【13】フェアノスティからの旅人
フェアノスティ北辺の街カラビを出て国境を越え、竜壁山脈の西端を回り込むように敷かれた街道を馬で北に進むこと数日ほど進んだ地点。シャルティア神皇国首都ベーゼ郊外までもあと馬で一日足らずの場所にある針葉樹の林の中を、黒い外套姿の男が歩いていた。
落ちた枝葉を指先で掻き分けて露出した地面に掌を当てて何かを探りながらしばらく進み、そこで見つけた小さな湧き水の泉に手を入れる。
「澱みが酷いな……それに妖精の気配がほとんどしないとは」
水の冷たさを気に留める様子もなくしばらく手を浸した後、立ち上がる。
一瞬、よろりと身体が傾ぎかけたのを、傍にあった木の幹に手をついて堪えた。
息苦しそうに眉間に皺を寄せながら、曇天の空を見上げた。
「ちょっと飛んで上から調べてみるか……」
呟くと、男は小さく呪文を唱え、足元に風を巻き起こした。
外套の男が歩いていた所から少し離れた地点、重なった木々の梢の下に目立たないように野営の天幕が張られていた。
その傍らに、細身の人影が空を見上げてひっそりと佇んでいた。天幕から出てきたもう一人の男が、欠伸交じりにのんびりと声を掛ける。
「ふぁ……おはよぅござぃます」
「……気の抜けた挨拶だな。
もう神皇国に入っているのだからそろそろ気を入れてくれんと困るぞ」
「分かってますよぅ」
分かってないだろうという視線は無視して、男がきょろきょろと辺りを見回して尋ねる。
「ところで、彼はどちらに?」
訊かれて、細身の人物は無言で上空を指差した。
つられて男が見上げると、丈高い木立よりももっと高い位置に浮かぶ、黒い外套の人物を発見した。はためく外套の下に見える魔法使いのローブもまた黒だ。
「おー、高いな。あれって何してるんです?」
「探査魔法で妖精の力の濃い部分を探しているようだな」
「へぇ、私なんて妖精の気配もわかりませんけど、さすが高位の魔法使いサマはすんごいですね」
またひとつ大きな欠伸をした男を、細身の人物は「顔でも洗ってこい」と言って睨む。
その時、目元に滲んだ涙を拭った男が「あれ?」と怪訝そうな声を上げた。
「どうした?」
「なんかあれ、様子がおかしくないですか?」
「……?」
二人が見上げた先で、上空にいる人影が風に吹かれて外套がはためくのとはまた違う動きで揺らぐ。
そうこうしているうちに、ぐらりと体勢を崩した。
「む?」
「あっ」
二人の視線の先、人影は見る見る高度を下げ、バササバキバキという音と共に林の中に落下した。
落ちたな、という細身の人物の呟きから数秒、先に我に返った男が声を上げる。
「……っなんて冷静に言ってる場合じゃないですって!」
「まあ、大丈夫なんじゃないか?」
「んなわけ……もぅ、いいから早く! 行きますよ!」
面倒くさそうな声を上げる人を急かし、男は自分の剣を引っ掴んで落下地点へ向け林に分け入っていった。
* * *
メイベルはベーゼ市街の中央通りをひとりとぼとぼと歩いていた。
マルゴ&メリー商会ベーゼ支店に注文を受けていた薬草を届けに行った帰り道である。
シャルティアに来てひと月半ほどが経過し、その間に家の裏手に作った畑では順調に薬草が育っていた。
初日に家の周りを浄化してローゼルムを育てたのが効いたのか、薬草の生育は順調で薬草店については全くと言っていいほど問題がない。
一方で、本来の目的の妖精探しの方が全く進展はないのだが。
「ローゼスの状態がそこまで悪くなってないのは救いだけど……はぁ、いつになったら見つかるんだろ……」
いっそ神様にでも祈ってみるかと半ば捨て鉢な思いでふらふらと歩いていたところ、通りの向こうに人だかりができているのに遭遇した。
(小神殿があるところ、だよね?)
神域にある大神殿の他、ベーゼ市街には日々信徒が祈りを捧げたり寄進を受け付けたりする小神殿が何ヵ所かある。
そのうちの一つの前に人だかりができ、そこから何やら押し問答のような遣り取りが漏れ聞こえてきた。
「連れの者が体調が悪いのです、シャルト神殿のお慈悲におすがりすることはできませんか?」
人込みの隙間から覗き見るに、外套を纏った三人組が、小神殿の警備をしている神殿兵の男性に治癒を願い出ているようだ。
「旅人か? 寄進をした信徒でなければ、神官の治癒を受けることはできない」
マルゴ商会長から聞いていた話の通り、神殿の治癒の魔法を受けられるのは信徒のみで、ある程度の額の寄進が必要だ。それはシャルティアでは当たり前のことで、国外からシャルティアに訪れる旅人も大抵事前情報として知っている。
国や地域によっていろんな常識が違うのは良くあることで、短期間滞在するだけの旅人は、それらに対してたとえ思うところがあったとしてもあえて口にして現地の民との間に波風を立てることはないものだ。
しかし────
「心の狭い神様だな」
(あ、言っちゃった……)
旅人の一人、おそらく女性が言ったひとことに、メイベルは軽く眩暈を覚えた。
そして当然、それを聞いた神殿兵の目つきが鋭くなった。
「我らが創世神を冒涜するか!
さてはお前達、フェアノスティからきた者ではないのかっ!?」
神殿兵が張り上げた声に、様子を窺いみていた人垣から次々に非難する声が上がった。
「創世神様を崇めない罰当たりな国だ」
「神の地シャルティアの民を差し置いて妖精の守護者だなど……」
「あの格好、魔法使いじゃないのか!?」
「なんでフェアノスティの魔法使いがベーゼに入り込んでるんだ?」
「フェアノスティの魔法使いは我らが神の国から出ていけ!」
囲まれた状態で非難にさらされて、三人組もこれ以上頼んでも埒が明かないと判断したのだろう。
体調が悪そうな一人を両側から支えながら、人垣を抜け小神殿の前から離れて市街の外れの方へ向けて歩いて行った。
メイベルは、人だかりを作っていたベーゼ市民がフェアノスティに対する非難を口にしながら散っていくのを無言で見送った。
振り返れば、旅人風の三人が通りの向こう側で路地に消えていくのが見えた。その後ろ姿の真ん中、抱えられるようにしながら歩く人物が着ているところどころ破れてしまった黒い外套、その下に見え隠れする魔法使いのローブにメイベルは見覚えがあった。
自分とローゼスも、隠密にとまではいかないものの、密かにやらなければならないことがあってベーゼにいる身だ。他人のことなど放っておけばいい。
(わかっちゃいる、わかっちゃいるんだけどさ……)
薬師にはならなかったメイベルだが、薬師に囲まれて育ったためか、病や怪我を負って苦しそうな人を見ると放っておけない質である。
しかも彼らはどうやら自分達と同じフェアノスティの者のようであった。
(あぁあ~~、もうっ! 我ながら面倒な性格だよ!)
一応周囲で自分のことを見ている人がいないのをそれとなく確認した後、念のため鞄に仕舞って持ってきていた認識阻害機能付きの外套を羽織ると、急いで三人の後を追った。
三人が姿を消した路地まで行って中を覗き込むと、しゃがみ込んでしまった具合の悪そうな人物を囲んで、残りの二人がどうしたものか相談しているようだった。
「もし」
声をかけたメイベルに、しゃがみ込んだ人以外の二人が振り返ったものの、こちらを見て怪訝そうな顔になった。
慌てて外套を脱いで、あらためてメイベルが話しかけた。
「あの、先ほどお見掛けして。大丈夫ですか?」
外套を脱いだメイベルを見た二人は、警戒するように具合の悪い人物を庇う位置に立った。
「大事ない。少し休めば立ち去るので、我らのことは捨て置いてくれ」
二人のうちの、細身の方の人物がそう言った。神殿兵と話していたのを聞いた時にも思ったがおそらく女性、でもそれにしては少し低めの声だった。
先ほどまでよってたかって悪意ある言葉を投げかけられていたのだ、突然声をかけたメイベルを警戒しても無理はないだろう。
「私はフェアノスティに本店がある商会に所属する薬草師で、メイベルと申します」
「…………メイベル?」
地べたにしゃがみ込んでぐったりしている魔法使いが、メイベルの名前に反応を見せた。
別に聞き返されるほど珍しい名前でもないだろうにと思っていると、女性の方からも質問が投げかけられる。
「……君は、シャルティアの民ではないのか?」
「はい。私はフェアノスティ人です」
王都になんて言ったこともない辺境の出ですけど、と付け加えながら、浅い息を繰り返している人の傍に屈みこんだ。
「澱みに当たっていますね。
とりあえず、移動しましょう。
この人を休ませる場所が必要でしょう?」




