【17】魔法使いの目
「君、魔法薬か何かで瞳の色を変えてるだろう?」
「っ……!!」
驚くメイベルに、レッドは胡坐をかいた自分の膝に頬杖をついて苦笑を漏らした。
「心配しなくても、この国の連中にはたぶんバレてないから安心していいと思うよ。
僕クラスの魔法使いじゃなきゃ、魔法薬使用を見抜くなんてそうそうできるもんじゃない。
現に、僕の連れの二人だって一応魔法使いではあるけど、君の眼の色のことは気づいてなかっただろうし」
視線を向けられたサリシャ達は、困惑しながらも頷いた。どうやら本当に気づいていなかったらしい。
「魔法で瞳の色を変えていることは察しがついていたし、聞いていた名前も一致する。
でも、出会った時もこの前ここに連れてきてもらった時も君は薬草師と名乗ってたし、ローゼスさんも居なかったからてっきり別人だと思ってた。
それに、凄腕の魔道具師だけど年端も行かない子だって聞いてたんだよな……」
「年端も行かないって……私、十七なんですけど?」
「僕だって今年二十だけど、まるで餓鬼扱いされてるから。
言われた後でおかしいと思ったんだよ、ちびっこ天才魔道具師なんてホントにいるのかって。
あの人達全員、見た目若いけど人外級のじいさんばっかりだっての、忘れてた。
そりゃあの人たちにとっちゃ俺らは赤ん坊にちょっと毛が生えたくらいの年齢だよな、うっかりしてたわ。
探せっつーならもっとちゃんと情報寄越せってんだよ、クソじじぃ共」
「人外級、じいさん?」
両手で顔を覆って悪態をつくレッドを前に、メイベルは少々混乱していた。
魔法薬の使用を見破られた驚きもあるし、その人外級じいさんとやらに自分のことを探せと言われて来たんだということも理解できない。なにしろ、心当たりがない。
「あのぉ、お尋ねしたいんですけど。
私を探せと仰ったのは、いったいどこのどなた様で?」
メイベルがそろりと手を上げて疑問を口にすると、レッドが伏せていた顔を上げた。
「んー、そうだな……銀の髪と金色の眼をしたやつ、って言ったらわかる?」
銀髪金眼、と聞いてメイベルが思い当たるのは、一人しかいない。
「…………ナーくん?」
「なーくん??」
思わずいつもの呼称が口を突いて出たのだが、聞き返されて自信がなくなった。しかし、顔を上げて一瞬ぽかんとしたレッドがすぐにぷっと噴き出した。
「なに、そんな可愛らしい呼ばれ方してたんだ、あの人」
「私が小さい頃、彼の名前を呼びにくそうにしてたから……」
「なるほどね。
そう、その“ナーくん”に言われたんだよ。
先にシャルティアに行ってるはずの君達を探して助力を願えって」
そう言うと、レッドの視線がサリシャに向かう。
「……彼らに、我々の目的を話すおつもりか?」
「助力を請うようにというのが、上の方々のご指示ですからね。
それに、僕らの方こそ、彼らの秘密をもういくつも暴いてしまっている。
こちらの情報も渡さないまま協力を仰ぐことはできないでしょ?」
「暴いたのは、我々ではなく其方だろうが」
「そうですね、魔法使いの目はいろんなものを見てしまっていけないな」
ガシガシと頭を掻きながらレッドが苦笑する。その仕草は、村に訪ねてきたナーくんが時折見せる癖にどこか似ていた。
「……まあ、任せるが」
「ありがとうございます」
二人のやり取りと、それを黙って見守るヴィーゴを見ながら、この三人の関係性はどうなっているんだろうとメイベルは思う。
魔法使いだというレッドと、おそらく騎士のヴィーゴ。そしてメイド服姿のサリシャ。服装だけから判断すれば、騎士風のヴィーゴがリーダーで、サリシャは三人の中では一番地位が低そうだ。
だが実際三人を見ていると、ヴィーゴは他の二人を一歩下がって補佐しているように見えるし、サリシャは決定権をレッドに委ねている。そしてそのサリシャに対して、一番年下であろうレッドは敬語を使っている。正直よくわからない。
(わかんないけど、なんとなく、レッドさんがリーダーなのかも)
魔法使いの年齢は見た目ではわからないが、二十歳だと本人が言っているのだから、見た目通りの若さなのだろう。どうも三人とも平民ではなさそうだし、もしかしたらレッドが一番貴族の位が上なのかもしれない。
リーダー(仮)のレッドが、メイベルとローゼスの方に向き直る。
「僕たちは、この地に蔓延る魔素の澱みとその原因を調べに来た。
シャルティアから流れてくる魔力に澱みが強く混じるようになってきたので、僕が調査を命じられた。この二人は僕の補佐だ。
シャルティアまでの街道沿い、そして首都ベーゼでの神域周辺の水辺。そこで澱みの浄化を行っていたのは、君だね?」
魔素の澱み、と聞いてメイベルの表情が硬くなる。
相手は魔法大国から来た、魔法薬の使用まで見抜くほどの高位の魔法使いだ。
当然彼の眼には、魔素の澱みについてもメイベルなどよりもっとはっきりと知覚できているに違いない。
問題は、メイベルとローゼスがこのシャルティアに来た理由に、彼らがここに来た目的がどれほど干渉するかだ。
「……どうしてそう思うのですか?」
「魔素の澱みを晴らす、妖精たちが愛する花ローゼルム。
この前は朦朧としてて気づかなかったけど、ここの庭にも植わってるよね。
君は、浄化の魔法が使えると聞いているし、だからこの家の周囲は魔素の澱みが少ないんだな。
君の作ってくれた薬草茶の効果もすごかったけど、この家の中なら、僕もちゃんと息ができる」
「息が……?」
「僕は、極端に魔素の澱みに対する耐性がないんだ。少しの澱みに当たっただけで体調が悪くなるし、魔法を使うと下手したらこの前みたいに倒れるし、澱みが酷い場所では息をするのも辛い。
妖精王たちがこの世に降り立つ前は皆、こうだったらしい。所謂先祖返りってやつだね。
フェアノスティ国内はほとんど魔素の澱みはみられないからここまで生きづらくはないんだけど」
「……あっ」
それを聞いて一つ、メイベルが思い出したことがあった。
「もしかして、ナーくんがうちに来るたびローゼルムを持ち帰っていたのは、貴方のため?」
「ああ。僕が澱みに当てられて体調を崩すたび、鉢植えだの精油だのを持ち帰ってくれたからね。
あれは、君が育てていたものだったんだな」
体調を崩しやすい子がいると言ってはいつもローゼルムの鉢植えを持ち帰っていた、母の友人の銀髪の少年。
彼がずっと気にかけていたのは目の前にいる魔法使いの青年だったのかと、メイベルは繋がった事実に何とも言えない感慨を覚えた。
同時に、そこまで澱みに弱い体質であるのに、今の状態のシャルティアに来ていることに疑問が浮かんだ。
「こんな言い方、失礼に思われるかもしれないけど。
どうして、こんな状況のシャルティアに?
それこそ息をするのも辛いのでしょう……?」
メイベルの言葉に、レッドはほんの少しだけ困ったような顔で笑う。彼に同行してきた二人も、レッドの方を心配気に見ている。
「正直ここまで魔素の澱みが酷くなっているとは思ってなかった、というのもある。
君があの人を経由して渡してくれたローゼルムの精油もあったから、大丈夫だろうと甘く考えていた。
けど実際は思った以上にきつくて、精油は王都からの行程の途中、君に初めて会った頃にはもう使い切ってしまっていた」
使い方と量の加減を間違ったのかもしれないね、とレッドは苦笑した。
ローゼルムの精油は少量でも清涼効果と、澱みの浄化を助ける効果がある。
メイベルが浄化魔法と並行して使えばかなり効率的だが、精油だけでは限界があっただろう。効果を上げようとたくさん使ってしまった可能性も考えられる。
薬草茶が効いてきたのか、顔色も少し良くなったレッドは、冷え切っていた指先に血を通わせるように掌を握ったり開いたりを繰り返した。
「僕は澱みに弱い。だからこそ、澱みに当てられる辛さを知っている。
フェアノスティに流れてきている魔素に含まれているのはまだ微かな澱みだけど、それが何も知らない民の身体を侵していくのは何としても回避しなければいけない。
フェアノスティだけじゃなく、もっと濃い澱みに晒されているであろうシャルティアの民のことも気がかりだったしね」
自分の掌を見つめながらレッドが語った言葉に、メイベルは目を瞠った。
神殿に助けを求めたレッド達に神官たちが、そしてベーゼの普通の市民達がどう接したのか、何を言ったのかは、まだ記憶に新しい。
「シャルティアの民は……フェアノスティ人というだけで、貴方達のことをあんなに悪く言ったのに、彼らのことも心配するの?」
思わずそう尋ねてしまったメイベルに、赤髪の魔法使いは怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
「自分を嫌ってる相手だからどうなっても構わないっていうのは、違わないか?」
「!」
赤い髪の青年は、メイベルの目を見てそう言った。その言葉に、メイベルは無意識に膝の上に置いていた手を強く握りしめた。
同じフェアノスティ人が、しかも困っている人が、フェアノスティの民だというだけで拒絶されるのを目の当たりにして、悲しかった。信徒でない者が神殿に治癒を断られるのは仕方がないと思えても、一般の民に責められるのを見るのは辛かった。
だが、それとこれとは別だと、レッドは言いきった。さも当然だというように。
澱みに当てられる辛さを知っているからこそ、誰かが同じ目にあうのは防ぎたい。その誰かがどんな人か、どの国の人かなどは関係ないのだと。
(なんていうか、真っすぐな人なのね)
面倒くさそうな人だというレッドの印象が、メイベルの中で少し変化した。
「ごめんなさい、変なことを訊きました」
「? 別にいいけど」
まったく気にしていないよというふうに、レッドはメイベルの謝罪を受け入れた。
母の知人で、自分にとっても友人のあの少年が、彼に自分を探して協力を求めろと言った。裏を返せば、同じように澱みに関係する事情があってここにいるメイベル達にとっても、レッド達の存在が助けになる可能性もあるのではないだろうか。
そう考えたメイベルは、ローゼスの方を見る。彼も同じように考えたのか、無言で頷いてくれた。
小さく頷き返し、メイベルはレッドの方へと視線を移した。
「私達も、シャルティアから流れてくる魔素の澱みについて、調べるためにこの地に来ました」
メイベルとローゼスは、代わる代わるに自分たちがここにいる理由を説明した。
魔法使いの母が眠りにつく前に話してくれた、ローゼスとシャルティアの白い妖精との関係。
彼の不調の原因がこの国から流れくる魔素の澱みにあること。
「白い妖精の情報は、まだ何一つ集まっていません」
「魔法人形に加護を与えた妖精、か……あり得る話なのか?」
サリシャが疑問に感じるのも無理はないと思う。
メイベルも、話をしてくれたのが母アシュリーでなければ信じなかっただろう。
メイベル達の説明と、サリシャが口にした疑問を黙って聞いていたレッドが、ローゼスの方をじっと見て尋ねた。
「ローゼスさんは実際に白い妖精に会ったことがあるんだよね?」
「……はい」
「出会ったのは大神殿の泉?」
「……その通りです」
「そっかぁ~……」
両手で顔を覆って、はぁ、とレッドはため息をつく。
メイベルも、以前ローゼスから白い妖精に会ったのは神殿の泉だというのは聞いていた。小神殿はベーゼ市街地にいくつもあるし、そのどれかの泉なのだろうと考えていた。
だが、大神殿は結界の中に護られた神域の中枢だ。おいそれと入れる場所ではない。つまりシャルティアにいた時代のローゼスは、神域の中、しかも大神殿に入れるほどの存在だったということだ。
見慣れているはずの整った横顔。隣にいる彼の表情が自分が知らないものに変化していたらどうしようかと不安になったが、視線に気づいてメイベルの方を見た彼は、いつもと同じに細めて優しく笑ってくれた。
顔を上げたレッドが、そんな二人の様子をじっと見ていた。
レッドの青い瞳と、ゆっくりと彼の方へと視線を向けたローゼスの藤色の瞳が、合わさる。
「……ほんと、色々見えてしまうのも困りものだね」
長椅子で胡坐をかいた状態で目を閉じてしばらく黙考したあと、魔法使いはメイベルとローゼスに向け問いかけた。
「建国神話に出てくる妖精達の潜ってくる“門”って、知ってる?」




