【16】濡れ魔法使い、拾われる
「メイベル、おかえりなさ……い?」
目を覚ましたのであろう、扉を開けて迎え入れようとしてくれたローゼスが、メイベルとその肩に掴まるように立っているびしょ濡れの赤髪の男を見て固まった。
無言のまま数秒玄関前の二人を見つめた後、ローゼスははぁとため息をついた。
「メイベル、困っている人、具合が悪い人を放っておけないのは貴女の優しさからというのは分かっています。
ですが、不審者を拾ってきてはいけません」
「誰が、不審者だ……ぅぇ……っ」
「あのね、ローゼス……」
不名誉すぎる呼称に魔法使いが抗議の声を上げる。
幼い頃は怪我した森の小動物を、大きくなってきてからは具合の悪そうな村人を見るたび家に連れて帰っては、良く呆れられたものである。
だが今回はいささか事情が違う。
「びしょ濡れになったのはある意味私の責任でもあるし、ちゃんと説明するからひとまずは彼、着替えさせてあげてくれない??」
重ねてお願いされ、ローゼスは珍しく眉間に皺を寄せながらも、メイベルの隣に立つ魔法使い風の若い男を見やる。
値踏みするような視線にムッとした様子で、魔法使いの若者はふいっと横を向いた。
「着替えなんか必要ない。
こんなの風魔法で乾かせば……」
「わーっ馬鹿馬鹿、やめなさい!
魔法を使ったら神殿兵がすっ飛んで来るって言ってるでしょ!?」
「馬鹿って言うな……ぅぇ……」
「馬鹿の一つ覚えみたいになんでも魔法で解決しようとするなって言ってんの!
それに今あなたは魔法は使っちゃダメなんだって、何度言ったら分かるわけ!?」
「ずぶ濡れになったのは誰のせいだよ!?」
「あいすみませんでしたね!」
「悪いと思ってないだろ、それ!」
「思ってるよ! でも神殿兵さんたちに見つかりそうだったんだから仕方ないじゃない!」
数日前にフェアノスティからの旅人を助けたのだとメイベルから事後報告を受けていたローゼスは、子供のような言い争いをする二人を見てなんとなくだが事情を察した。
「分かりましたから、中に入って話をしましょうか」
* * *
身体が冷え切った魔法使いをひとまず風呂に押し込み、ローゼスが彼が着られそうな予備の服を探している間に、メイベルは三人に紹介してあげた宿へと走った。
魔法使いの同行者二人を連れて薬草店に戻ると、ローゼスのシャツとズボンを身に着けた若者が乾いた布で赤い髪から湿り気を取っているところだった。ローゼスに用意するよう頼んでおいたから、室内には薬草茶の材料に加えたローゼルムの香りが漂っていた。
魔法使いの姿を見たメイドと思しき同行者の女性は、心底ほっとしたような笑顔を浮かべた。
それから「魔法を使えば一発なのに」とぶつぶつ文句を言う彼の方につかつかと歩み寄り────
ゴツン!!
────その頭に思い切りゲンコツを落とした。
「この、大馬鹿者が!!」
「痛い!!」
「あれほど休んでおれと言ったのに宿を抜け出した挙句、薬草師殿の忠告を無視して魔法を使っただと!?
もう少しで神殿兵に見つかるところだったというではないか!」
「黙って出かけたのは悪かったけどっ、僕には果たすべき使命が……」
「それで倒れておっては果たせる使命も果たせまい!?
そんなことも判らぬのか!!」
「っ……」
悔し気に顔を歪める若者に女性は深いため息をつくと、震えるほど強く握りしめていた拳を開いて魔法使いの肩にそっと触れた。
「行方が知れず、肝が冷えたぞ……もう少し、御身を大事にされよ」
震える声でそう言われ、魔法使いの顔にもようやく反省の色が浮かんだ。
「……申し訳、ありませんでした」
その様子を見守っていたメイベルも、何とか話が落ち着いたかなとほっと肩の力を抜いた。
「暴力はいけませんね」
隣でそう呟いたローゼスを見ると、彼の藤色の瞳とばちっと目が合った。
「貴女には後でたっぷりお話がありますからね」
極上の笑みでそう言われ、メイベルの表情がひくついた。実は最近街で見かける神殿兵の数がやたら増えていて(多分この三人が起こした先日の騒動が原因だろう)、しばらくは一人で妖精探しに出るなと言われていたのだ。自分が眠っている間に一人で出かけた挙句に神殿兵と一悶着起こした事について詳しく説明しろ、ということだろう。
ローゼスは普段から落ち着いた優しい笑顔を絶やさない。でもメイベルが言いつけを守らず危険な目にあったりした時は怒る。すごく怒る。正直、母アシュリーの怒号より、笑顔で説教するローゼスの方がメイベルには恐ろしい。
「こ、言葉の暴力も駄目なんだからねっ」
「愛あるお説教ですよ」
「う…………」
「さて。お茶をお淹れしますから、皆さんお座りになりまりませんか?」
魔法使いには例の薬草茶、それ以外の人用には普通のお茶を淹れ、食堂から椅子も運んできて居間でのお茶会兼状況説明会となった。
ただし、薬草茶の効き目が表れるまでの間はまだぐったりした状態が続く赤髪の魔法使いだけは、無作法だが特別に長椅子に横になった状態である。
あらためて、フェアノスティの王都から来たという三人の旅人は、騎士らしき男はヴィーゴ、メイド姿の女性(外套の下はやはり黒い天鵞絨仕立てのロングスカートのメイド服だった)はサリシャ、そしてローブの魔法使いはレッドと名乗った。
三人とも家名は告げていないものの、なんとなく雰囲気が平民ではないと見受けられた。しかも────
「赤い髪の、レッドさん?」
そのまんまじゃん、と言いたげなメイベルの視線をものともせず、寝そべったままのレッドは自分の赤い前髪を指先で摘まみながらふふんとどこか得意げに言う。
「派手でいいだろう? 今回の髪は綺麗に発色したし、気に入ってる。僕は赤系の色が好きなんだ」
好きな色だから赤い髪に染めて、名前もレッドと名乗っているらしい。分かりやすすぎるほど明らかな偽名である。
これでいいのかと無言でレッドの連れの他二名に問うてみたが、それぞれ苦笑いが返ってきただけだった。
ローゼスも肩をすくめている。まあ本人がいいなら別にいいんじゃないかということだろう。
一方のメイベル達も名乗り二人は親子だと説明したのだが、相手はフェアノスティの魔法使いとその連れだ。すぐに、ローゼスが人でないことは見破られてしまったので、ローゼスは母の管理していた魔法人形であると正直に話をしたのだった。
魔法大国から来た三人組の目は、家の中で茶器を並べたりメイベルと言葉を交わしたりしている間ずっと、ローゼスに釘付けになっていたようだ。
「……驚きました」
「外見もだが、動作も……本当に自然すぎる」
ローゼスの一挙手一投足にしきりに感嘆を漏らす彼らに、なぜだかメイベルの方が不思議な気分に襲われた。
「フェアノスティ王都の方々から見ても、ローゼスは特別なのでしょうか?」
「特別などというものじゃないですよ」
「人型というのもまず珍しいのだが、ここまで人に近い機能性を持った魔法人形は、フェアノスティでも見たことがない」
「ローゼスは、母がフェアノスティ王都で見つけて整備した、と聞いています。
あまり詳しくは教えてもらえなかったのですが、古代の遺物だとかなんとか……」
「なるほどな」
ヴィーゴとサリシャが口々に感嘆を漏らす。寝転んだレッドは、その体勢のままでじっとローゼスの動きを目で追っていた。
サリシャがレッドに問いかける。
「其方でも、彼に施されている術式は解読できないものなのか?」
「……おいそれとは手が出せない類のものでしょうね」
「ほぅ」
「母曰く、制御術式も古代語だったりで難解かつ繊細なのだそうです」
「…………そうだろうね。君が如何に天才的な技量の魔道具師でも、手出ししない方がいいと思うよ」
「…………え」
レッドの言葉に、メイベルとローゼスは驚き、サリシャとヴィーゴは何のことだと顔を見合わせた。
「私は、薬草師で……」
「誤魔化さなくていいよ」
う、と少しだけ唸りながら、レッドが上体を起こした。
「ある人物……いや、人物達か。彼らから君のことを聞いてたんだよ。
先行してシャルティアに入っているメイベルという魔道具師を探し助力を請え。薔薇色の瞳をした女の子で、ローゼスという人と一緒にいるはずだから、って」
「薔薇色? メイベル殿の瞳は紫に近い色だが?」
事情を知らされていなさそうなサリシャが疑問を口にする。それには答えず、レッドはひたとメイベルの顔に視線を向けた。
「君、魔法薬か何かで瞳の色を変えてるだろう?」




