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王太子殿下のご婚約(2)

 気が付いたときにはエレナが好きだった。


 整った容貌ももちろん好ましい。普段はふわふわしてどこまでも優しいくせに、怒るべきとき──その大概がマルクスと危険な遊びをして、マルクスの弟であるジルベルトや、うちの弟妹たちを危ない目に遭わせたときだったが──はきちんと怒れる、そういうしっかりしたところも好きだ。

 だが、一番好きなのは、彼女の纏う空気だった。

 一緒にいて、落ち着く。いつも穏やかで、にこにこ笑う二つ上の少女は、俺の憧れであり、癒しだった。


 恋心に気づいた瞬間、俺は彼女と人生を共にしたいと両親に訴えた。勝算はあった。なにせ彼女の両親はうちの両親の大事な友人であり、仲間なのだ。特に母上はエレナの母を溺愛しており、且つ自分の名前にちなんで名づけられたマリア=エレナを可愛がっていたため、即座に祝杯を挙げていた。むしろ魔法で祝砲を上げようとして父上にとめられていた。子どもである我々兄弟や、親友であるエレナの母が絡むと、母上はよく暴走する。


「で、エレナを手に入れる条件が、ボクに勝つことなわけ? 王太子殿下」


 呆れたような琥珀色の視線を撥ね退け、俺は頷いた。

 エリク・アクアフレスカは、世界屈指の大魔法使いであり、天晶樹の研究者であり、救世の英雄の一人であり……そして、俺の魔法の師匠でもあった。

 普段は天晶樹のあるキリエストか、王都アールタッドのアカデミアにいる彼は、めんどくさいめんどくさいと言いながらも、魔法の稽古をつけるために定期的に王城にやってきてくれるのだ。研究しか頭にないような顔をしつつ、こう見えて面倒見はいいのである。


 質問に対して頷くと、肩口に垂らした、燃え盛る炎を三つ編みにしたような髪をわざとらしく跳ね上げ、エリクは鼻を鳴らす。


「エリクに勝ったら願い事をなんでも聞く、そういう約束を取り付けた」

「そこにボクの意志は皆無なわけ? ていうか、ボクに勝てる気でいるの? 一生結婚できないよ、王太子殿下」


 ぐっと痛いところを突かれ、俺は若干鼻白んだ。一生結婚できない……たしかに、目の前の男が本気を出せば、俺が勝てる可能性はほぼ皆無だ。

 だが、彼女を手に入れるためには、避けて通れない!


「や、やってみなければわからないじゃないか!」

「キミがボクに師事してから、通算ゼロ勝だよね? 一度も勝ったことないよね? 無理無理無理絶対無理」


 わざとらしく両手を広げたエリクに、俺はイラついた。そこまで念押ししなくてもいいではないかと、文句を言いたい。……言ったら最後だけれど。

 たしかに魔力も魔法の精度も、まったく追いつけない。あれ、エリクに勝てたらって、体のいい断り文句か……? いやいや、エレナはそんなえげつないことはしない。おっとりした彼女に、そういう目論見はありえない。


「でも」


 鼻で笑ったエリクは、可哀想なものを見る目を俺に向ける。そうだった、俺の師匠はめんどくさいことは嫌いな性質タチだが、面白いことは殊更好きな人間だった。

 エリクは人の悪い笑顔を浮かべると、パチンと指を鳴らした。ぼうっと蒼い炎が空中に生まれ、くるりと円を描いて消える。これは……相当機嫌がいいらしい。


「いいよ、受けて立とうじゃないか。ご祝儀の前払いとして、ボクが得意じゃない水魔法での対決にしよっか。威力を競うと絶対勝てないから、精度……も無理かな。あれ、やっぱ無理じゃない?」

「酷い!」

「まぁまぁ、そんなに嘆かないの。うーん、それじゃ、ボクの作った氷を融かしたら勝ちってことで。ああ、ボクってなんて優しいんだろう! めちゃくちゃ弟子想いじゃない??」


 満面の笑みを浮かべて、エリクは俺を見た。この笑顔は覚えがある。悪魔の微笑みだ。その笑みが合図だったかのように、ふわりと空中に氷塊が浮かぶ。

 そのまま空中でくるりと一転した後、形を違えた氷塊は──俺の想い人の姿を写していた。


「お、鬼!」

「酷い言い草だなぁ。教育を間違えたかな?」


 首を傾げても可愛くないから! 鬼だよあんたは!

 呆然とする俺に、エリクはくすくすと楽し気な笑い声を漏らした。完全に遊んでいる。鬼だ。


「ボクは優しいから、キミが勝つまで付き合ってあげるよ、リカルド殿下」


 死刑宣告に近い発言を受けたが、負けるつもりはない。

 父上も言っていたではないか。そう──愛とは、勝ち取るものだ!

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