていた。
皆が寝静まった深更の台所で明日の朝食の仕込みをしながら、ローゼスはその光景を思い出してふふ、と笑顔になる。
その時、背後で人の気配がして振り返ると、星明りに照らされた赤い髪の青年が佇んでいた。
「まだ起きていらっしゃったのですか?」
「ちょっと、気になったことがあって」
青年の澄んだ青い眼が真っすぐローゼスを見つめている。
「……魔法使いの方には、世界が私達とは違ったように見えているのでしょうかね」
「そうかもね。
僕は生まれた瞬間から魔法使いだったから、僕が見る世界と魔法使いじゃない人の見る世界とがどう違うのかはわからないけど」
「そうですか」
もの言いたげな魔法使いの青年に、ローゼスはふわりと笑いかける。
「何にお気づきになったのかはあえて尋ねませんが」
野菜を洗う手を止めて、ローゼスは青年に向き合う。そして、白くたおやかな手をあげ、幼子に静かにしなさいと言い聞かせるよう、そっと人差し指を口元に寄せて微笑む。
「今は内密にしていただければと」
表情を変えないままにしばらく彼の様子をじっと見ていたレッドだったが、は、と小さく息を吐いた。
「僕だって、他人が何より大事に守ろうとしている秘密を何でもかんでも暴こうとはしないよ。
ましてや、そうすることで彼女の心の平穏が脅かされるのが明らかなら、なおさら暴くことに意味はないよね」
「お気遣い、ありがとうございます」
「でも遠からず、彼女にもわかることなんじゃないの?」
「そうですね。それでも、今ではないと思いますので」
ローゼスの言葉には何も返すことがないまま、レッドは「おやすみなさい」と告げるとくるりと背を向けて二階への階段を上がっていった。その背中に、ローゼスは「おやすみなさいませ」と言いながら静かに頭を下げる。
時が止まったような人里離れた山村で隠棲していた頃とは、状況が全く違ってきたのだ。
澱みの原因を探り、白い妖精を見つけ出す頃には、すべての秘密は明るみに出ることになるだろう。
「せめてその時までは、傍に……」
ローゼスの小さな呟きは、独り佇む台所の床に落ち、消えていった。




