王太子殿下のご婚約(1)
「王太子殿下が婚約なさるそうよ!」
そんな噂がわたしの耳に飛び込んできたのは、他家で行われていたお茶会の最中だった。
わたしは普段、貴族の家で催されるお茶会には出ない。ブランカ辺境伯というそれなりの爵位はあるけれど、うちの両親は元々平民。しかも貴族になった経緯が特殊すぎるので、他の貴族の方々との交流を持ちにくいのがその理由だった。
けれど、この日の来訪先は学院でできた友人の家だったし、たまたま主催者の彼女が貴族だったという、ただそれだけの話である。貴族でない友人も同じテーブルを囲んでいるような、そんなまったりしたお茶会だ。
「知らなかったわ。相手はどなたなの?」
内心の驚きを隠しつつ、わたしはほほ笑んだ。
驚いたのは、あの小さな子が、もうそういう相手を定めるような年齢になったのかという、そのことにである。そして、その話をわたしが知らされていなかった。……ただ、そのことだけ。
「エレナ、知らなかったの?」
「そうよ。アールタッドにいるといっても、わたしがいるのは学院寮だもの。そんな情報が入ってくるはず、ないでしょう?」
頻繁に手紙を寄越していたというのに、婚約の話なんてちらりとも書いてこなかった幼馴染に、少し悲しくなる。
けれど、同時に相手は国を背負う立場だということも思い出したわたしは、とりあえずの笑顔を顔に張り付けた。王太子の婚約は政治が絡むものだ。幼馴染とはいえ、親友の姉という立場でしかないわたしへ、そんな重要な話をするはずもないのだ。
第一、入学のためにわたしがアールタッドに来てから、ほとんど彼とは会う機会はなかった。そう、普通の学生であるわたしと、王太子である彼とは、所詮その程度の繋がりだったはず。
──淋しいと感じているのは、彼には釣り合いようもない、わたしだけなのだ。
「王太子殿下だもの。きっと他国の姫君か、もしくは国内の有力者のお家から選ばれるのではなくて?」
「それをいうならエレナが候補の筆頭になるでしょう?」
「ならないわよ。うちは辺境伯よ? もっと格上の方はたくさんいらっしゃるわ。それに、もしなっていたら、とっくに打診がくるでしょう? そんな話はついぞ聞いた覚えがないもの」
わたしの返答に、友人たちは揃って口を尖らせた。愛らしい容貌のお嬢様方が一様に不満げな顔を並べるこの図は、結構貴重なものではないかと、そのときのわたしは全然関係ないことを考える。
しかし、現実逃避が許されるはずもなく、友人たちは矛を握るその手を止めたりはしなかった。
「だって、“竜殺しの英雄”と“救世の聖女”の長女で、王太子殿下の一番の親友の姉でしょう、貴女。見た目だって美少女なのに、貴女以上のハイスペックな令嬢なんて、そういないわよ」
それは絶対違う人間だと思う。わたしは、そんな立派な存在ではない。
たしかに、うちの父は“竜殺しの英雄”として名を馳せていたらしいし、母も王妃様と同じ“救世の聖女”として尽力したのだと、人々は言う。
すぐ下の弟であるマルクスも、恐れ多いことに王太子殿下の幼馴染兼親友として、親しく付き合わせていただいている。
そして自分で言うのもなんだが、わたしは父や祖母に似て、容貌は整っている方だと思う。
だが、人間が中身が大切だ。見た目が良くても、中身が空っぽでは人に誇れはしない。
今は王都にある王立学院で勉学に励んでいるとはいえ、実家にいたときのわたしはまったりと母から料理を習ったり、キッカさんから洗濯方法を習ったりしていただけだ。貴族としてのマナーだって、執事のアナクレリオに仕込まれているものの、王太子妃として立てるほど洗練されているかというと、そうではない。
中身が伴わないわたしでは、王太子妃になぞなれはしないだろう。
それに、王太子妃に相応しい方は、他にたくさんいらっしゃる。高位貴族の中で年回りが合うご令嬢が、他にいないわけではないのだ。
……淋しく思うのは、きっと、感傷。仲がよかった人に、一人置いて行かれたような、そんな気持ちになっているだけだ。
「父は王妃様曰く“ヘタレ騎士”だったし、母も聖女ではないわよ。弟が王太子殿下と親しくさせていただいているのは事実だけれど。わたしは見た目はともかく、特になにかに秀でたところもないし、ハイスペックというにはおこがましいんじゃないかしら」
できたら表舞台に出ず、まったりと暮らしたい。そう願うわたしは、友人たちの期待の眼差しを振りほどいた。
「それより、次のグループ課題の題材はなんにする? 元々、その相談のために集まったでしょう? そろそろ決めなくちゃ、困るのはわたしたちよ」
わたしの発言に、友人たちは我に返ったようだった。お茶会の題目は“勉強会”。半月後の発表会は待ってはくれないのだから。




